立山と黒部の旅5、人と自然のかかわり

立山と黒部の5日間の旅が終わりました。

今回の旅では、立山カルデラ博物館や黒薙温泉を訪れることによって、従来山行の手段に過ぎなかった立山や黒部川のアプローチを辿り、図らずも大自然と人間との関わり合いの歴史を理解することができました。
これは立山、黒部、富山を単なる山行の通過点や物見遊山の観光地として捉えることでなく、よりこの地域のことや我が国の自然と水の関わりや治水のことを学び、さらに我が国が歴史の中心に据えて来た水稲耕作と海や漁業に想いを馳せることができました。

特に黒部川の電源開発によるダムと電力確保、電源開発の副産物として工事軌道の敷設や、温泉開発と原野だった宇奈月の街の創造、暴れ川の黒部の治水によって平野を一大穀倉地帯に変え、豊富な電力で世界に冠たるアルミ産業を創出、それらによって地域に豊富な雇用を生み、さらに北陸新幹線を誘致するに足りる観光開発が実現できました。

人の暮らしも歴史も何もない人跡未踏の地に、国土の未来を見つめて黒部電源開発を推進した気宇壮大な経済人たちは、本来国土の歴史は政治で行わなければならないことを、一企業人で行ったという稀有な行為に、歴史の彼方に燦然と輝いています。

黒部のダム管理や発電設備の保守、立山カルデラの治水工事は、現在でも専門家の人海戦術によって行われており、デジタル社会での私たちがスイッチを押すだけで必要なものが得られるデジタル社会と対極にあるアナログ世界です。
全て経済効率、企業の生産性効率がグローバル社会の中で生き残る最良の手段だと声高に叫ばれている現在、大自然とのかかわりは人手をかけて安全かつ間違いなく保守をしていくことが、社会を守る上で一番大切なことかもしれないことも学びました。

自然という言葉の定義は「人手を加えない、もののありのままの状態」を言い、ナチュラルという言葉のように、あたかも手を加えない方が価値があるような錯覚を受けます。
しかし人手を加えないことは放置するという意味で、我が家の庭も1週間放置すると雑草がはびこり、1か月放置するととんでもないことになります。農業も園芸の一部で、自然の森や原野から囲いを作りそこで侵食されないように作物を作ります。

大自然も放置したら、暴れ川は暴れるままに拡大し、下流は大雨の毎に大洪水を起こし、作物どころか人も住めなくなります。

大自然は放っておいては、人間に対して何もしてくれるわけでなく、人間に猛威を振るうだけでしょう。大自然からの恵みを得ようとしたら、何もしないで放っておいても得られるものでなく相当のコストを要します。人間と大自然の関りは、経験することによってしか学べないのです。

その意味で、今回の立山と黒部の旅は、悪天で登山の目的は果たせなかったけれど、山岳という大自然の中に行っても、知り得なかった多くの事を学んだ忘れられない夏の旅になりました。

今年になって連日悲惨なガザについて報道されています。爆撃で荒廃した街の風景は砂漠の砂地です。かってガザの位置するパレスチナは旧約聖書で乳と蜜が流れるカナンの地だと言われました。多分牧畜と果樹と小麦畑がひろがり地中海沿岸気候の世界中でも一番住みやすい地だったと想います。

四大文明の発祥の地の一つチグリス・ユーフラテス川からパレスチナにかけて、世界で最初に農業が始まった地で、世界史では肥沃な三日月地帯と言われていました。
この三日月地帯に位置するレバノンはかってレバノン杉の国で、レバノン杉で作った船で、地中海交易に活躍しローマに滅ぼされたフェニキア人の母国でした。
この三日月地帯には行った事はありませんが、中東戦争が砂漠の戦争と言われていたように、私にとってこの地帯は水が乏しい砂漠のイメージがあります。

これと反面、地球温暖化の影響で大型台風によって水の被害が報道されている我が国は水の国です。水の国という事は国土の60%以上が森におおわれた木の国でもあります。

我が国の古社のほとんどが稲の豊作をもたらす水神で、神仏混交の山寺も鎮守の森の神様も、水への感謝と稲の豊作を願う神様でしたが、人々は神頼みするだけでなく、集団で灌漑水路を開き、自ら鞭を打って雑草を駆除し、またお爺さんは田に堆肥を施すために里山に芝刈りに行き、合わせて肥溜めを作り金肥や家畜の糞で土譲の劣化を防ぎました。水稲耕作は2000年以上も、耕地を放棄することなく村の集団で勤勉に維持してきました。

