山と自然のエッセイ、友と語る

秋遅く冬に向かう季節になると、年賀状の喪中による欠礼のお知らせがやってきます。その多くは親や親族の喪中のお知らせですが、近年ではご家族から友人本人が亡くなり喪中のお知らせが少しずつやってきます。
今年の一番の衝撃は高校3年間のクラスメイトだった川島兄が亡くなったとの奥様からの知らせでした。
昨年まで生涯船乗りだった彼とは、東京の名所旧跡や博物館、船の関連施設など時々訪れていましたが、昨年末から今年の春まで、思わぬ出来事で多忙になったため私の都合で会うのは控えていました。
春が過ぎて気になって何度か携帯にTELし留守録を入れましたが彼から返信が無く、へそを曲げている彼に再度コンタクトを取ろうと想っていた矢先、奥様から喪中のお知らせが舞い込みました。彼の死は交流のあるクラスメイトたちにメールで知らせましたが、みな同期が亡くなって行くのは辛い事でした。

船の科科学館での砕氷宗谷のブリッジです。ブリッジは彼の仕事場で、帆船などさまざまな船を訪れる度に彼は真剣な顔をしてブリッジの器具をいじっていました。


高校の席順は南側からあ行で始まりますが、彼は3年間私の直ぐ前の席で授業中いつも眠っていました。そして1年の時英語の教師にイヤミを言われてから、3年間英語のテストを名前だけ記入し白紙で通しました。ボート部の大男で喧嘩早かったため、彼の真実を知らない人間にとって、学校一のワルと恐れらていました。
そんな彼とはいつも会って、湾岸戦争時休むことなく30数万トンの超大型タンカーでホルムズ海峡を通過して原油を運んでいた当時の昔話や高校時代の仲間たちの噂話をするのが楽しみでした。

彼の出身校の東京水産大の練習船神鷹を訪れた時です。国立東京水産大学は現在は国立東京商船大学と合併して国立東京海洋大学と名を変えていますが、今でも練習船は水産大、商船大それぞれ別に所有しています。


彼は単なる反抗者でなくボート部で活躍していたため学校も随分苦慮したようですが、学校全体が生徒を信頼するおおらかな校風で、しかも3年間担任していただいた恩師の影の努力もあったのでしょう、皆と少し遅れて卒業しました。
高校で英語を全く学ばなかった彼は、その後2浪して水産大に進学し、大手海運会社で外国人ばかりの船員を指揮し一等航海士として生涯丘に上がることなく英語漬の船員生活を送りました。といっても英語能力が零と言うわけでなく、もともと中学英語をマスターしないと入学できないレベルの高校だったので、中学英語は出来ていたのでしょう。


以前、彼と横浜の日本丸を訪れた時、その隣に横浜みなと博物館があり、そこには昔の映画のポスターや歌謡曲など港に関するものが展示してあり、中学時代日活映画に憧れて いた時代を想い出しました。
帰りの道すがら、横浜には外国航路や波止場、霧笛、汽笛、ドラの響き、マドロス、別れ、酒場などそんなイメージが無くなってしまったなと話したら、彼曰くそんなものがあったから俺は船乗りになってしまったのだと恥ずかしそうに答えていました。彼は本物のロマンチストでした。

大学の同期の山仲間たち

2017年当時、皆で横浜の氷川丸を見学した後、横浜を散策した際の記念写真です。
今では秋野、杉村、小島兄と金沢在住の沼田兄の4人が亡くなり、画像に無い小田兄は病気療養中で、今は稲吉兄の指導で、宮尾兄は抜けましたが斎藤兄の3人で2週間に1度、メールで俳句の会を行っており、既に214回を数えました。

一緒に俳句を作っていた杉村兄が亡くなった際、皆で俳句を送りましたが、私は彼との60歳直前から10数年間共にした山や旅の画像から、印象に残った10度の山行の画像をピックアップし俳句を添えました。その時ハードデイスクに記憶した彼との山行きを数えたら、10数年間で100回以上行を共にしていました。

彼らが健在だったら今の時期、どこかに行って忘年会をやっただろうと想うととても残念です。でも学生時代の辛かった雪山のラッセルや天幕埋没体験を共有した以上に、60歳を過ぎてからの山行で再び学生時代のような気分に浸れたことも幸せだったと想います。持つべきは友です。

若い山仲間たちと忘年ランチ会

歳をとると夜の飲み会がきつくなります。

盛夏の8月に引き続いて山の会の若いと言っても70歳を超えていますが、かっての山の会の精鋭メンバーの豊田兄とOB会前代表の行方兄、それに山の会現役メンバーの大学院生の木村君と忘年ランチ会を行いました。

前回は八重洲の地下街で行いましたが、今回は大丸の12階の鳥屋に集合しました。

東京駅は変わりました。今の大丸を昔の大丸と想って行くと戸惑います。

東京駅の規模が昔より格段に大きくなりました。新幹線で言えば東海道、上越、東北新幹線の始発駅であり、在来線では中央線、千葉房総、水戸茨城などの常磐線、東海道線、高崎線、東北線の始発駅であり、日本全国ダイレクトに繋がっている都市は他にはありません。

話に興じて忘年会の写真は撮り忘れてしまいました。
歳を取ると自分が我儘になって行くのが分かります。自然に会話が合う人を選択してしまいます。
人と合っても楽しくないのは、その場を仕切ろうとする人間、自分がいつも一番で人の話を聴けない人間、こんな人を避ければ、楽しいひと時が過ごせます。何よりも楽しいのは聴いた話が1冊の素敵な本を読んだくらいの内容と自分にないものを得られた会話です。

山は海と同じく大自然を相手にしたロマンチストの世界です。コスパ、タイパで動くのが当たり前の現代社会の中では、そのような価値観に染まらず行動した体験談は1冊の書物になるくらいとても貴重だと想います。