薔薇のエッセイ23、自然が産んだ偉大な高山植物

前回触れたように、私がガーデニングを始めた最初のきっかけは、庭の雑草取りでした。

40代の終わりに引っ越しましたが、夏の終わりだったため、庭では1週間も経ないうちに雑草がはびこりました。家内は引っ越し後の室内のこまかな整理に追われたので、週末になると雑草取りは私の役目になりました。

庭の道具も無かったためガーデンセンターに通ううちに、今まで草花には興味が無かった私が近所の家と同じように草花でも植えようと売り場を眺めている時に、高山植物の雰囲気に似たアメリカンブルーを初め小輪の草花に出会いました。それら草花を大型のコンテナに植え込めば、庭を山や高原の雰囲気にできるかも知れないと考えたのです。

今考えると、その頃前後して父母の死に出会いました。母の葬儀の3年後慌ただしかった父の葬儀を終えて、久しぶりにゆったりと忌引き休暇をとりながら遺品の跡片付けをしていた際、父の写真を見ながらその生涯に想いを巡らせていました。その中に私と同じ歳の父の写真と出会いました。その写真を眺めながら父も今の自分と同じ時があり、その35年後終焉を迎えました。自分も父と同じように30数年後には死を迎えるだろうと、その時はっきりと想い、そして自分の生涯は有限であることを悟ったのです。

その頃は、私も元気で自分の生涯の終わりなど考えた事もありませんでしたが、自分の生涯にも終わりがあることを悟ったことは、その時の自分が生命力において、峠の頂上に差し掛かっているような気がしてきました。

山の峠道と同じように、登りと違って下りは、回りの景色を眺めながらゆったりと下ることができます。その時私も仕事は別にしても、それからの人生は周りの景色を楽しみながらゆっくり下ろうと想ったのです。そんな下り道は唯、山に行って周りの自然を見たり眺めたりするだけでなく、日常世界において自分が手を触れることができる実在感のあるものに接して日々暮らそうと想ったのです。それが身近で生き物を愛でる暮らしだったのでしょうか?
私にとって生き物とは、美しい花であり手のかかる犬でした。

高山植物に似た草花に出会ってから約30年以上、薔薇やガーデニングに没頭してきましたが、ガーデニングをやればやるほど高山植物は不思議な植物だと想ってきました。

園芸植物は、万葉古今の時代から我が国に存在していた品種に加えて、中世宋との貿易で導入された植物、そしてオランダの出島から入って来た大航海時代の植物、そして明治になり導入された植物、さらには現代薔薇のように戦後大衆社会に導入されましたが、未だ我が国の気候風土に完全に土着していない植物があります。
しかし高山植物は我が国の氷河期から生息し、人手の保護を全く受けずに現在でも想像を絶した環境の中で生き続けている不思議さを、いつも手のかかる薔薇と対比してきました。

森林限界を超えた高山に咲く植物は、一年中通して低温の中で、日照も格別良いとは言えず、無風の日はほとんどなく、冬には風雪にさらされ、やがて暑い雪の下にとじ込まれる苛烈な環境の中で、7月、8月、9月の短い生育環境の中で肥料も無く、同じ場所で生き続けています。

我が国の高山に咲く高山植物の起源は、最終氷河期に北極、ベーリング海、カムチャッカ周辺から移動し、氷期が終わっても低温帯の高山に生き続けている遺物で、その存在は奇跡とも言えるでしょう。しかも誰かが栄養繁殖を行っているわけでも無く、昆虫に寄る他家受粉や自家受粉によって、新陳代謝を行いながら今までほぼ同じ場所で生き続けて来たその不思議さは、あまりにも脅威です。

高山植物は天上世界の花々



しかも花の美しさは、同じく繁殖に人手に頼らない雑草とは比べ物にはならず、余りにも過酷な環境の中で、その美しさを見せる期間は余りにも短く、その存在は高貴さを通り越して神々しさも感じます。

高山植物と直接無関係な話に変わりますが、東大寺の廬舎那仏は蓮華の台座に座り、広くあまねく美しい天上の華厳の世界を説いています。
聖武天皇は皇后の光明子と共に、我が国土に華厳世界を樹立しようと、その象徴である東大寺を建立し巨大な大仏を鋳造、さらに全国64ケ国に七重の塔を持つ国分寺、国分尼寺を建立しました。聖武天皇の没後妃の光明子は聖武天皇が愛好した芸術の品々を集め正倉院を作りました。

平安時代東大寺は平氏によって焼かれてしまいました、鎌倉時代に入り、華厳世界の象徴である大仏を再建しようと、聖武天皇と東大寺建立に苦闘した僧行基を尊敬していた僧重源は東大寺再建の勧進元となり、白河上皇や頼朝初め多くの人々を動かし、弁慶の勧進帳伝説まで産んで東大寺大仏の再建を果たしました。今でも毎年の東大寺二月会において、最大の寄進者の頼朝の名が一段高く唱えられるそうです。西行晩年のみちのくへの最後の旅は、頼朝に寄進を願い、遠い親戚である奥州藤原氏への勧進が目的でした。

