見沼田んぼ桜回廊付録

今年の桜も満開が終わりましたが、気温が高くないので、長く楽しんでいます。
歳を重ねると、桜より桃、桃より白梅が好きだと想っていましたが、満開の桜に接するとやはり、桜がいいなと勝手に想ってしまいます。

今年は思い切って見沼田んぼの桜回廊を全周散策しましたが、改めてさいたま幸手線(旧岩槻街道)の大道橋からさいたま市立病院裏を経由して馬場東公園までの約2,7kmの桜回廊が、回廊全体の中で一番のフォーカルポイントではないかと感じました。

見沼たんぼ桜回廊散策が終了した中で、散り始めた満開の桜の余韻に浸ろうと、改めて大道橋から馬場東公園下まで約2,7㎞を辿ってみました。

東武バスの北浦和~岩槻間の路線は頻繁に運行されており、山中橋からスタートします。

山中橋のバス停は大道橋から少し西寄りのスーパー・マミーマートの前にあります。そこから東の信号を渡って、狭い車道の怖い道を少し進むと、見沼田んぼの桜回廊の土手に入れます。
この土手道はコの字型に屈曲しているため、桜回廊の見事な景観が楽しむことができます。

屈曲する桜回廊

桜回廊全コースにはいくつかの屈曲する回廊がありますが、多くは60度程度のカーブですが、ここは完全にコの字を描いた見事に屈曲する回廊です。画像は代用水の反対側から撮影していますが、これはスーパーから直接回廊にやって来たため、用水を渡れませんでした。

土手通しの回廊はもっと見事な景観を味わうことができます。

せっかく盛装しているのに土手のフェンスが美しくなく気の毒です。

回廊の屈曲点の反対側にやってきました。

屈曲点を振り返ります。

多くの人たちが記念撮影をしています。

この屈曲点の桜回廊は美しいのですが、この土手の真下の斜面だけ秋の除草が行われなかったようで、他と比べると見苦しい枯草でいっぱいです。

回廊上で食事を楽しんでいます。

屈曲点の回廊の反対側は、食事を楽しめるほど幅が広いです。昔に比べると若いご家族はアウトドアの道具立てが完璧です。ただキャンプ場で無いので、調理する人はいません。

タブノキでしょうか。なぜか土手上にあります。この回廊は車は通行禁止ではありませんが、乗り入れる人はいません。

ここに休憩ベンチがあり、春夏秋冬いつも誰かが景色を眺めています。

昔に比べると植木屋さんの畑は少なくなりましたが、それでもそこかしこ花木が美しい花を咲かせています。
見沼田んぼの桜回廊の魅力は、見沼田んぼの花木も美しい点にあります。

さいたま市立病院が見えてきました。

さいたま市立病院はさいたま市の基幹病院です。大宮の自治医大付属病院とともに高度医療を実践しています。

桜と近代病院とのコントラストです。

私も3年目前、ここから見える6階の病室で、約1か月間過ごしていました。私にとって生まれて初めての病院での医療と入院でした。



ここから桜回廊の人気路線が始まります。

この辺りの桜は枝が伸びて代用水の仲間で垂れ下がっています。目黒川の桜が見事なのは堀が深く桜が深く垂れ下がっているからです。

この辺りは特に犬の散歩が多いです。

以前はこの辺りでシートを敷いてお花見をしていた人が多かったですが、左右の草は犬のトイレコースなので、よせば良いのにと想っていましたが、近年は見かけなくなり安心しています。

振り返ります。

桜の枝が伸びてくると迫力があります。

北宿通リを渡るとトイレがあり、さいたま市立病院裏になり、今回の回廊散策の拠点です。

市立病院の斜面林が続きます。

とんでもない高木もあります。

市立病院の裏の斜面林は未だ健在です。

カメラを真上にかざします。

桜が満開になると、樹々の新緑が始まります。

美しい樹々の梢

見沼の桜の魅力は回廊だけではありません。

見沼田んぼは県の開発禁止区域です。市のグランドもやたらと広げず必要最小限に維持しています。多分グランドの除草などメンテ費用も馬鹿にできないからでしょう。

原始の斜面林

病院の施設の近所では斜面林は整備していますが、この辺りは自然の姿を維持しています。

桜回廊の魅力は斜面林にあるといっても過言ではありません。

昔に比べると宅地開発のためたくさんの斜面林が住宅に変わってきました。これも地権者の税金の問題で仕方がありません。
市の施設では未だ斜面林は維持されています。
葛に覆われた斜面林を見ていると高温多湿の我が国でいかに都市の緑を維持して行くか、個人では不可能なような気がしてきます。