近年稲作には機械化が進んでいますが、上空から飛行機で農薬を散布する姿は消え、化成肥料中心から再び有機堆肥を施すようになり、世界の小麦地帯の土壌劣化に比べると影響は少なく維持しています。これも山から流れ来る豊富な水が田から余分な成分を流してしまう効果かも知れません。


今回も旅をしながら、美しい青田を数多く見ることができました。自宅近くの青田を見ることと違って、山から列車で下り扇状地を通過して広い平野で見る青田は格別です。山から下るという事はそのまま水の流れを見ながら下ることを意味するからです。

美しい青田を見るとほっとします。まだ日本は健在なのだと。それに最近米不足のニュースもありました。

今回の旅で改めて森林、水と土壌と海のかかわりが我が国の歴史を作って来たし、デジタル化、経済効率化が進んでも森林、水と土壌と海のかかわりは、これからの未来の世の基本であり続けるでしょう。

生きている内に次の世を垣間見た気がしました。



黒薙温泉の母屋です。冬は人が住めないため里に下りますが、冬の間、雪に覆われて家屋が潰れてしまうため、3回ほど訪れて雪下ろしをするるそうです。
冬の間はトロッコ列車も運休するため、対岸に掘られた約7kmのトンネルを自転車で走らせて来ます。

宿について、自動販売機でジュースを購入しましたが、歩きながら気になっていたことを質問しました。
毎日トロッコ列車に荷を積み、黒薙温泉駅から温泉まで一輪車で運ぶそうです。この自動販売機が故障した時は、ここまで運ぶのが大変だったそうです。

この一輪車で毎日食料や日用品を運び、帰りはゴミを宇奈月まで運んでいます。通路は右の細い通路です。

階段の横に設置した滑り米のスジの入った車道に一輪車を乗せて上下します。

黒薙温泉専用の荷物運搬トンネルです。黒薙温泉駅から温泉間の600mの山道はアップダウンが激しいため、一輪車でも資材の輸送は不可能です。このトンネルも掘るのは容易では無かったでしょう。

黒薙温泉の内湯で、ここが黒薙温泉の100%薄めない源泉です。

天女の湯です。高い所から黒薙川を眺めながら入る湯の気分は最高です。

黒薙川の対岸に源泉があり、吊り橋で源泉を引いています。

湯気を挙げる源泉です。もちろんこの吊り橋は進入禁止です。

余った湯は惜しげもなく黒薙川に流していますが、冷たい岩肌に触れると湯気を挙げています。

名残惜しい黒薙温泉に別れを告げます。この宿は私にとって生涯忘れられぬ宿になりました。

黒薙川沿いに位置する黒薙温泉から、黒部川の岩壁に敷かれた黒部峡谷鉄道の駅に行くために、1回黒薙川の崖の上部に登り、そこから斜面に水平に付けられた道を辿り、再び急な斜面を下り駅に出なくてはなりません。

気持ちの良い水平道です。

黒薙温泉駅から、黒薙温泉まで散歩コースになっているため、道はよく整備されています。

岩を削ったりして苦労して道は作られています。

黒部川には一見しても良くわからない施設が目立たないように緑の中に現れます。トロッコ軌道や施設、道管などほとんどが剥き出しにせずトンネルに収納されています。その景観は芸術的とさえ想えます。宮崎駿がこの秘密の光景を見ていたら、1つのドラマができたかも知れません。

眼下に黒部峡谷鉄道の車両が止まっています。この車両の降り返しが予定の列車のようです。

駅に着きました。ここは完全な単線駅ですが、左は黒薙川第2発電所に資材を運ぶ軌道です。

黒部川最大の支流の黒薙川は、第2黒薙発電所と新黒薙第2発電所の2つの発電所がありここから1,7km先にあり、その発電所に行くトンネルです。大型の資材は臨時のトロッコ列車で運ぶのでしょう。

駅で上り線を待っていたら、作業員ばかり乗せた車両が到着し、100人以上の若い作業員の人たちが、降りてきました。写真を撮ろうと想いましたが、物見遊山の観光客が作業のために降りて来た人たちを撮影しては失礼に当たるので、撮りませんでしたが、今になってみれば100人以上の若い作業員の形の動作は機敏で、荷物室から必要な資材を降ろすと一呼吸も入れず集団でトンネルの中に消えて行きました。