15年前、初めて畿内に足を踏み入れ寺社訪問の旅を始め東大寺、興福寺、高野山を訪ねた時、私は既に薔薇やガーデニングを20年以上行っていました。その時花に興味が無かったら大仏様の台座の蓮華まで注意が及ばなかったと想います。帰宅して調べてみると大仏様の蓮弁は華厳宗の世界観を表しており、大仏を建立する意図が、聖武天皇の華厳世界の実現であることが分かりました。

大半の歴史書を見ると聖武天皇は藤原兄弟の中で自己の意思を通せず、都も定まらず移動していた意志の弱い天皇という解釈が大部分を占めていましたが、改めて華厳世界の実現という観点に立ってみると、大仏の建立、全国の国分寺、国分尼寺の建立、律の確立のために鑑真和上の招聘など聖武天皇が聖徳太子を引き継いで我が国を仏教国家にしようとした歴史に果たした意味が解ってきました。
また東大寺勧進元の重源を調べたら安部文殊院の渡海文殊の意味も分かり、更に聖武天皇を研究していただろう源頼朝の鎌倉幕府開設が、比叡山の法師の強訴で朝廷の勅旨が撤回されるインカ帝国のような古代国家から、法を基本とした近代国家に生まれる基となったことが解りました。
一般的な歴史書では聖武天皇に並んで源頼朝も歴史評価は著しく低いですが、政治を権力闘争の覇者としてでなく、国土を理想的な世界に近づけようとした統率者では、私は聖徳太子、聖武天皇、源頼朝の思想とその行動ラインは第1級だと想っています。

ここで再び高山植物に戻りますが、アルプスの天上世界に乱れ咲く高山植物を見ていたら、蓮華が咲き乱れる華厳世界を容易にイメージできたかも知れません。
仏教の故郷インドでは現実の美しい花は蓮華であり、我が国でも広い池に蓮を浮かべて天上世界をイメージしていますが、改めて北アルプスや北海道大雪山塊の天上の稜線に咲く高山植物の群落の画像を眺めていると、蓮の花よりより容易に華厳世界が想像できるような気がします。
かって古代の人々が蓮華の群落を見て、天上の華厳世界を夢見たことに比べると、花の種類など情報量が圧倒的に多いにも関わらず、現代の私たちの美的感覚は余りにも即物的になってしまったように想います。


高山に咲く草花は、悠久の歴史どころか、人の手で歴史が書かれるはるか以前から存在した草花です。人の手に関わることなく気が遠くなるような年月を経て、今でも天上に広がる高山植物を見ると、自然の中に人智を超えた神の手がかかっているとしか想えないでしょう。

3,000mの天上には、神の手がかかっているとしか思えないような大自然の神々しい世界をまじかに見ることができるのです。

高山植物はどうやって氷河期から生き残ってきたのでしょうか?

薔薇のエッセイに高山植物について触れた意味は、高山植物は人智を超えた神の手が掛かっているように想え、日々の暮らしにそれに似た雰囲気の草花と接することよって、似ても似つかないものの天上世界の花の美しさのほんの一部でも体験したいという欲求のような気がします。

高山植物と薔薇とも共通項があります。それは薔薇の満開時の美しさは、神の手がかかっているような気がするからです。

最終氷河期、カムチャッカ半島からやってきて北アルプスに根付いたチシマキキョウ(千島桔梗)やイワキキョウ(岩桔梗)。千島列島に行けば海岸に生息しているため、この名が付けられたのでしょう。チシマキキョウとイワキキョウの相違は額片がノコギリ葉があるかないかの細かな相違で、この画像はイワキキョウでしょう。
かって学生時代夏の北ア縦走で、3,000mに近い砂礫の稜線の岩陰に咲くこの美しいブルーの花を見かけた時、一瞬疲れが飛ぶような気がします。

高山植物のお花畑ではいのちの祭典が繰り広げられています。

学生時代夏に浴びるほど高山植物に触れていたのに全く気がつかず、歳を経た山行の際高山植物に出会って初めて気づいたことがありました。

50代の終わり登山を再開し前年に行き続いて7月の3連休に白馬から朝日を目指しました。私は未だ現役だったので山行は、梅雨明けが確実な7月下旬ではなく海の日の3連休しか休みが取れませんでした。白馬の登りもあいにく梅雨末期の雨天で、翌日の雨模様の三国境で、予定通リ朝日岳に行くか蓮華温泉に下山するか議論しましたが、結局前年と同じく大池から蓮華温泉に下ってしまいました。朝日岳からの下山で増水した沢を渡らなければならず、もう一日休みが取れれば朝日小屋で様子を見ることが出来ましたが、3日間だけの休みで仕事で行程を伸ばすわけには行かず、安全な蓮華温泉に下りました。

