25薔薇友訪問記13、北本オープンガーデン森田さんの庭

北本オープンガーデンを訪問する時はいつも森田さんの庭を最初に訪れます。
森田さんの庭は北本の西寄りの荒川の河岸段丘が広がる台地の際にあります。
秩父山塊の水を集めて隅田川として東京湾に流れる荒川は、埼玉を代表する大河ですが、熊谷の手前で南下し,

左岸の鴻巣、北本、桶川、上尾の河岸段丘の台地に流れを阻まれて南下し、途中入間川や新河岸川と合流し大河となって、東京の湾岸ビル群の河口に流れます。

荒川の鴻巣、北本、桶川、上尾の荒川左岸の河岸段丘は浦和から北に延びる大宮台地として中山道を繋いできましたが、荒川の河川敷は広大な水田に、河岸段丘の台地は農家の屋敷林や畑など、東京の西の台地とは別に、いわゆる雑木林の武蔵野の風景を構成していました。

森田さんのお宅は、荒川の河川敷を見下ろす台地の上にあります。恐らく太古は、水利の良い河川敷ではお米を、台地は木の実が豊富な森に覆われ、土壌は火山灰地の関東ローム層に覆われ、土器づくりの陶土としても理想的であり、自然の脅威がなく気候も温暖だったため、弥生時代早くから集落が結成されており、関東でも先進地だったように想います。以前さきたま古墳群を訪れた時、膨大な埴輪は鴻巣の生産工房で作られていたことを知りました。

森田さんの庭の周りの風景は、現代社会になっても人々が居住するに最適な場所であることを彷彿させてくれるのです。また北本の街全体がゆったりとした気分にさせてくれる街でもあります。
そんな北本のオープンガーデンは、花好きな人たちが花好きな人々に、花を介在した交流の場となっています。

森田さん得意のオブジェづくりで、表札を作っています。

森田さんのお宅は農家です。オープンガーデンで森田さんのお宅を尋ねずに、地図を眺めていただけでは、この付近が弥生時代から人が住み始めているよき地であるとは気が付かなったかも知れません。

オープンガーデンを始めた頃から、広大な納屋の壁面を利用して仕立てたヒマラヤン・ムスクは残念ながらカミキリムシの食害に遇い枯れてしまいました。

緑の中で森田さん手作りの工業製品のオブジェは自然の風景に良く溶け込みます。森田さんの庭に接すると、人は緑の中で暮らし、緑と共に生きていることを実感できるのです。
森田さんの庭の緑の中のオブジェを眺めていると多少哲学的な気分になってきます。太古から続く荒川の河岸段丘の大自然が、そう教えてくれるような気がします。

向こうの廃屋になった農家の庭先に桐の花が咲いています。埼玉では珍しい桐の花も森田さんの庭の一部になっているように想えてきます。
かって訪れた6月の北東北の一関のアテルイ伝説の毘沙門堂の里山には、緑の中あちこちに美しい桐の花が見られ絵になっていたことを想い出しました。

オープンガーデンを始めた時、納屋の壁面に仕立てたピエール・ドゥ・ロンサールが大きく枝を伸ばしています。森田さんのピエールはピンクが濃いような気がします。

昨年この時期良く咲いていたアンジェラの開花はもうすぐです。

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森田さんの庭には2棟の大きな納屋があり、その内1棟は大型の農機具を入れていますが、もう一つは古い農機具が保管してあり、以前ご主人に見せて頂きましたが、鍬だけでも凄い種類が残っていました。今や博物館でしか見られない唐箕もありました。
浅間の外輪山に有名なトーミーの頭という岩峰があり、昔からその名がガイドブックに記載されていました。冬に黒斑山に登った際、このトーミーの意味が登山基地の高峰高原ホテルで尋ねても解らず、後刻農機具の唐箕から来ていることが分かりました。手回しで風力を起こし風によって穀物を分類する唐箕は江戸時代中国から渡ってきた優れた農機具で、トーミーの名の由来を知るために少し苦労したことがあります。

Antiques from the Gardenより 英国の古い農機具

たまに英国の古い道具の洋書を眺めています。古い道具や用具を見るとガーデニングの歴史が良く判ります。英国では19世紀末には既にアイアンのガゼボが商品化されていました。森田さんの納屋は農機具の歴史が詰まっています。

ブルー・ムーンがようやく咲き始めました。

近年薔薇を始めたご主人は、身体を壊しているそうです。薔薇を始めた同時に、瞬く間に庭に仕立てのフェンスを構築してしまいました。
やはり男が薔薇栽培に乗り出すとスケールが違うもんだなと想っていました。

ご主人が新たに植えた薔薇が咲き出し始めています。

森田さんと藤田さんのお宅はお隣同士です。お隣同士と言っても庭が広いため隣接しているわけでありません。北本オープンガーデンで長らく事務局長として活躍していた藤田さんのお父さんが、森田さんと藤田さんのお宅のすぐ近くのご自分の土地に大きな花壇づくりを始めました。
遠くに昨年見せて頂いたコミュニティスペースが望まれます。住宅の庭でないため広大です。

この寛ぎ場所は近所の皆様方が富士山を眺めながら談笑するスペースで、藤田さんのお父さんが作られました。この画像は昨年のものです。

コミュニティスペースから望む荒川の河川敷です。冬になると正面に富士山が大きく見えます。藤田さんのお父さんが耕した芸術的な美しい畝です。

この荒川の河川敷の風景を眺めていると先ほどから触れました弥生時代の風景が蘇ってきます。古代は人口は少なく、古代人の住む場所はより取り見取りで好きな場所を選択しました。家の近くに縄文遺跡や貝塚の遺跡がありますが、そこは今でも1等地です。

弥生時代の人々はお米が取れて、川魚を取り、木の実の採集や小動物の狩りまでできるこの辺りで集団で暮らしていたのでしょう。多分定住の地を探し求めて江戸湾から旧入間川を遡りこの地に至った人々は、航海に長けた海人族だったのでしょうか。森田さんの庭に来ると、想像が膨らんで来るのです。