下野国奥の細道 雲巌寺
雲巌寺は下野大田原からかなり常陸寄りの常陸北の金山八溝山塊から流れる那珂川の支流武茂川沿いの八溝街道沿いの山深い渓谷に面して建っています。
渓谷前の駐車場から雲巌寺の橋を渡ると、多分訪れた人は皆、こんな山深い地に鎌倉五山に匹敵する格調高い禅寺に対面し、その山門の独特な敬虔さに驚き、物見遊山の心を直ぐに捨て長い階段を登ります。
雲巌寺は禅宗の中でも最も格調の高い臨済宗妙心寺派の禅寺で、静まり返った境内では禅特有の緊張感に包まれます。

那須の森田さんの山荘の帰り長浜兄と寄りました。私も長浜兄も子供の時から下野国の我々が親しんで来た東北本線から遠く離れ、鉄道の無い山中に雲巌寺の存在は知りませんでした。ただ栃木では大昔JR東日本の旅倶楽部のCMで吉永小百合が登場した寺院として、雲巌寺=奥の細道の芭蕉ではなく雲巌寺=吉永小百合が今でも流布されています。

山門の中から仏殿を眺めます。

開放的な仏殿です。曹洞宗と異なって臨在禅の寺院は修業が主なので、本尊をあまり重視しない所が多いです。中には釈迦如来が鎮座していました。

立派な鐘楼堂です。

観音堂と平和堂です。臨済宗寺院は修業が目的の修行道場のため一般参拝客が仏像を拝して現世利益をお願いする場ではありませんが、多くの人たちにのために観音堂と平和堂を設けています。

芭蕉は深川で、弟子の黒羽藩江戸詰家老の黒羽藩での屋敷に14日間逗留し、那須の殺生石や鹿の湯に行き、そしてこの雲巌寺に訪れました。深川で交流のあった常陸鹿島根来寺の仏頂和尚が雲巌寺で修行した山居跡を見たいと想いやって来て、「きつつきも庵は破らず夏木立」の句を奥の細道紀行に残しました。
この黒羽での長期滞留後、芭蕉と曽良は境の明神を越えて白河を目指したのです。

仏殿の斜面の上に庫裏や巨大な方丈が見えます。

食事作りや食事、入浴や掃除など全ての生活作業が修行である禅の寺院は台所を中心とした巨大な庫裏を持ちます。庫裏の存在が他の寺院との外見的な比較になります。

修行道場である方丈です。臨在禅の寺院は他を寄せ付けぬ緊張感を漂わせます。

上から鐘楼、山門を眺めます。緑に囲まれた静寂の修行寺院の面目躍如の印象の風景です。

山門を後にして長い階段を下ります。ここで振り返らない人などいるのでしょうか?
雲巌寺は凄い寺院でした。