24薔薇友訪問記17,北本オープンガーデン松崎さんの庭

松崎さんの庭のブログを書きながら、北本オープンガーデンのパンフを眺めていたら、きたもとオープンガーデン花結会の代表が浪井さんから松崎さんに代わっていることに気が付きました。松崎さんは浪井さんや藤田さんと永年オープンガーデンに尽力されてこられました。
オープンガーデン当日には役所の担当の方を引き連れ市長さんが挨拶に見えられていました。

オープンガーデンの実行は「言うは易く行うは難し」の典型です。
ガーデニングに無縁な人は、宿根草といえば植え放しでもやがて無くなることはなく、毎年くりかえし花が咲くと想われているでしょう。薔薇もツバキやサザンカなどのような庭木だから、枝の剪定と害虫駆除さえ行えば、30年でも50年でも死ぬことは無いと想っているかも知れません。
庭で長き命を保証されているのは雑草だけで、その命を維持するために他の草花を押しのけてでも繁殖します。園芸植物の宿根草は性質を表す名前だけで、大半が新陳代謝が必要でなにもしないで放置すると数年で姿を消してしまいます。
また自然界に存在する植物の花は、一年の内大半が1週間しか咲きません。薔薇も同じです。牧野富太郎は植物には雑草と呼ばれる植物は無いと言いましたが、植物分類学者の富太郎は分類学上そう言いますが、弥生時代の人々がもし水田稲作を選択せず畑作を選択していたら雑草によって今日の日本は存在しなかったでしょう。

話が飛びましたが、庭を美しく維持するにはものすごく努力が必要です。多分自分のことだけを考えたらオープンガーデンという行為はとても行えるものではなく、地域の事を考え、人の楽しみは自己の楽しみという崇高な境地に達しないと、とてもできるものではありません。

オープンガーデンのパンフでの松崎さんの庭のタイトルは「バラの花咲くかくれ家」とあり、まさに松崎さんの庭のイメージそのものです

松崎さんの庭を訪れる人は、何故かいきなり庭に直接入らずに、必ず門の付近で立ち止まり庭の様子を伺います。
普通の個人の庭だと門の中に入ると、庭の全貌は判りませんが、大体庭の様子の8割ぐらいは想像ができます。しかし松崎さんの庭は門の付近では、その一部しか見えず肝心の母屋は何も見ることはできません。

これから現れるだろうと予感する庭の光景に、期待を抱いてしばし一呼吸おき心の高ぶりを抑えるのでしょう。
登山の世界では低い山では峠、高山ではコルと呼ばれる尾根がくびれる場所があり、そこに近づいてくると尾根の向こうにどのような光景が現れるのか、期待を膨らませ何度も上を見上げて登ります。

8年前の松崎さんの庭

オープンガーデンで初めて松崎さんの庭を訪れたのは8年前の5月でした。

8年前の門の付近です。左側の薔薇の植栽は出来ていましたが、右側の薔薇の植栽は今と比べると、随分低いです。突き当りの樹々もまだ低いような気がします。

8年前の玄関の画像です。画像を見ると玄関の先のジャスミーナは相当茂っていますが、玄関付近は薔薇で覆われていません。

16年の私のハードディスクの画像ファイルでは、松崎さんのオープンガーデンの画像タイトルは、名字でなく「洋館の庭」というタイトルでした。
私が苗字でなくタイトルを「洋館の庭」としたのは、英国でも余り見ることのできない重厚な洋館が、薔薇と組み合わさっている光景に驚いたことと、
門から続くアプローチの薔薇が背丈の倍近くの3m以上も高く仕立てられている光景を見たことです。


現在の松崎さんの庭

門の付近にたたずんでもその先は樹々に遮られて見えません。入り口の薔薇の壁と美しいボーダー花壇を眺めながら、この先の美しい光景の期待が高まります。

アプローチの反対側も圧倒的な薔薇の壁が迫ってきます。私はこの両側に薔薇の壁をつくる例は未だ見たこともありません。よくこの仕立てのアイディアを考えたものだと想います。

見上げると洋館の屋根が少し見えてきました。しかしこれから先、路を辿ってもこれ以上の姿を見ることはできません。
森の中で薔薇に100年間覆われすっかり姿が見えなくなってしまった眠り姫のお城伝説も、このような光景なのかなと想像も膨らませることもできます。

初めて松崎さんの庭を訪れた時、薔薇の壁のあまりにも見事さに、造園業者が仕立てているものと想い、薔薇の枝の間からどのように仕立てているか覗いたことがありました。しかし薔薇の裏側は長い園芸支柱を格子状に組み、あおりをつけて倒れないようにした造園業者はやらないDIY工法で薔薇を仕立てていることが判り驚きました。

翌年のオープンガーデンの際松崎さんに尋ねたら、松崎さん自身が長い脚立に乗って仕立てたとのこと、そしてボーダー花壇づくりのための庭木の伐採なども、全てご自身がおやりになったとの事。まさに絶句しました。

庭へのアプローチは庭木に阻まれてカーブを描き、やがて左に曲がり先が全く見えなくなります。路は一挙に5分の1の、人一人がやっと通れるぐらいの幅に変わります。
山の谷道でも古い街道でもよくあるパターンです。路が突然狭まり両側から崖がせまり突然狭い渓谷に変わります。

もし演出だとしたら心憎さを通り越した演出です。

左に曲がると突然正面に洋館が現れます。


玄関の前に一挙に開き、本格的なボーダー花壇が広がります。

玄関横の寄せ植えです。

玄関前のアレンジです。

松崎さんは身体を壊して庭の手入れはあまりできなかったと話しておられましたが、これ以上誰が命じるのでしょうか?

入り口から薔薇の壁の間を辿り、途中急に道が狭くなり、たがて一挙に広い空間に変化します。そこは花々が競って咲き乱れる場所です。

やがて庭は再び薔薇の壁に突き当りますが、入り口付近に比べると楚々とした雰囲気になり、それが心が鎮めてくれるのです。

路地を曲がるとかくれ家の終着点となり、突然エキゾチックな雰囲気のシャングリラが現れます。

今回の訪問は松崎さんとの話に興じて、庭のディテールの画像を撮り忘れてしまいました。