小蓮華岳から下山の途中、日本海の前線の雲が上がり、見る見るうちに梅雨が明けて行く瞬間を体験しました。梅雨明けの瞬間は、前年の大池や後年八方池で体験しましたが、日本海の前線の雲が去っていく風景は、未だ目に焼き付いています。

高山植物は、夏空、岩稜、雪渓、砂礫とセットで梅雨明け後の夏の稜線を彩りますが、その多くは花の咲く輝く時期は、梅雨明け後のたったの10日間足らずです。

白馬小蓮華岳の下り、手前の尾根は白馬主稜、その奥は杓子尾根と小日向尾根、一番奥が八方尾根です。

夏山、特に梅雨明け直後の北アルプスには輝かしい独特の雰囲気があります。多分3000mの稜線には春と夏が同時に訪れ、たった一ヶ月の短い期間に、植物、花、虫、小動物などがそのいのちの全てを燃焼させるからでしょう。

学生時代梅雨明け直後から、持てる体力を限界まで駆使して荷を担ぎ、白馬~穂高とか劒から穂高など毎年北アルプスでの長期縦走を行っていましたが、私たちも多分、重荷で体力の限界まで駆使しながら、この短い命の祭典に参加していたのでしょう。

小蓮華岳の下り、後方は雪倉岳と朝日岳 今や画像の仲間の1人は亡くなり、2人が病気療養中です。 我々の2度目の青春の画像です。



白馬から三国境へ下っている時、突然、エーデルワイスの歌が湧いてきて思わず口ずさんでしまいました。

雪は消えねど 春はきざしぬ 風は和みて 陽は暖かし
氷河のほとりを滑りてゆけば 岩陰に咲くアルペンブルーメン
紫匂う都をあとに 山にあこがる若人の群れ

エーデルワイスの花ほほえみて 鋭き岩角金色に照り
山は目覚めぬ夏の朝風  乱雲おさまり夕空晴れぬ
命のザイルにわが身をたくし 思わず仰ぐアルペングリューエン

法大山岳部の部歌であるこの歌は、アルペンブルーメンとかアルペングリューエンとか大人になって初めて知るドイツ語の単語も新鮮で、岳への若々しい悦びを唄った名歌でした。夏のアルプスは幾つになっても私達をそんな気分にさせてくれる場でもあったのです。

  




真の高山植物は森林限界以上の高地でしか生息しない。

高山植物は木と草花や苔や地被類がありますが、ここでは学術的なジャンルを語っているので無いため、高山に咲く草花(小低木も含む)について簡単に触れたいと想います。

標高が上がるにつれて植生が垂直分布で変化していきます。分布を大まかに分けると、海抜500~600mの丘陵帯、標高500mから1,500mの低山帯、標高1,500~2,500mの亜高山帯、標高2,500m以上の高山帯で、標高の境界は巾があるものの標高に従って垂直方向に植生が変化していきます。

一般的に高山植物と呼ばれている草花(小低木を含む)は亜高山帯、高山帯に生息しますが、私の頭の中には、標高2,500m以上の高山帯に見られる草丈の低い小輪の草花を高山植物、1,500~2,500mの亜高山帯で見かける植物は、いわゆる山野草と分けて考えています。

しかし山岳によって高山植物の中には亜高山帯上部で普通に見られることもあり、また山野草と称している草丈の高い植物も、高山帯で見かけることもあるため、分類は厳密ではありません。
また山野草の中でも標高1,000mの低山帯に生息している植物も多く、種類が膨大で、撮影しても特定が困難な事が多いです。

高山植物や山野草は自然公園法、県立自然公園条例などで採取が禁止されていますが、園芸種の竜胆やワレモコウなどは切り花で売られています。

天上世界の高山帯に咲く花(標高2,500m以上の高山帯)

いわゆる高山植物と言われる草花です。高山植物を代表する咲き方はお花畑といわれ、同一草花が群落をなして広がって咲く姿です。

群落は残雪の水が豊富に流れ込んでくる湿潤な池の畔や広い窪みに発達します。また砂礫上の地でも、雪渓が溶けた後次から次へと顔を出す群落もあります。

高山植物は、強風の斜面に生息することから草丈は低く、多くは地面を這って横に広がります。また草丈が若干高い高山植物も、それぞれの細い茎同士をいたわりながら、まとまって強風に耐えています。

砂礫を好む高山植物は岩の間の窪地に、他の植物の干渉を控え、それぞれ長い根を伸ばし単独で生息します。長い根を伸ばす性質のため、群れをつくらず単独で岩角の窪みに咲く姿は、いかにも孤高を愛する高山植物の典型として美しいものがあるのです。

森林限界を過ぎて這松帯に入るといわゆる山野草でない本物の高山植物が現れます。
こういう景色は下界では決して見られず、まさに天上の楽園の感があります。若い時こういう光景を見てしまうとその感激から中々離れられなくなるのです。