だいこんの花

桜が満開になると決まって咲き出します。

この葛の木を見ると本葛の葛餅などあり得ないでしょう。

この葛の根を掘り起こせと言われても、私にはとても不可能です。奈良に行けば別ですが、コストを考えれば葛餅を本葛で作ることは不可能でしょう。

この休憩場はなぜか絶妙の位置にあります。ここに座って景色を眺めていると、誰でも見沼田んぼの概念を理解できるでしょう。

市の施設が無くなると斜面林がどうなるのか。

この市の老人施設はまもなく廃止になります。斜面林の行方が気になります。

見沼田んぼの桜回廊の美しさは4つの要素からできています。1つは斜面林の美しさです。

桜回廊では時々後ろを振り返ります。同じ場所なのに振り返ると全く新鮮な光景が目に入るからです。

2つ目は代用水の流れと3つ目は桜回廊の桜です。

代用水には鴨が棲息しています。芝川と行ったり来たりしています。

4つ目は見沼田んぼの手入れの良い生産緑地の光景です。

私の大好きな辛夷の3兄弟を望むことができます。

斜面林が終わってしまいました。

桜回廊の幅と形は見事ですが、風景に何か足りません。

桜回廊のもう一つの魅力、屈曲点

屈曲点はやはり桜回廊の最大の魅力です。

屈曲点が終わると回廊は静かになります。

見沼田んぼの散策は桜回廊だけではありません。芝川の土手も遊歩道が真っすぐに走り、芝川を渡って東側の田んぼは専業農家が多く、また風景が変わります。従って人々の散策や犬の散歩は、見沼田んぼを縦横に辿るコースが主流です。

馬場東公園が近づいてきました。

この辺りは散策する人は急に少なくなります。

ここでフォーカルポイントは終了です。

馬場東公園は様々な樹木が植えられており参考になります。崖の上からオオシマザクラが枝を下げています。

30年前偶然見沼田んぼに遠くない場所に居を構え、愚犬と10年に渡る見沼田んぼの散策や、その後朝のウォーキングコースとして見沼田んぼに親しんで来ました。
昔は、植木農家も花木の生産に励んでいたので、春になると夢のような美しい景観が広がり楽しい時期が続きました。
引っ越しの案内状に、空想で水鳥のデコイを描いて自然豊かなイメージを表現しましたが、引っ越し後見沼田んぼの散策が習慣になると、デコイどころか本物の水鳥が群れをなして泳いでいる風景が日常になりました。

引っ越して直ぐ初秋に家内と娘が、見沼田んぼで野菊を束にして採集してきました。花瓶に活けた野菊の姿を見ていると、今まで無縁だった花への興味が芽生え始めました。また今は外来種セイバンモロコシに駆逐されて見えなくなったススキを採集して、お団子をつくり中秋の名月を楽しんだこともありました。

見沼田んぼは山に行く以外自然に接することが出来なかった私に、日常の中に自然が入り込み、山に代わって直ぐにガーデニングに目覚め、やがて薔薇まで一直線の暮らしが始まりました。

自然の捉え方、接し方は人さまざまですが、私の場合、高校時代登山を始めた時から雪山の美しさに憧れて山の世界に入りました。家で虫や魚が嫌いな私がどうして山に行ってたか、家内に不思議そうに尋ねられましたが、私が登っていた山は虫などいない所だと答えた事があります。

私にとって自然はナチュラル的なものよりも自然の美しい景観に惹かれます。見沼田んぼの美しさは山には劣るかも知れないけれど、空や雲はむしろ山以上に美しいし、何よりも人の手が入った自然に触れられることです。驚いたことに引っ越し後数年は天の川も見られました。今は山での中々見ることはできませんが。

桜回廊は一年で一番美しいですが、菜の花のおぼろ月夜も良いし、真夏は草いきれで閉口しますが、夏の早朝は最高です。秋、雲が早く流れく草がざわめくと台風が近づいてきますが、見沼の景色は野分という言葉がふさわしく感じます。そして秋の紅葉、見沼田んぼの紅葉は意外に美しいのです。そして嫌いでない真冬の寒さ、そして大好きな早春賦の季節。
そして梅、桃、桜と続きます。

見沼田んぼで出会う顔見知りの人たちは、異口同音に見沼田んぼの近くに住めて幸せと言います。私も心を込めてこれからも見沼田んぼに接して行くつもりです。

花吹雪

桜の満開が過ぎるときまって必ず花吹雪がやってきます。
桜の花吹雪は、花の名残惜しさを誘い哀感を感じる人も多いと想います。
しかし満開の後、必ずやってくる花吹雪の風は、桜自身が新葉を広げ光合成を行うために、一陣の風を呼び寄せて邪魔な花を吹き飛ばす行為にさえ見えてきます。
桜の花は一陣の風を呼び寄せてあっという間に散る、散り際の潔さの美学は武士道を始めとして、私たち日本人の心に影響を与えてきました。

しかし植物の生態として桜を考えると、これから一日でも早く新葉で枝を満たし光合成によって自身を充実させることが、樹の命にとって最も大事な事だと想います。
そう考えると花吹雪の桜にエールを送るとともに、ついでにどさくさに紛れて私自身に対してもエールを送りたくなって来るのです。

強い一陣の風が吹かないと花は吹雪ません。それが桜の美しい性質です。

花吹雪の瞬間は中々巡り合えません。

花筏のはじまり