見沼田んぼ全周34㎞ (内20㎞桜回廊)全コース散策その1、東大宮駅~さいたま市立病院(約13㎞)

見沼田んぼは下図のように見沼代用水が西縁と東縁に流れ、それぞれの土手には桜並木になっています。この馬蹄形の緑地は首都圏最後に残った広大な緑地帯で、用水の西縁、東縁の土手の延長は約34㎞に及んでおり、内約20㎞が年季の入った桜並木になっています。

今まで中間起点のさいたま市立病院から東浦和、或いは新都心まで桜回廊を散策しましたが、今年は全コースを3日間に分けて歩こうと試みました。
しかし天候不順な今年の桜の季節、雨天を避けたため2日連続し間をおいて散策しました。
スタートは桜回廊西縁の北端の東大宮からさいたま市立病院、2日目はさいたま市立病院から東浦和、最終日は東浦和から東縁を辿り最終地大宮七里公園としました。。
それぞれの歩行距離と休憩を含む所要時間は、初日約13㎞約5時間、2日目約8㎞約3時間、3日目約13㎞4時間半で、1日辺りでは高尾山登山に比べると体力的にかなり容易に感じました。

3月30日(日)晴

初日は歩数計で27、925歩でした。

さいたま市みどり公園推進課「見沼田んぼ見どころガイド」より

3月31日、JR東大宮駅~市民の森~大宮第2公園~自治医大病院

見沼田んぼの桜回廊はいずれも鉄道の駅から遠く離れた場所にあります。
回廊の北端は東北線東大宮付近のため、電車で東大宮駅まで行き、そこから歩き始めることにしました。

回廊の最初の目標として東大宮の本郷第二公園からスタートします。
本郷第二公園まで出られれば、あとは見沼用水西縁の土手上を真っすぐ南下すれば浦和に着くと想っていましたが、これが少し甘かったようです。

JR東北線東大宮駅

日曜日の東大宮駅には下車する人はいません。JR東北線や高崎線は神奈川迄延長されてから、たびたび事故で遅延します。今回も遅れました。
10:00スタートしました。

スマホのグーグルマップに本郷第2公園をインプットして出発しますが、スマホは光線が反射して良く見えません。

本郷第二公園へのナビは1直線でなくクネクネ角を90°曲がりながらナビしていますが、土地勘がないので、歩き始めて少ししたら方角が全く分からなくなってしまい、通りかかった駐車場で車に乗ろうとした若い人を見つけて尋ねてしまいました。その若い人は幸い親切な人で複雑な路を分かりやすく説明してくれました。

栄東学園中学、高校

しばらく行くと栄東学園に来ました。大昔息子が高校受験の際、学校選びで車で訪れた事を想い出しました。息子は実際に受験しませんでしたが。

東北線の陸橋を渡ります。

芝川を渡る

見沼田んぼは広大で真ん中に芝川が流れています。芝川は川口の手前で綾瀬川と合流し市内では大河として流れていますが、ここではとても狭い川です。浦和の見沼たんぼでもこの5倍の幅が有り、浦和までの僅かな間に小河川(いわゆるどぶ川)が集まって5倍も広くなるのでしょう。

ちなみに浦和の芝川の流れ

河川とは面白いものです。わずか10kmに満たない間に川幅は5倍になります。

JR東大宮操車場

見沼田んぼの南部は開発禁止区域ですが、この辺りの見沼田んぼは、農地としての面影はなく、ここでは広大なJR操車場として使われています。

ようやく見沼用水桜回廊に出会いました。

陸橋を降りた所が見沼用水の西縁で、用水の端に桜回廊のサインがありました。デジカメの画面が太陽光で反射していたので真っすぐ照準できず斜めに撮れてしまいました。

本郷第2公園

用水から少し南に歩くと本郷第二公園がありました。土呂とか東大宮駅は東北線でも昭和40年代に作られた比較的新しい駅で、周りは新しく開発された住宅地でしたが、今では公園も住宅地もすっかり年季が入っています。この公園にはトイレが有ります。ここまで1km少しでしたが、迷ったため30分も要してしまいました。

桜回廊出発地

用水を挟んで手前に見沼用水の看板がありましが、通常用水の土手上に道がありますが、ここでは用水を挟んで左右に道があったため、公園で子供を遊ばせていた人に尋ねたら、手前の道は行き止まりになるとのことでした。
この人は桜回廊については知らず、地元の人はここが桜回廊だと認識はしていないようです。それはそうで冬でも雑草に覆われた冴えない用水が流れているだけで、桜並木はありません。
ここで次の目標の神明社をスマホにインプットします。
この道を歩いて行くと、対岸の道に桜が数本植わっており、若い人が何人も自転車で気持ちよさそうに走っている姿が見えたので、対岸に見沼用水のサインもあったことだし、この先で小さな橋が現れたので対岸に渡りました。