ハクサンイチゲ(白山一花)キンポウゲ科の群落です。

子孫繁殖維持のため高山植物は短い期間、めいっぱい美しい花弁を広げ、昆虫を呼び寄せ受粉を委ねます。花も昆虫も必死です。
ガーデニングを行うようになって、高山植物の美しさが繁殖のためだと分かりました。
こうやって氷河期から人の手を借りず、繁殖し続けているのです。

人間に媚びを売らない孤高の姿勢は、園芸種に無い野生の凄さと美しさを感じ、まさに感動的です。

シナノキンバイ(信濃金梅)キンポウゲ科のようです。森林限界を越えると山上には、真夏でも雪田が残り、窪地には雪解け水を集めた池が広がります。そうした水分の多い窪地には、高山植物がカーペットのように群落をつくります。

高山植物の群落をイメージして始めた私のガーデニング

高山植物に似た美しい小花を身近で育ててみたいと想ったのが、私のガーデニングの始まりでした。30年以上前の出来事でした。

ソライロでない濃いブルーの小花の高山植物のイメージはアメリカンブルーで代替えしました。

このハクサンイチゲのシンプルな美しさは、似てはいないけどノースポールで見立てました。

高山のナデシコのイメージはダイアンサス(カラーマジシャン)で見たてました。

この当時小輪のビオラは品種が少なかったので、中輪のパンジーでお花畑に見たてました。

やがて丈の高い宿根草を植え、狭い空間に高原のイメージを試みました。

DIYでパーゴラをつくり空間演出を試みましたが、やはり空間を埋めるためにシュラブローズに眼を付けました。
このころから私の薔薇が始まりました。

デジカメを購入したのが2,001年ですから、以上の画像は全てフィルムカメラで撮ったものです。

代表的な高山植物の数々

標高2,500mを超えると岩石の風化が少なく、いわゆる土の部分がないため、高山植物の多くは砂礫と言われる土壌で生きています。
栄養と水分が少ないため草丈は低く、葉も小さく花も小花ですが、昆虫に受精を促すために、それぞれ特徴のある美しい花が多くなります。砂礫の中で根を深く巡らす植物は単独が多いですが、雪渓の窪地で咲く植物は群落状に広がります。その多くは雪渓の下で多量の雪の水分を吸って成長し、雪渓が溶けると一面に姿を広げ光合成に精を出すのです。高山植物の命は短くたった10日間花を咲かせ、同じく命の短い昆虫によって受粉します。

コマクサ(駒草)は馬の貌に似ているため名づけられましたが、高山植物の女王と言われ、完全な砂礫地で根を深くはり生息します。学生時代、北アルプスでコマクサは単独ではよく見かけましたが、群落は針ノ木岳ぐらいしか見ることはできませんでしたが、現在は北アルプス以外で積極的に繁殖を行っているようです。八ヶ岳の根石岳は根石山荘が積極的に繁殖しているため、見事な風景を作っています。池之平湿原でも砂礫地に繁殖を行っていました。

ミヤマキンポウゲ(深山金鳳花)の群落です。ミヤマキンバイ(深山金梅)とシナノキンバイ(信濃金梅)とは画像では似たように見えますが、ミヤマキンバイ(深山金梅)はバラ科、シナノキンバイ(信濃金梅)はキンポウゲ科の植物です。高山の岩角の影に風を避ける様に低く咲いている丈の低い黄色の花でイチゴのような丸みの葉はミヤマキンバイ(深山金梅)です。草原でやや丈が長く群落をなして咲くのは、シナノキンバイやミヤマキンポウゲで、共に北アルプス以外の亜高山帯でもよく見かけます。

これはミヤマキンポウゲ(深山金鳳花)です。ミヤマキンポウゲとミヤマキンバイは画像では同じに見えますが、実際には印象はかなり異なるのです。

高山種はミヤマキンポウゲ、低山に咲くのはウマノアシガタと区別しています。ウマノアシガタの名は根生葉の形状が馬の蹄に似ていることから名づけられています。またミヤマキンポウゲの花は八重咲きで

    

バラ科のミヤマキンバイ(深山金梅)です。裂けめの無いイチゴのような丸みのある葉で、花も野生薔薇のようにシンプルで、キンポウゲに比べると野生の匂いがします。

同じくバラ科のチングルマ(稚児車)です。私はミヤマキンバイ(深山金梅)とこのチングルマ(稚児車)を見かけるといよいよ高山に来たなという感じがしてきます。

私は同じバラ科のチングルマ(稚児車)とミヤマキンバイ(深山金梅)は高山植物の代表と想っています。

雪渓のほとりの高山植物は絵になります。ハクサンボウフウ(白山防風)の群落です。セリ科の散形花序の花は数が多く、特定しずらいのですが、ハクサンボウフウは丈が30㎝と低く、比較的高山に咲きます。この画像も白馬大雪渓が終わった標高2600m地点で撮りました。

