四国の旅その1,サンライズ瀬戸で高松へ

薔薇が一段落付いた5月29日から6月2日まで4泊4日、息子、娘と家族そろって四国の旅を行いました。
今まで年1回は息子や娘を交えて旅を行って来ましたが、今回家族4人揃って旅を行うのは娘が結婚する前から数えて20年振りでした。
息子と娘は今や働き盛りであり、2人揃って時間が合うことはめったにない事で、その数少ない機会が訪れたのです。

今回の旅は、小学生の時から日本中旅をしてきた旅好きの息子が企画して宿や四国内の鉄道を予約し、娘は寝台列車と帰途の便を予約したため、私は何もすることもなく、しかも旅の行く先など何も調べることなく出かけた楽な旅でした。

近年航空機を使用する旅を好まなくなりました。航空機は乗っている時間は短くても、空港までの距離や搭乗手続きの開始時間や行動に意外に時間を要するため、余り効率が良いとは言えず、何よりも定価より安価で旅するためにはかなり事前に予約をしなければなりません。そんな私を知っている息子は、四国行の寝台列車の利用を勧めてきました。

現在、寝台列車はブルートレインと言わず、国内ではサンライズ瀬戸と出雲のみが運行しており、近年の鉄道旅行人気の高まりの象徴として、洗面所付の寝台室は発売の1か月前の緑の窓口で瞬時に売れて無くなるほど大人気だそうです。九州在住の息子とは、サンライズ瀬戸の終着駅高松で会うことにして、ネット手配が得意な娘が部屋がバラバラになりましたがB寝台の予約を無事完了しました。

今回の四国の旅の日程は、前日寝台列車泊、1日目高松から琴平泊、2日目琴平神社参拝後祖谷温泉泊、3日目かずら橋、大歩危峡、徳島泊、4日目淡路島経由神戸から帰宅で、九州に帰る息子とは徳島で別れました。


寝台列車サンライズ瀬戸と出雲は同じ列車で岡山まで行き、そこで出雲行の車両を切り離し、出雲行は昨秋乗った伯備線を経由して備中高梁、米子、松江、そして出雲に向かいます。一方私たちが乗る高松行きは、岡山から瀬戸大橋を渡り坂出に出て、東の高松に向かいます。シーズンによっては坂出から西の松山に直通する観光列車もあるそうです。

サンライズ瀬戸は東京駅発21:50のため、家でゆっくりと夕食を済ませてから、東京で娘と落ちあいます。歳を取ると、夜の東京駅周辺は見たことが無いので広場で夜景を眺めます。東京生まれの繁華街が好きな家内は、時々映画に娘を誘って新しい商業施設は必ずマークしていますが、私は新しい商業施設を見ても何の興味も湧かず煩わしいだけです。

家内と娘の部屋は近く、私の部屋は離れた号車なのでホームで分れました。
実は昔のブルートレインの記憶があるだけで、現在の寝台車の構造は全く分からず、ネットで紹介されていましたが、今回お任せ旅行なので、事前知識のないままに乗り込みました。
窓は上下2面あるので、現在の寝台列車は2階建てであることが判りました。昔のブルートレインは1つの部屋に3段か2段の寝台が左右あり、プライバシーは余りなかったように感じましたが、今の寝台車はどのようになっているのか分かりませんでした。娘が電話で寝台について説明していましたが、頭の中には昔のブルートレインの構造が残ったままなので、話がかみ合いませんでした。

乗車口から入ると直ぐ階段があり、寝台車は上下2段であることが判りました。

階段を上がって通路を進み、切符の自分の番号を確認しながら、ドアを探しました。この時開いているドアから客室が眼に入り、客室が完全な個室であることが理解できました。

自分の番号のドアを開けると、突然「おおナイス!」という感情が込み上げてきました。そこはコンパクトであるけれど、人に気兼ねなく一夜が過ごせる空間が広がっていました。

昔のブルートレインのイメージしかなかったものが、意外にナイス空間であることを知り、発車真近一息入れようとホームに出たら、一人旅らしき女性がSNS用の記念に自分の部屋を撮影していました。この気分は良く判ります。