行止り

教えてもらった通り行けばよかったのに、桜回廊と想った道は自動車教習所で行きどまりになってしまいました。自転車を気持ちよく走らせていた若い人たちは、桜回廊の散策でなく教習所に通う人たちだったのです。
仕方なく回廊を橋までかなり戻り、再び対岸に渡ります。

桜回廊本道に戻る

本道に戻り進むと東北線に突き当たってしまいました。用水は左側にカーブして良く見えませんが、多分線路の下に潜ったのでしょう。スマホのナビは複雑に案内していますが、ここで方角を全く見失ってしまいました。スマホのナビは太陽光に反射して良く見えず、もし地図だけ頼りでしたら桜回廊が元々無いことを理解できたでしょう。

桜回廊の消滅

スマホのマップはわけの判らない方向を指示しており、犬を散歩している人に神明社の位置を尋ねました。神明社は小さな神社のため知らない人の方が多いと想いましたが、幸いその方は神明社の位置を良く知っていた方のため、丁寧に教えてくれました。

JR東北線土呂駅付近 桜回廊消滅

前方の陸橋を越えて線路の対岸を辿ると、市民の森という大きな公園があり、そこに神明社があるとのことでした。

これが桜回廊?

ここでこの辺りの桜回廊は地図上だけに便宜的に表示されていることが判明しました。
20年ほど前、山仲間3人と旧中山道を上田の奥から和田峠を越えて諏訪と塩尻まで歩いたことがありました。旧中山道も表示している場所は、思い付きであるだけで2日間、国土地理院の地図を見ながら大いに迷いながら歩きました。諏訪郊外では旧中山道なのに住宅街の庭先の幅1mの箇所もありました。

桜回廊発見

ようやく桜回廊が現れました。この奥の小山がどうやら神明社らしいようです。丘の上の小さな広場で子供を遊ばせていたご夫婦に、林の下にある建物が神明社かと尋ねたら知らないという返事でした。

ようやく桜回廊の目標の神明社に辿り着きました。

林の中を分け合って入って行ったら待望の神明社でした。古い鎮守の森の神社を尋ねた際は必ず石段を確認します。江戸時代或いはそれ以前に設けられた石段は現在の石段と異なって段の幅も狭く傾斜も急です。また石段の表面も石のみで彫られた荒い滑り止めがあります。
まさにこの石段は江戸時代以前から或いは室町時代からの鎮守の森であったように想えます。


神明社は土呂村の村社で、いかにも鎮守の森にふさわしい神社です。トトロのような見事な大楠のご神木が入り口の鳥居を覆っています。

神社の裏の小さな広場で子供を遊ばせていた若いご夫婦は教育もありそうな人たちなのに、トトロを見ないで大人になってしまったのかな?と想いました。

ここからが事実上の桜回廊です。


そんなことを想いながら鎮守の森の大楠を撮影していたら、中学生ぐらいの息子さんをつれた3人連れのご家族がやってきました。
ご主人に桜回廊についてお尋ねしたら、いつもこの辺りは散歩しているとのことで、今まで私が辿って来た桜回廊は道が繋がっていない事で、ここから回廊は明確になること、そして隣の見沼グリーンセンターのトイレの位置や、この先の見晴らし公園の菜の花と風車の取り合わせ、更に回廊は東武野田線に突き当たるため、大きく迂回して踏切を渡り、そこから遠くに野球場が見えるから、そちらの方角を大きな目標にして進むと迷うことはないと親切なアドバイスを受けました。

自然が好きなとても好感の持てるご家族でした。

旧大宮市民の森・見沼グリーンセンター

旧大宮市民の森はとても広大な公園です。
毎年陶器市で大宮第二公園に行ったり、或いは産業道路から第2産業道路に向かう際、見沼田んぼの左右に公園が広がり、オランダの風車を望むことがありました。
今、この辺りを歩いているだと位置関係が良く分かります。
この公園は桜よりパンフに記載されているようにメタセコイアの紅葉が素晴らしいようです。

大宮市民の森の隣に見沼グリーンセンターがあり植物園や農産物即売所やトイレがあります。桜回廊の散策はトイレが少ないですが、この辺りは公園施設が多くありトイレが豊富です。
気温は高くありませんが、天気の良い日曜日のため家族連れでシートを広げて食事を楽しんでいます。