ツガザクラは岩場や雪渓が溶けた地面に顔を覗かせます。ツツジ科の小低木で地を這うようにカーペット状に横に広がります。大雪ではメインの高山植物です。
しかし小低木ゆえに横に低く拡がり高山植物の草花のようですが、針葉樹のような肉厚の葉が生茂った姿は、可憐さにかけるようで、惹かれることは少ないです。

アオノツガザクラです。花色以外ツガザクラと同じです。格別目立つ美しさではないので良く見落とします。似たような園芸種があったとしても多分植えないでしょう。

平地に比べると、高山や亜高山帯では青の花の発色が濃くなり素晴らしくなります。英国の草花のブルーの色が濃いのは、英国が緯度で言えば寒帯に属するためでしょうか?

チシマキキョウ(千島桔梗)キキョウ科の群落です。



シナノオトギリ(信濃弟切)オトギリソウ科。

オトギリは生薬になり鎮痛や創傷に効果があります。シナノオトギリ、イワオトギリがあり、弟切の物騒な和名は、平安時代ある鷹匠が、鷹を治療するため、この草から作った薬草を秘伝にしていましたが、弟が他人に漏らしてしまったため、弟を切り捨てたという言い伝えから名が生まれました。

イワツメグサ(岩爪草)ナデシコ科。葉の形が猛禽類の脚の形に似ていることから名づけられました。岩角に単独で生息しています。
お花畑の群落も良いですが、このように岩角に単独で咲く高山植物も大好きです。このようなすっきりした草花が園芸種にあればいいなと想います。

ガーデニングで私は小花が好きで、山野草には手を出しませんが、今まで園芸種で売られてきた小花の草花は一年草や宿根草問わず、見ると欲しくなってほとんどコンテナに植え込みました。ある時種子売り場でルコウソウの写真に魅せられて種子を購入してきましたが、それを見た家内が秋になったら見沼田んぼに行けば、雑草としていくらでも茂って咲いているのにと笑われました。

鮮やかなピンクの高山植物は緑の中でよく目立ちます。イワカガミ(岩鏡)イワウメ科は、コイイワカガミ(小岩鏡)ヒメイワカガミ(姫岩鏡)など大きさに応じて品種が別れます。
岩場で生息し光沢のある葉が鏡のようだということから名づけられました。可憐な姿に惹かれます。小型の花ですが昆虫を惹き付ける複雑な姿と深みのある花色がとても魅力です。

ヨツバシオガマ(四葉塩竈)ゴマノハグサ科。江戸時代の本草学者たちは大いなる想像力の持ち主でした。
高山植物や山野草は和名を理解しないと覚えられません。アツモリソウなどその典型でしょう。
このヨツバシオガマもカタカナでは何も分かりません。和名のヨツバ(四葉)はその通りですがシオガマ(塩釜)も意味は浜で美しい塩釜海岸の意味で、「花だけでなく葉まで美しい」ことから名づけられました。江戸時代本草学者で塩釜海岸を見た人は少ないのに、想像力は豊かでした。

ゴゼンタチバナ(御前橘)ミズキ科。画像では花は大きいですが、実際は小さくビオラ程度です。白山で発見された高山植物で白山のピーク御前峰のミカンに似た花と言う意味で名付けられました。ゴゼンタチバナの美しさは花よりもむしろ葉の紅葉で、ゴゼンタチバナの群落が紅葉した姿は、ナナカマドの低木の紅葉と相まって高山の草紅葉の紅葉の象徴です。
高校時代登山を始めてからさまざな紀行文を読みました。その中で山の紅葉を表現する時、ゴゼンタチバナの名が良く出て来ました。その後紅葉の季節になるとゴゼンタチバナはどのような木だか調べましたが樹木図鑑に掲載されていませんでした。その後、高山植物図鑑でゴゼンタチバナを見つけましたが、ゴゼンタチバナの葉の紅葉に触れた著作は見かけた事はありません。ゴゼンタチバナは山でも目立たない高山植物で、まして草紅葉で輝くことなど今は知られていません。
こういうことにも流行があるのでしょうか?

ルップソウ(得撫草)オオバコ科

千島列島ウルップ島で採集されたことから名づけられました。氷河時代の生き残りで、日本では白馬と雪倉、八ヶ岳の硫黄と横岳周辺、そして礼文島と空知しか生息していないと言われます。青い花は高山や緯度の高い地域の独壇場です。

ウルップ島の名は雪山の天幕の中で天気図を書く時、記憶していました。

ミヤマオダマキ(深山苧環)キンポウゲ科

ダマキ(苧環)とは、花がカラムシ(苧)や麻糸を巻く道具に似ていることから名づけられました。高山植物の魅力は、何といってもブルーの深い色合いを楽しめる植物が多い事です。英国は緯度が高いため青の発色の良い植物が多いですが、我が国の平地では同じ青でも薄くなってしまいます。しかし高山では、このオダマキもリンドウもマツムシソウも素晴らしい青色を見せてくれます。