この時、家内はラウンジでワインを飲もうと娘を誘うために部屋を訪れたら、娘は窓辺にワインの瓶とグラスを並べて気分を盛り上げていたそうです。後にサンライズ出雲が特に一人旅の女性に人気があると聞きましたが、この寝台車は自分へのご褒美が大好きな若い女性たちを旅に誘うのに新しいヒット作だと想います。

洗面所を確認しました。シャワールームの使用料は300円ですが、その切符取得には争奪戦になります。。

発車も近づいてきたので、靴を脱ぎズボンをはき変えてリラックスします。3冊持参しましたが読む気に慣れず、酒も飲まないので、やることがありません。

寝台車の室内灯をそのままにしておくとホームから室内の様子が丸見えですが、消すとホームの様子が、良く見えます。中には寝台車の窓々を凝視しているひともいますが、
極めて希少な人数で大半の人は無関心か、或いは無関心を装っています。
寝台車に乗っていると発車の合図も聞こえず、車内放送も有るような無いような感じで。自分で時間を確認しないと乗降できない印象があります。

娘が言っていました。岡山で出雲行を切り離しますが、その作業を見とれてホームに取り残される人がいるらしく「お父さん注意して」と言っていた意味が解りました。

横浜に着きました。22:15分です。いつも家では10時過ぎに眠るため、そろそろ眠ってもおかしくはありません。


ゴットン、ゴットンとレールの継ぎ目の懐かしい音を聞きながら、いつのまにか熟睡してしまいました。もうすぐ夜明けと想い、窓の覆いを空けると旭日が眼に入ってきました。まさにサンライズです。日の出は4時半ごろなのでもうすぐ大阪です。多分淀川の日の出でしょう。

しばらくぶりで見る大阪の駅前は高層ビルが林立しています。

失われた30年ですが、東京もそうですが、30年前に比較すると主要都市の中心部は高層ビルが林立して高度成長を遂げている印象があります。近年疲弊していると言われる大阪も、地方都市から比べると力強く成長しているように感じます。

瀬戸内の海が広がります。多分須磨辺りでしょう。

神戸を過ぎ明石海峡大橋が見えました。帰途は航空機を避けて、徳島からこの橋を通って神戸に出て新幹線で帰る予定です。

岡山に着きました。6:27分です。大勢の人たちが列車を降りて連結切り離しを見学しています。私の車両は7号車で、そこから切り離しますが、面倒なので降りませんでした。部屋から見ていると発車のベルも聞こえず、娘が言う取り残される人もいると言うのは、冗談でなく事実であることを感じました。

それにしても乗鉄の若者に交じって女性の見学者が多いです。鉄道人気の現われでしょう。

児島を出て瀬戸大橋を渡ります。若い頃仕事で岡山や倉敷、高松に何回か来ていましたが、あの当時は高松直接にはYS11で来て、岡山経由の場合は連絡船に乗って船上で、大してうまくもない讃岐ウドンを食べていました。連絡船は高速フェリーと普通連絡船があり、高速フェリーは便数が少なく四国への連絡には時間がかかりました。
また高松はジェット機用空港でなく、空港の周りに円錐形の山が多く濃霧の時は、降りられず高松上空で2時間近く旋回していたこともあり、四国は遠い場所でした。

坂出に着きました。

坂出は高松、松山方面、宇和島への予讃線や高知、徳島方面の十字路に当たる交通の要衝です。

昔の連絡船は岡山から宇野で乗船し、直接高松港に上陸しましたが、鉄道は岡山から児島を経由して瀬戸内海を渡り坂出から東に高松に戻ります。

8:27分1時間遅れでようやく高松駅に到着しました。深夜熱海付近で貨物列車にトラブルがあり1時間遅れましたが、とうとう遅れは取り戻せませんでした。
しかし前日大雨で東海道新幹線やこの寝台列車が不通になったことを考えると、一日遅れで僥倖でした。

高松駅です。前夜高松まで来て前泊していた息子と駅で出会いました。息子には連絡していませんでしたが、情報収集に長けた息子は列車の遅れも把握していたでしょう。

高松駅に着いたら讃岐うどんを食べようと決めていました。旅好きの息子の案内で駅前のこの店に入りました。人気の店らしく寝台列車を降りた乗客らしい人たちでにぎわっています。

この店のうどんはおいしいですが、何よりも出汁のうまさに驚き、更に上質の油を使った天ぷらもおいしく、しかもリーズナブルな価格で、朝から良い気分になりました。