姿を現した見沼用水西縁

市民の森の前に西縁の見沼用水が姿を現しています。公園の前のため、雑草が刈り取られていて用水の見通しが良いのです。

見沼田んぼを見渡す見晴し公園

目の前に見沼田んぼが大きく拡がってきました。気持ちの良い眺めです。

菜の花畑と風車

さきほどご家族に教えて頂いた菜の花と風車のスポットです。大和田の花火は昔から有名ですが、大和田のどこでやるのかと想ったら、この辺りが花火大会の会場になるそうです。

桜は少ないけど気持ちの良い桜回廊

見沼田んぼの真ん中を流れる芝川沿いも歩けますが、せっかくだから桜回廊ぞいを辿ります。桜回廊と言ってもこの辺りはたまに桜があるだけです。

前方に東武野田線(東武アーバンクライン)が見えて来ました。

さきほど神明社で出会ったご家族から東武野田線によって桜回廊は遮断され大きく迂回して踏切を渡るようにとアドバイアスを受けたため慌てずに済みました。

大きく迂回して踏切を渡る案内。

迂回図は頭に入っていたため、この位置では撮影せず、踏切を渡ってからの回廊に設置してあった迂回図を掲載しています。従って現在地が異なっています。
この迂回路はあんな遠くまでと迂回するのと想うほど大きく迂回します。でも桜回廊を辿る人など極めて少数のため、これだけ遠く迂回しても仕方がありません。
むしろ東大宮の東北線で遮断された桜回廊に大型でなくてもサインを表示してあれば良かったなと思います。

土呂の地蔵堂

復元された小さな地蔵堂があります。江戸時代徳川家旗本の初鹿野氏の墓堂です。
初鹿野氏は甲斐国都留郡初鹿野郷を領した武田家庶流の一族であり、武田家滅亡後家康に旗本として使え土呂村を領しました。一族の中には江戸北町奉行を務めた人もいます。

東武野田線の踏切

ここは東武野田線大宮公園駅近くです。

再び桜回廊に合流する。

再び桜回廊に合流します。もうここから浦和まで一本道で迷うところはありません。

市民球場

東武野田線の踏切を渡ると一瞬、桜回廊の方角が分からなくなりましたが、神明社でお会いしたご家族の、野球場を目指して歩けば桜回廊に合流するというアドバイス通りでした。
野球場は名前を変えていますが、大会を行っているらしく駐車場は車で溢れており、観光バスも多く少年野球チームの大会が開催されているのでしょう。

市民球場横

ここまで東大宮駅から5㎞も歩いていませんが、東大宮周辺で迷ったために、もうすぐお昼近くになってしまいました。

東大宮駅で水だけを購入し、回廊は無理としても途中販売カーなど公園にあるだろうと想っていましたが、見当たりません。通りを横断する際も中華屋さんやお蕎麦屋さんでもあるかと思いきょろきょろ探しますが見当たりません。

大和田公園

大和田公園です。

大宮第二公園

大宮第二公園は車で大渋滞でした。ここでトイレに入り陶器市で見かけたキッチンカーがいるだろうと想いましたが、キッチンカーがいる公園の管理事務所は遥か彼方でとても行く気にはなれません。こうなったら新都心まで我慢するかと思い続行しました。

寿能城祉入口

そこから直ぐに寿能城址の標識がありました。寿能城祉とは岩槻城の支城で太田氏の一族の城主潮田出羽守の居城で、小田原北条氏滅亡の際、小田原城に籠城して討ち死にしてしまい、その後廃城になりました。寿能城址はここから80mほど住宅街の中にあるため城址に向い始めましたが、細い道に車が通行しているために諦めました。
岩槻城は江戸城と共に鎌倉に本拠を持つ扇谷上杉氏の家宰太田道灌が築城し、上野国に本拠を持つ山内上杉氏と室町幕府の古河公方と三つ巴の合戦を繰り広げ、我が国の戦国時代の幕開けになりました。
太田道灌は葦原の無人の地江戸に江戸城を築き、更に武蔵東部の岩槻城も築き、関東足利氏の古河公方と対峙しました。岩槻城を築き周辺の国人を家臣団として編成したため、従来埼玉西部に偏っていた武士団は東部に進出し、現在の中山道や日光街道沿線は急速に開発されました。この土呂の寿能城もその一つです。