    

タカネウスユキソウ(高嶺薄雪草)
ウスユキソウにはいわゆるエーデルワイス系のミネウスユキソウ、ヒメウスユキソウなどもあり、このタカネウスユキソウはエーデルワイス系でなくヤマハハコ系です。エーデルワイス系のウスユキソウの花は星形になりますが、このヤマハハコ系のタカネウスユキソウはヤマハハコそのものです。
ヤマハハコ(山母子)といえば雑草のハハコグサ(母子草)を想い出してしまいます。エーデルワイス系とハハコグサ系は余りにもイメージに大きな差があります。

でも高山の岩角に咲くハハコグサ系でも、美しい銀葉と小ぶりの花はおしゃれで、園芸種にあれば最高の寄せ植えの脇役を演ずるでしょう。

コバイケイソウ (小梅蒐草)ユリ科

蘭の一種ケイランを連想して名づけられました。私はコバイケイソウやミズバショウなど湿地で巨大に咲く植物は好きでありません。コバイケイソウには学生時代北アの縦走中、驚かされた記憶があります。針ノ木から岩小屋沢の標高が低い稜線を先頭で歩いていたとき、カーブした登山道の眼の前に突然私の半身ぐらいの巨大なコバイケイソウが現れたことがありました。それ以来嫌いになったのです。大出原で撮影。

常念岳ピーク下に生息していたコケモモの群生です。雷鳥の親子を眼で追っていたらコメモモの群生が目に入ってきました。種池周辺にもコケモモが群生していますが、他の小動物が多いのかほとんど実はたべられています。園芸種のクランベリーはツルコケモモのことです。

クロユリ(黒百合)は丈が低く、百合のくせに森林限界以上の草原の中に、隠れて咲いています。クロユリといえば、越中での、佐々成政のおぞましい伝説がありますが、これはあまり一般的ではありません。むしろ私が神殿の時流行った「君の名は」の第2部の主題歌で織井茂子が唄う黒百合は恋の花で始まる「黒百合の歌」がクロユリのイメージを作ったと想います。

亜高山帯の植物(標高1,000から2,500mで咲く山野草)

亜高山帯に咲く高山植物は多くは山野草の仲間として園芸種として売られているものが多いです。
山野草の仲間は標高の低い丘稜地でも沢山咲いており亜高山帯の植物と定義しにくいジャンルです。
ガーデニングで使用する宿根草の中には外来種の宿根草も多く、高温多湿の我が国の環境では宿根する品種は多くありません。しかしガーデニングの園芸種の宿根草の中でも山野草系は比較的宿根しますが、気温や湿気、風通しなど栽培環境によっては、枯れてしまう品種も多いです。

亜高山帯で咲く植物は、山野草として園芸愛好家に好まれていますが、種類が多く特定が困難です。ただし亜高山帯の植物は夏だけでなく初秋まで咲いているものが多いため、登山中は楽しめますが、高山帯の高山植物のように花期も長く緊張度に欠けます。

亜高山帯の植物、いわゆる山野草は樹林帯の中に咲いています。

ミヤマアキノキリンソウ(深山秋麒麟草)キク科 この花はむしろ夏の終わりから9月にかけて多くの高山で咲きます。8~9月にはどこの高山に行っても登山道の傍らで見かけます。

八方尾根のシモツケソウ(下野草)には圧倒されてしまいます。私はアスチルベが好きなので、このように穂状に咲く草花には惹かれます。小低木にシモツケ(下野)があり、戦場ヶ原ではメインでさく小低木ですが、シモツケソウは小低木でなく山野草の仲間です。

白山の中腹に大量に咲いているマツムシソウ(松虫草)マツムシソウ科、の青の発色はすばらしいです。全く同じ園芸種では花色は空色になってしまいます。

マツムシソウは氷河期の生き残りでなく丘陵地から高山に登って行った山野草です。

ノアザミ(野アザミ)キク科。は高地でよく見かける山野草です。野に咲くアザミと同じで、丘陵地から高地に上って行った山野草の仲間です。

アザミはいろいろ種類があり特定するのが大変です。首を垂れて咲くか、上に向かって咲くかの2種類あるようです。これは白山で撮ったから上を向くハクサンアザミにしました。でもアザミはアザミですからマニアックにならないで、単なるアザミでも良いと想います。

タカネナデシコ(高根撫子)ナデシコ科、園芸種でナデシコは、花弁が切り裂かれた河原ナデシコ系と花弁がまとまったダイアンサス系の撫子があります。山野草のナデシコは河原ナデシコ系で画像のように花弁が美しく切り裂かれています。高地でよく見かける花はノアザミ、このナデシコ、ハクサンフウロの3種が多いように感じます。

