OB会有志長野の宿

昨年6月に行った谷川温泉のOB懇親会に引き続いて、今年は10月6日、7日、長野郊外で行われました。

今年は10月1日から5日まで5日間、穂高涸沢の紅葉見物に連続して、6日、7日と長野に場所を移して参加する予定でしたが、穂高涸沢行きは小屋の宿泊予約が取れず中止を余儀なくされたため、、1週間の連続に成らず体力面では助かりました。

しかし穂高行が中止となり気が緩んだ9月の下旬、庭の雑草取りで長時間中腰で作業をしたため、初めて坐骨神経痛にかかってしまい、治癒のため連日整形外科医に通う羽目に陥りました。今までは腰には自信があり、よほどのことの無い限り腰痛で苦しんだ経験が無かったため、腰痛から発生した片足全体の神経痛はとても辛いものがあります。

この長野行は同行予定の新井兄がコロナ感染のため、少人数のためキャンセルする訳に行かず、、鎮痛剤で痛みを無くしながら、同期の斎藤兄の車に同乗して参加しました。

宿は長野市郊外の山麓にあります。川中島の駅からかなり遠いので車で無いと行けません。

宿の前の風景です。宿は戦前の民家を購入して宿にしたもので、疑似的な野趣でなく本当に山中に暮らす風情がありますが、好みが別れる所です。
宿は山小屋のように人里離れた完全な山中にあるのではなく、山の斜面の林の中の集落の外れに位置しています。


宿の周りには夜になると猪やキツネなどが徘徊するそうです。食材はなるべく自給したいとのことですが、鶏はキツネに襲われるので飼えず、従って卵は購入するそうです。
野菜は畑で自給し山菜は勿論のこと、お客さん用の岩魚は遠く姫川方面の沢まで釣りに行くそうです。

いろりで姫川方面で釣って来た大きな岩魚がいろりで塩焼きにされ、それが売りでした。今回ジビエは用意されてなく代わりに脂ののった信州サーモンの刺身が、とてもおいしく感じました。

まずは大きな岩魚の塩焼きを頬ばります。参加した方々は山小屋、山宿、旅館、海外高級ホテル、などなど豊富な体験の持ち主のため、皆好奇心が強く変わった宿や料理を楽しんでいます。

私は6月に行った四国山中の新祖谷温泉の大きな鮎といろりに座って緊張していたオーストラリア人のグループを想い出します。新祖谷温泉は野趣とモダンが見事に調和された特筆すべき宿でした。

最初に口に含んだナスの煮物の味付けには皆驚きました。家庭菜園では夏茄子に引き続いて秋茄子が沢山収穫でき連夜茄子を食べています。オーナーに調理法を尋ねたら、調理に疎い私でも、途中で冷蔵庫で冷やすとかプロ並みの答えが返って来たので、調理のプロであるオーナーがこの宿を始めたことが分かりました。お浸しもおいしく伺うと野沢菜の間引きした柔らかな苗を使用したとの事でした。

最後は、自家栽培の蕎麦から麺を打った蕎麦もとてもおいしかったです。

昨夜の料理は食べることに忙しく記録しなかったため、朝食を記録しました。宿の朝食としては気合が入っていました。信州サーモンのあらの煮つけもおいしかったです。それぞれ山菜や野菜の解説を受けましたが頭に残っていません。

この辺りの人たちがこの季節普段食べているものを一堂に会して出るために、とても味わい深く感じます。

この宿は温泉かと思ったら沸かし湯でしたが、蓬、ドクダミ、枸杞(クコ)の薬草湯でした。枸杞は茎を使って蓬とドクダミとタオルの袋に入れていました。蓬もドクダミも枸杞も見沼田んぼにいくらでもあるため、今後やってみようと家内と話しました。

玄関の横のカーポートの脇には、オーナーが日常使用する道具が集積されています。私も道具類が好きなので、こういうものを見ると、日常どんな作業を行っているか良く分かります。

こちらは昔使用していた臼や瓶が捨てないでそのまま残っています。石臼は不思議な道具で我が国では縄文時代から使われていたと言われています。多分木の実が主食の縄文時代には必需な道具だったような気がします。また中国でも石臼は使われており飛鳥時代には我が国に渡来しました。

朝現地解散です。大分から参加した広瀬さんはレンタカーで秋田駒に向けて食事直後に出発しました。打矢さんは米国が本拠ですが、日本に4カ所も住まいを持っています。

斎藤兄が良く行く糸魚川近郊の能生海岸のマリンドリームのカニ屋横丁に寄ります。松葉ガニの解禁日は11月6日ですが、かに屋横丁ではベニズワイガニが売られていて、買うとすぐ食べられます。以前は1匹2000円程度ですが、不良で3,800円から4,500円と高価なことと、まだ11時頃でお腹が空いていないため、食事は止めにして、斎藤兄はお土産にベニズワイガニを購入しました。私は11月に家族で城崎温泉に松葉ガニを食べに行く予定です。

このカニ横丁は面白く、私も保冷バックを購入して自分が食べたいものを購入しました。長野郊外では、斎藤兄はリンゴを箱買いしましたが、私はリンゴや栗、ぶどう、柿などザックに入れられる量だけ購入しましたが、これは家内に喜ばれました。

能生には新潟県立海洋高校があります。この高校は歴史が古く明治に創建されました。新大関の大の里は石川県出身ですが、この高校の相撲部で活躍しました。

新潟海洋高校の前身能生水産高校時代の練習船越山丸437トンです。越山の名前は田中角栄の新潟の後援会が越山会という名であり、この練習船の進水は角栄が華やかな頃に名づけられたのでしょう。

現在の練習船は海洋丸299トンです。現在各地に水産高校はありますが、多くは海洋高校と水産高校が合併して水産のウエイトが高くなっています。

遠くに能登半島が横たわっています。

能生町は糸魚川市の北の郊外ですが、この辺りは海岸と山の間はまだ平地があります。富山から魚津を過ぎると海岸即山で、街道は海岸を岩伝いに歩くために、同行者をかまうことが出来ない難所のため親知らずという有名な地名となりました。親知らずは白馬山塊を北に辿る尾根道が親知らずに達します。

山の際に北陸本線が走っていますが、現在北陸道は少し内陸を走っています。