車両にはまだ相当数の作業の人たちが、ここで降りずにいましたが、次の発電所のメンテに向かうのでしょう。

荷物車両をけん引しています。大型機械も分解して運ぶようです。

2人の人たちが一輪車を押して進行方向と逆の方に歩いて行きました。もしかしたら温泉への輸送を委託しているのでしょうか。

上りの列車が入ってきました。2人のおばさんたちが列車を待っています。待合室でこの人たち話をしたら、下り一番列車に乗って来てこの黒薙温泉駅の清掃を済ませ宇奈月駅に戻るそうです。どうりで山中の駅なのに落ち葉一枚も落ちていなかった理由が分かりました。

トロッコ列車で宇奈月に向かいます。行きでも見えた地図にもない小さな吊り橋が見えます。黒部峡谷鉄道はこのような施設でも自然の中に溶け込むように目立たなく作られています。

宇奈月ダムで堰き止められた宇奈月湖が見えてきました。立山劔方面の梅雨末期の豪雨を受けて、黒部川の土砂交じりの水が堰き止められています。もしこの宇奈月ダムが無かったらこれだけの水が平野を襲い、たちまち洪水になって実り間地かの青田を全てなぎ倒してしまうでしょう。

連日立山劔でも梅雨末期の豪雨が続いても、何も影響を受けない平和な宇奈月温泉です。

私たちは、毎日続く平安な日々を当たり前と捉え、その平安な日々を誰が維持しているのか、想おうとしません。それは想わないのが悪いのでなく、学習をしないか、させないか社会共通の問題なように感じます。難しい問題ですが。

富山地鉄で北陸新幹線の黒部宇奈月駅に向かいます。意外に黒部宇奈月停車の列車が多く、北陸新幹線では黒部川が重きをなしているように感じます。

昔、長野新幹線が金沢に伸びるために飯山駅が懸命に駅舎を作っていた時を想い出しました。飯山は不便なため長野から北に伸びたたら飯山は一変するかも知れないと期待していましたが飯山、今でも飯山はあまり話題になっていません。飯山の観光開発は失敗になったのでしょうか。

私は山間の川が、山間を抜けて扇状地になり、そこから本格的な平野の中を流れる風景が大好きです。宇奈月からの駅は音沢、内山と続きます。

内山には人家も多いですが、未だ両側から山が迫っていて半分は黒部の河原なので本格的な農地はすくないです。向こうに見える建物は学校ではなく地域の施設の様です。

愛本です。愛本には昭和11年建築の発電所があり、柳河原発電所の完成後建築されました。取水は黒部川の柳川原発電所の水を使用しています。電力は面白いもので発電所でタービンを回して発電した水を、落差のある道管で引き、そこでまた新たな発電所を作り余さず流れる水を使うと言う合理的な考えに満ちています。

この愛本には大規模な変電所があり黒部川で発電した電気を集め、関西方面に送る中継施設です。

愛本は黒部の谷の喉の役割を果たしており、愛本を過ぎると一挙に広大な扇状地が広がります。

黒部川の水や電力の恩恵を受けて、豊かな扇状地が広がっています。

愛本からの黒部川流域で発電した電気が、一直線に送電線に乗って海岸に向かって送られて行きます。

この扇状地では様々な日々の営みが行われているのでしょう。黒部の水が縦横に走る灌漑用水によって田畑を潤します。手前に見える石塔は何なのでしょう。きっと近隣の深い歴史が刻まれているのかもしれません。

扇状地が終わって本格的な平野に入りました。もうすぐ北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅に到着します。

深い黒部の山中の宇奈月から扇状地を抜けてくると、直ぐに北陸新幹線が走り、そこから直ぐに海岸線に出ます。東日本の太平洋岸では大河は平野に出ると三角州を形成し、広大な水田を作りますが、黒部は扇状地がそのまま海岸平野になる特殊な地形です。それだけ黒部川の流れが急峻で一気に海岸まで落ちていて、ここからすぐ先は親知らずです。
改めて黒部川の治水の素晴らしさを垣間見ました。


富山産のお米は富山産コシヒカリが有名ですが、新品種の富富富(ふふふ)がおいしそうです。こんど探して購入するつもりです。