タカネナデシコは古来から親しまれている秋の七草のカワラナデシコ(河原撫子)の高山版で、その違いは細かく苞が2対か3対以上かで見分けるそうです。でも私たちは植物学者でないので、高い場所で見かけたらタカネナデシコでだと想っても良いのはないかと考えます。ダイアンサスはナデシコの学名から来た園芸種ですが、花はカーネーションタイプで四季咲き性を持ち、今やカワラナデシコタイプの切れ込みのある花は少数派になってしまいました。 


ハクサンフウロ、フウロソウ科の和名は(白山風露)や(白山風炉)の2種があり近年では大半が(白山風露)の和名が使われています。
しかし私は江戸時代本草学者が白山に分け入って、この花を見つけ、その風にそよぐ風情から茶の湯の季節の風炉と名付けたのだと想います。本草学者たちは生薬探しの合理的な目的だけで山に入ったのでなく、この世の美しい小物を求めて山に入り、ヨツバシオガマやハクサンフウロに風炉と名付けるような風流人たちだったと想います。

フウロソウの園芸種に英国産の草花でゲラニウムがありました。英国では濃いブルーで素敵に咲きますが、我が国では色が薄く余り見栄えはしません。それより梅雨の湿気に弱く、初夏は良いのですが、梅雨に入ると無残で秋までも持ちませんでした。


オヤマリンドウ(御山竜胆)、竜胆は生薬の竜胆(りゅうたん)として消炎、解熱、利尿などに用いられたことから和名が付けられました。
リンドウには茎の先端に花を付ける種と茎の途中と先端に花を付ける種があります。切り花種は茎の途中に花を付けるエゾリンドウ系が多いです。

以前は秋になると父の日用として園芸の鉢物が出回ります。岩手乙女という美しい品種がありましたが宿根しませんでした。

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エゾリンドウ(蝦夷竜胆) リンドウ科リンドウ属 多年草

池の平湿原には、ヤナギランに代わって、ブルーのエゾリンドウやオヤマリンドウがが群生していました。茎から伸びる葉の脇に何段か花を付けるのがエゾリンドウで、通常切花で売られているリンドウはこの園芸種です。家内は、昔出かけた菅平高原の根子岳の中腹でリンドウが群生しているのを良く憶えていて、それ以来だと話していました。私もリンドウがこんなに群生しているのを見るのはそれ以来です

オンタデ(御蓼)タデ科です。以前は立山の室堂で大株になっているこの植物をよく見かけました。山から帰って家の近所をウォーキングしていると、このオンタデに似た雑草がそこかしこ生えています。舗装した僅かな端の隙間から大株になってのさばっている姿は、生命力があるなと感じます。

先日御岳の噴火後の報道を見ていたら、山頂直下の山小屋の人が火山灰に覆われた斜面から、最初に芽をだしてきた植物がオンタデと言っていました。それを見た時、家の傍の散歩道のアスファルトの隙間からオンタデに似た雑草がのさばっているのもむべなるかなと想いました。

ヤマホタルブクロ (山蛍袋) キキョウ科ホタルブクロ属 多年草

ホタルブクロは丈夫な多年草で以前庭に咲いていましたが、バラを植えるため移設しましたがやがて消えてしまいました。ヤマホタルブクロはホタルブクロの山版で、林の中でひっそりと咲いている姿は中々の風情です。

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ヤマシシウド(深山猪独活)  セリ科シシウド属 多年草

このセリ科の散形花序の植物は、後で写真だけで特定しようと想ったら困難を伴います。大型種ではオオハナウド、ミヤマシシウド、オオサカモチなどがあり、写真では見分けが付きにくいのです。今回は1種類でしたから悩みませんでしたが、白山では困りました。

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 ワレモコウ(吾亦紅) バラ科ワレモコウ属 多年草

ワレモコウが風にそよいでいる姿を見ると秋だなと感じます。ワレモコウは極小花が穂状に集まって上から諄々に開花しますが、実際は花弁はなく萼片の集合体を鑑賞している訳で、実際に花が終わってもそのままの形で維持するために、いつまでも同じ形で見られます。写真も実際に花が終わっていますが、枯れても風にそよいでいる姿は風情があります。ワレモコウは切花で良く見かけます。

ハクサントリカブト(白山鳥兜)キンポウゲ科

白山鳥兜のブルーは実に見事な色です。園芸種でも昔からブルーの花が好きで、デルフィニュウム
千鳥草、ニゲラ、ロベリア、ネモフィラ、などの花を楽しんでいます。

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ミヤマトリカブト(深山鳥兜)キンポウゲ科
ブルーの色が美しいトリカブトは毒の草とは誰も想わないような優雅な姿で咲いています。白山のトリカブトは大型でしたが、ここのトリカブトは小型で
余計優雅に感じます。

