24薔薇友訪問記13,北本オープンガーデン森田さんの庭
北本のオープンガーデンは公共の公園を含めて16件が参加していますが、その内私が毎年訪問する庭は、親しいお宅の庭6軒だけです。
毎年北本のオープンガーデンのスタートは森田さんの庭から始まります。
北本オープンガーデンのパンフでの森田さんの庭のタイトルは「道沿いの花壇」で、道行く人々が笑顔になれるようなナチュラルスモールガーデンの説明がありました。
改めて想うにこのタイトルと説明はまさに森田さんの庭を表現するにはピッタリでした。
森田さんのお宅は専業農家で、奥様が花好きでオープンガーデンに参加していましたが、近年ご主人が薔薇に興味をお持ちになり、持ち前の技術を駆使して栽培を行っています。薔薇はDIY技術もあった方がより見事に仕立てられますが、こちらの方もご主人が手掛け始め、展開のスケールが格段に広がりました。
森田さんの納屋には古い農具などが沢山保存してあります。以前鍬の種類を見せて頂いたら博物館に展示できるほど様々な種類が保存されていました。
森田さんの奥様は、納屋から古い道具など取り出して、ガーデニングアクセサリーとして使用しています。
英国のガーデニングの洋書にも古い農具をガーデンアクセサリーとして使用している例がたくさんあります。英国人は古い使い込んだ道具をとても好みます。
最近動向が少し変化しましたが、近年、日本人やアジア人は新しもの好きで、古いものは古臭いと軽視する傾向にありますが、英語のOLDという言葉には年寄りとか単なる古いもの意味の外に、古くてもリスペクトを払える価値のあるという意味があり私の好きな言葉です。
余談ですが60に登山を再開した時、同時にホームページも作成しましたが、タイトルの説明にオールドアルピニストを目指すと記しました。
森田さんの手作りの庭にはOLDの雰囲気に満ち満ちていて私が好きな庭の一つです。
森田さんの庭は奥の母屋とは別に、手前の納屋のある敷地がガーデニングの庭です。
森田さんご主人てづくりの薔薇のサポートです。男性が庭に加わるとスケールが大きくなります。
毎年訪問する度ごとに薔薇が大きくなって拡がっていきます。
専業農家のご主人は植物栽培のプロなので薔薇栽培などお手のものでしょう。
ブルームーンもあっという間に大きくなりました。
納屋の壁面には奥様が17年頃初めてピエール・ドゥ・ロンサールとポールズ・ヒマラヤン・ムスクを植えました。
ヒマラヤン・ムスクは残念ながらその後枯れてしまったけれど、ピエールは元気に育っています。
ピエールの隣にアンジェラも植えました。
森田さんの草花のガーデンです。
自然なボーダーを形成しています。
花壇の草花の間に古い自転車のオブジェが見えます。納屋の壁面には昔、耕運機のリヤカーに乗っていた女の子の姿が見えます。
納屋の中の古い鎌の数々です。相当大振りの草刈鎌で今では売っていません。
納屋のご主人の道具や用具の壁面です。私もこのような壁面の道具棚が欲しいのですが、物置のスペースが狭すぎて実現できません。
ご主人は小型ユンボで隣家から伸びてくる竹の根を掘り起こしています。農家の方は何でもこなしてしまい凄いなと想います。
荒川の河岸段丘
森田さんの裏手は荒川の河川敷です。森田さんのお宅やご近所の農家は、この河川敷から一段高い河岸段丘に位置し、水田は荒川の広大な河川敷にあります。
冬になるとこの画像の中央に雪を被った富士山が見えます。
遠くに見える森の彼方に荒川の土手があり、その土手の上に首都圏で一番早いサイクリング道路が作られ、浦和の荒川の河川敷をスタート地点で、入間大橋で狭山方面コースと森林公園コースに分かれました。森林公園はこの先で西に向かいます。
私は40代の時晩秋になると時々スキーのトレーニングのため、与野からこの手前のホンダエアポートまでロードバイクで疾走していました。当時はコースの傍に知り合いができるとは想像もしていませんでした。
私は森田さんの庭を訪れる度に、この県内でも有数な絶好の地は2500年前の弥生時代から人が住み、スエズ川と同じように荒川の氾濫が運んだ肥沃な河川敷で稲作を行い、住居は水害の心配の少ないこの台地に住んでいたような気がします。
埼玉古墳群の博物館で、鴻巣に大規模な埴輪工房があったことを知り、余計この一帯は古代人々が最も住みやすい地であったと感じました。
森田さんが近くに良いものが出来たと言いながら付いて行くと、森田さんの庭の直ぐ向こうに、富士山を望むこのコミュニティスペースがありました。藤田さんのお父さんが作ったそうで、雨水が溜められるトイと容器迄セットされています。
この樹の輪切りのテーブルの大きいこと。ケヤキか楠か榧のどれかなのでしょう。富士を眺めながらこのテーブルで飲むお茶は最高でしょう。