初冬の美ヶ原
「インディアン・サンマアというような11月のある日を、僕は落葉松の林のなかの枯草の上に寝転んで、遠くの雪で光る山頂を眺めて空想していたい。」
これは私が高校時代から最も敬愛していた戦前の慶応山岳部の大島亮吉の断章の中の1節です。
インディアン・サマーとは日本の11月の小春日和の事で、昔からアメリカで使われている用語です。
この美ヶ原に行った日が、小春日和であったなら、大島亮吉の断章の気分になりますが、あいにくこの日は秋の寒波第1号がやってきて、ここ美ヶ原では強くは無いですが冷たい風が吹き、手袋のしていない手がちぎれそうでした。

白く横たわる峰々は北アルプスの槍ヶ岳、常念岳、大天井岳、燕岳の峰々です。

松本の美ヶ原温泉から美ケ原を目指しますが、紅葉の盛りです。

松本市街の標高は600mで美ヶ原は2,000mの溶岩台地のため、約1、400mを車で上がります。この辺りは標高1、300mぐらいでしょうか。

やがて美ヶ原の溶岩台地近くまで登ってきました。落葉松林の黄葉の道を登ります。ちょうどこの季節は八ヶ岳も落葉松林の黄葉が終わりに差し掛かるころです。

2,000mの溶岩台地の直ぐ下まで登ってきました。目の前に八ヶ岳が見えるので車を止めて撮影します。
左のボコッとしたピークは蓼科山でその横に北八ヶ岳の峰々が続き、小さく天狗の相似峰が望まれます。その横に長く硫黄岳から横岳の峰が続き、赤岳と阿弥陀岳の顕著なピークが見えます。その右のごつごつした峰は権現岳で更に右になだらかな編笠山が望まれます。右の編笠山の尾根の彼方に富士山が望まれます。
これを観ると太古八ヶ岳は一つの山で、大噴火によって峰々が分かれたことが良く判ります。

南アルプスの峰嶺です。雲で隠れた中央右のピラミッドが甲斐駒ヶ岳で右の白い仙丈ヶ岳の間に、最高峰の白い北岳が望まれます。その右に連なる山は塩見岳で荒川三山が横に連なっています。八ヶ岳も南アルプスの峰々も皆何回も登っており、山を眺めているとそれぞれの記憶が蘇ってきます。

最近の美ヶ原の状況は分からないため、昔あった山本小屋でナビを入れると、今でも山本小屋は健在で山本小屋ふるさと館と名を変えています。ここの駐車場に車を置いて美しの塔に向かいます。

美ヶ原です。最後に来たのは大学1年の9月に来たので63年ぶりです。

北アルプスです。ズームを効かせました。中央に槍ヶ岳で左は南岳の稜線が続いています。手前のピークは常念岳、間に大天井岳、そして右は燕岳、餓鬼岳、唐沢岳と続きます。

遠くに美ヶ原の象徴の美しの塔が望まれます。

懐かしい美しの塔です。地面は凍り付いてコチコチですが、もうすぐ雪に覆われるでしょう。

王が塔の鉄塔とホテルが望まれますが、昔はありませんでした。

63年前に来た時は単独行で、観光客がたむろしているので山本小屋から離れた遠く離れた場所で幕営しました。明け方放牧していた牛が覗き込んだのでびっくりして飛び起きました。

美ヶ原から上田方面に向いそこから上信高速で帰京します。

昔故杉村兄と稲吉兄の3人で、上田から和田宿に出て、そこから旧中山道の和田峠を歩いて越えて上諏訪に泊まり、翌日は旧中山道沿いに塩尻峠を越えて塩尻まで36キロの街道歩きを行いました。時期はちょうど今頃紅葉の季節でした。車窓から当たりの景色を眺めていると10数年前の日々が蘇ってきました。
途中この辺りに来ると必ず寄る道の駅に寄り、渋柿とシャインマスカットを仕入れました。以前来た時鍛造の小型鎌を重宝しましたが、もう来ることは無いと想い近くの農協の売店で妥協して鍛造鎌を購入しました。偶然この道の駅に寄ることになり、鎌売り場で前回購入鎌を見つけましたが、購入したばかりなので諦めました。
