25薔薇友訪問記2,野田オープンガーデン肥後さんの庭

肥後さんのお宅を訪問してからもう10数年になります。人は年齢を増すに従って億劫がりになり行動力が萎えてきますが、肥後さんは欲張りというか年の割には珍しく好奇心が強く、様々な事にチャレンジしています。
日本山岳会所属の自然人クラブの理事を務め、かってはその好奇心でヒマラヤ山麓まで出かけました。
肥後さんの庭の変遷に接していると、肥後さんは私と方法論は異なりますが、根っから自然が好きで好きで溜まらない印象を感じます。肥後さんのエビネについて語る姿を見ていると肥後さんの自然好きは、決して後天的なものでなく幼少の頃から身についてほぼ先天的なものであるように感じます。
多分浦和生まれの私もそうでしたが、九州男児の肥後さんも少年時代は野山を駆け回っていたのでしょう。おそらく昭和30年代までは、東京山手線の内側や大阪都心を除いて日本中は等しく野山だった時代です。

肥後さんの自然あふれる野山好きは筋金入りで,、肥後さんの庭や生き方によく現れています。


1昨年から庭を大改造し、従来の薔薇庭では無くなりました。肥後さんはウインチを使用して立ち木を抜いたり、まるで庭を自身のおもちゃ箱のように弄り回しています。

2016年の7月初旬の梅雨の最中、肥後さんと浅間の信州側の外輪山群の駕籠の塔山に登った時の画像です。私もこの頃は馬力がありました。

鯉のぼりのフルセットお掲げた肥後さんには、まだ少年の気が宿っているのでしょう。

庭への入り口は凝っています。

手作りのピザ釜があります。奥の物置は肥後さんのDIYの作品です。

薔薇を片付けてモミジの収集を始めました。ありとあらゆるモミジが植えられています。もちろん今の季節は青モミジが優雅です。


以前コレクションをしていたクリスマスローズもあちこち広がっています。

以前は足の踏み場もないほど薔薇で密集した庭でしたが、今ではすっきりとしています。

青モミジがあちらこちら微風にそよいでいます。

肥後さんの新境地、広大な農園

肥後さんの夢の実現なのでしょう。都市生活を楽しみながらも自然と共生する暮らし、自然との共生は片手間でなく全身で植物と一体になる暮らし、一流の企業人でありながら縄文人に憧れを持っていた肥後さんの暮らしの夢が実現したようです。

以前広い敷地を借りて趣味の果樹を栽培していましたが、そこを明け渡すことになり、別な場所に広大な農地を購入し、本格的な農園を作り始めました。広い敷地に新たにあらゆる果樹苗を植えました。

よくここまで実行する馬力があるかと驚かされます。

奥さんと本格的な菜園を始めました。

大型のビニールハウスも2棟購入し、葉ものやイチゴづくりをはじめました。

またハウスにはソーラー発電装置を取り付け、バッテリーで蓄電し灯かりや暖房はもちろん、音楽まできけるように肥後さん自ら工作しています。

2014年、初めてオープンガーデンを拝見した時の庭

当時薔薇や色とりどりの花々でいっぱいでした。ギガンチウムも顔を覗かせています。

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