埼玉県の歴史を振り返ると、中世までの米作地帯が水利の良い扇状地が展開する県西部と北部に武蔵武士の本拠があり、河川が氾濫する県南部や東部の米作の開発が遅れていたため歴史は浅く、またこの地域を統治した小田原北条氏が滅び、県南部の領主層だった開発武士団が帰農してしまいました。新たに統治者になった徳川政権のサラリーマン譜代藩や天領や旗本は過去の歴史を抹殺し、明治新政府もまた徳川の統治を否定したため、中世以来2回の政権交代により、歴史は消えてしまいました。

埼玉の徳川3藩の忍藩、川越藩、岩槻藩の内、比較的歴史が残っている忍藩に比べると岩槻藩はほとんど歴史は残っておらず、従って岩槻藩に属した部分の多い県南部の江戸時代の歴史も霧に包まれています。小田原北条氏の小田原本城の歴史はかなり残っていますが、落城した支城の岩槻城の歴史は残らず、寿能城祉の存在などだれも知りません。

大宮第三公園

信号の無い交通量が多い旧国道16号岩槻街道の鹿島橋を渡ると大宮第三公園になります。

大宮工芸館

さいたま市立大宮工芸館がありトイレも使用できます。

堀の内河岸跡

このサインの内容を見ると堀の内橋が岩槻街道と交差した交通の要衝とありますが、旧16号岩槻街道と交差しているのは桜回廊地図の鹿島橋です。サインの説明は2つの橋を混同しているような気がしますが、大勢に影響がなく細かな記述に目くじらを立てるほどのことでもありません。

見沼代用水は利根川から水を引き、上尾原市付近で見沼田んぼの西縁、東縁の2本の用水に分かれ、共に運河として使われました。運河の終点は東浦和の八丁堤で、西縁、東縁の真ん中を流れる芝川との水位差が3mあり、東縁、西縁の舟の通行を可能にするためにパナマ運河と同じ方式の、門を一時的に閉じて水を溜めて通行する方式がとられました。荷はここで積み替えられ芝川経由で隅田川に合流し、小名木川運河を通り日本橋まで通行が可能でした。
見沼代用水は長距離の舟運というより千葉からの農業肥料の魚粉や行徳の塩が運ばれ、江戸下町には近郊野菜の輸送に使われたようです。また旗本領の米も蔵米として送られたと想います。
見沼代用水の河岸の中でも、岩槻街道と交差するこの堀の内河岸は重要な河岸だったようです。

マイバスケットで昼食を購入

堀の内橋の傍には朝鮮初中学校や大宮開成高校があり直ぐ自動車道を横切ります。
自動車道を横切る度に左右を眺めてお店や中華屋さんをさがします。この通リには開店したばかりのマイバスケットがありました。マイバスケットは都内は多いですが、埼玉にはなく埼玉進出するために開店したばかりの店でした。ここで昼食やチョコレート、そしてジュースを購入し、上の画像を辿りながらベンチを見つけお腹を満たしました。もうすでに13:30を回っていました。

自治医大病院~さいたま新都心~大原サッカー場~浦和西高裏~さいたま市立病院

自治医大病院横

エネルギーを補給したので、再びパワーに満ちてきました。自治医大病院は広くなかなか通過しません。

この辺りは通行客が少なく、むしろ自転車で桜見物の人が目立ちます。

用水の反対側に大日堂と天沼村の村社、天沼神社が表示されていましたが、残念ながら気が付かず通り過ぎてしまいました。天沼神社は天沼村の鎮守の森です。

天沼自治会によるエドヒガンの植樹

徐々に新都心に近づき、再び見沼田んぼが開けてきました。ここからしばらくの間、天沼自治会によるエドヒガンの植樹並木が続きます。
エドヒガンはソメイヨシノに比べて成長が遅いですが、楚々として趣のある桜木です。

皇居乾通りの桜見物に行きましたが、ソメイヨシノは少なく桜には多くの品種があることが分かります。その中でもエドヒガンは人気がありました。

新都心ビル群を望む

新都心の高層ビル群が見えてきました。疲れたなら新都心で終わりにしようとも考えましたが、桜回廊の歩行は傾斜がないので、山のハイクに比べるとずっと楽で、疲れは何も感じません。

高沼用水跡

この説明サインによって多くの事が分かりました。
私が高校時代まで、与野大戸台地から浦和鹿島台の台地下の西側から現在の埼京線中浦和や武蔵浦和一体に広大な水田が広がっていました。与野西側には鴻沼という地名が今でも残っていますが、江戸時代、この鴻沼が高沼とも言い浦和郊外の別所沼も含み埼京線中浦和付近の鹿手袋まで沼がひろがっていたそうです。