ツリガネニンジン(釣鐘人参)です。光線の加減でブルーが良く出ていません。青い花が好きでつい写真を撮ってしまいます。

ハクサンシャジン(白山沙参)です。ツリガネニンジン(釣鐘人参)の高山型です。花の色や大きさは自生地によって変化するようで、鳥海の見事なハクサンシャジンです。

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ソバナ(岨菜) キキョウ科ツリガネニンジン属 多年草

小田代ヶ原の囲む道の暗い斜面にコバギボウシと一緒にひっそりと咲いていました。ツリガネニンジンと想って撮影しましたが、高度が低く様子も違うので帰宅してから調べたら、ソバナという植物と知りました。ツリガネニンジンと花はそっくりですが、花の付き方が輪生か単独かで見分けるそうです。岨は切り立った崖の意味で、多くはそういう場所に自生しているのでしょう。でも細かい事は言わず、この花を見かけたらツリガネニンジンと想います。 シャジン(沙参)とはツリガネニンジンの根を乾燥させた生薬のことだそうです。

ヒメサユリ(姫小百合)福島、山形、新潟の深山にしか出会うことの無い希少品種ヒメサユリです。

ニッコウキスゲ(日光黄菅)キスゲ亜科 別名ゼンテイカ(禅庭花)

余りにも有名な高山植物ですが、切花で有名なヘメロカリスは、ニッコウキスゲの学名で、キスゲの改良種であることは、余り知られていません。カンゾウ(甘草)も漢方薬の主要材料ですが、これもキスゲの仲間です。

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コオニユリ(小鬼百合) ユリ科ユリ属 
多年草

別名萓百合。緑の草原の中にオレンジの美しい姿を覗かせて咲きます。ユリはやはり存在感があります。ヨーロッパでは花の中でも薔薇と百合は別格で、中世から様々に描かれています。乾燥した鱗茎を煎じれば、解熱、咳止め、利尿、滋養強壮など薬剤になるそうです。

この白い花は山アジサイそっくりでした。帰宅してからムシカリという名の木であることを知りました。山紫陽花にしては時期が早すぎると想いましたが、あまりにも美しく印象深い花でした。




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ムシカリ(虫狩) スイカズラ科ムシカリ属 落葉小高木

別名オオカメノキと言います。昨年6月初旬、穂高に行った際、涸沢への路すがら山アジサイみたいな白い花を咲かせている木の群生を見ました。後で調べたらムシカリと言い、虫が好んで葉を食べることからこの名が付いたそうです。映画「剱岳点の記」で初めて剱岳の登路の偵察の帰途、浅野忠信が奥さん役の宮崎あおいにこの枝をみやげに持ち帰ったシーンがありました。 

ナナカマドの実 (七竃)ナナカマドは燃えにくい木のため7回竃に入れても燃えないところから名づけられました。

ニワトコ(庭常) スイカズラ科
通常2~6mの落葉高木ですが、標高2000mにも見られるそうです。
西洋種のニワトコはエルダーと呼ばれる広葉樹です。エルダーは加工しやすい材で、我が家の手作り家具の素材はエルダーです。

明神から徳沢にかけて新緑の季節の道端には二輪草の群落が拡がっています。

クガイソウ(九蓋草) ゴマノハグサ科クガイソウ属 多年草

小田代ヶ原に群生していて、ブルーの長い穂が目立ちます。九蓋草又は九階草と言いますが、この名の言われは葉が茎の1箇所づつ四方に輪生していて、それが九段になっていることから九階草と呼ばれ、後に九段の蓋のようだとして九蓋草になったそうです。学名を見るとVeronicastrumとあり園芸種のベロニカの仲間であることが判ります。 

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チダケサシ(乳蕈刺) ユキノシタ科チダケサシ属 多年草

チダケサシという耳慣れない名の山草ですが、学名を見るとアスチルベとあり、了解しました。アスチルベは大好きな花の1つでイングリッシュガーデンの定番のアスチルベは日本原産のアワモリショウマ(泡盛升麻)と中国原産のオオチダケサシの交配種で、ホスタ(ギボウシ)と共に日本に里帰りした植物です。
チダケサシ(乳蕈刺)は信州地方で乳蕈という食用のキノコを採集する際、この草の茎に刺して持ち帰ったことから名付けられたそうです。
ショウマ(升麻)という名はサラシナショウマの根を漢方薬の升麻にすることから名付けられ、トリアシショウマとか似たような花があります。近所の散歩コースに6月になるとアスチルベに似た花を咲かせる雑草があり、その雑草の名は判りませんが、いつもなんとかショウマがあるなと、想っていました。 

 

キヌガサソウ(衣笠草)
ユリ科ツクバネソウ属多年草
私の衣笠の言葉からは1)元カープの衣笠選手の名、2)旧帝国海軍重巡洋艦青葉型の衣笠を連想します。重巡は山の名を艦名にしているので三浦半島の衣笠山から名づけられています。
本来の衣笠の名は、貴人に後ろからさす、柄の長い絹の傘を指すようです。この花のゆったりした葉の姿を見て、誰が名づけたか知りませんが、教養ある人が名づけたのでしょう。この植物を見るだけでも我が国は文化の香り高い国だと感じます。