もともとこの辺りは水量の少ない霧敷川が流れていましたが、江戸時代井沢惣兵衛によってこの辺りから、途中与野上落合、下落合に水路を掘り見沼代用水の西縁の水を、霧敷川に流し、鴻沼という大きな沼を誕生させ周囲の新田開発を行ったとあります。

私が高校時代にはさいたま新都心駅など無く、この辺りは雑木林と水田でした。今でこそ旧中山道は街の中ですが、中山道沿いは北浦和駅と与野駅の間は距離も離れていて、今の新都心駅辺りは江戸時代街外れの刑場と言われ松林が並んでいました。この辺りは日が暮れると通行人もいなくなり、大宮から自転車で通学していた高校の級友は、チンピラが突然自転車の荷台にまたがり恐喝を受けた事がありました。

この辺り一帯は近年新都心駅ができるまでは住宅は少なく雑木林が点在して緑豊かな所だったのでしょう。

首都高延長線ガードを潜る

不細工な首都高のガードです。設計者は美観など考えずただ車を通行させる機能のみで実行します。それぞれ自分の仕事の目的しか考えない典型的な例です。

水位調整水門

浦和レッズと大原サッカー場 周辺はフォーカルポイント

浦和レッズのある大原サッカー場の周囲の桜は見事です。昨年同じコースを仔細に探求したので今回は通過だけに留めます。

日曜日なので桜回廊ツアーのパーティと何組も出会います。

昨年撮影した大原サーカー場の桜

大原サッカー場と大原中学校周辺の桜は圧巻です。

大原中学校

旧浦和市は周辺の土合村や大久保村など合併して大きくなりましたが、合併前の旧浦和市での一番新しい中学が大原中学だったと思います。
今では年季の入った大原中学ですが、私の高校時代は大原中学出身者は1,2人と少なく皆ほっぺが赤かった記憶が有ります。
大原学校区は顔がしもやけになるほど冬の木枯しが遮るものの無い農村地帯でした。

テニスコート この辺りはフォーカルポイント

大原中学校を過ぎると桜回廊は俄然都会的になります。大原中学もそうですが、この辺りはJR与野駅から徒歩圏です。

県立浦和西高校門付近

前方に埼玉県立浦和西高等学校が見えてきました。西高は共学で私が高校生の頃から制服はなく自由でした。

浦和西高の斜面林

浦和西高のグランドは見沼田んぼにあります。ワールドカップロシア大会日本代表監督の西野朗監督は、浦和西のサッカー部出身で全日本高校サッカー選手権でベスト8に進み早稲田に進学、在学中に日本代表に選出されました。ちなみに中学は浦和の原山中学でした。

この辺り1kmはフオーカルポイント

みぬま木崎ひろば付近、トイレ有 この辺りもフォーカルポイント

この先に市の施設トイレがあります。大宮工芸館からここまでトイレは無いので貴重な施設です。次は市立病院裏までありません。

前方に見える第2産業道路を潜る フォーカルポイントの終わり

第二産業道路が見えてきました。

岩槻街道交差点

第二産業道路を地下で潜って、岩槻街道の信号を渡ります。

大古里特別緑保全地区 ここから桜回廊最長の延々とフォーカルポイントが続きます。

信号を渡り大きく湾曲した桜回廊を辿ります。コースは土手の上ですが、私は湾曲部をショートカットして土手下を通ります。

桜回廊最長のフォーカルポイント

この辺りからの桜回廊は桜が大きく枝を広げ、見事になります。

終点、さいたま市立病院横 桜回廊最長のフォーカルポイントが続きます。

ようやく本日の終点、さいたま市立病院裏に着きました。

今回JR東大宮駅から出発しましたが、桜回廊は通じていなく桜も無いので、JR東北線土呂駅からスタートすべきでした。
桜回廊で桜を楽しむだけでしたら、大原サッカー場から南下すると本当の桜並木になります。

さいたま市立病院はからはJR北浦和駅に頻繁にバスが出ています。
桜回廊は駐車場がなく、核心部は自転車走行が出来ないので、都市交通で楽しむしかありません。
西縁では都市交通利用で便利なのはJR武蔵野線東浦和駅から徒歩、JR北浦和駅から東武バスさいたま市立病院行き、JRさいたま新都心駅から徒歩、JR東北線土呂駅から徒歩が考えられます。
東縁はJR武蔵野線東浦和から徒歩ですが、帰途はバス便を使用しなければならず研究が必要になります。