山と自然のエッセイ、26年初日の出
2026年元旦の予報は快晴で初日の出が約束されていました。
前夜除夜の鐘を待たず、眼がくっついて来たので11時過ぎに寝てしまいました。歳を重ねてからここ数年除夜の鐘を聞いたことがありません。i今では私にとって初日の出の方が重要なのです。
内陸の埼玉では初日の出を拝む習慣はありませんでした。代わりに小学生時代、近所の寺から聞こえてくる除夜の鐘を1年に一度だけ無理して待っていました。当時は皆寝るのが早く12時まで起きているのは大変な事だったのです。
家の子供たちも小学生時代12時まで起きていた事は無く、一度子供たちと近所の寺院に除夜の鐘を突きに行った時の、息子と娘が興奮した姿は目に浮かびます。暮れから帰省していた息子と、新年に訪れた娘夫婦にそのことを話したら、その時の事はよく覚えていました。
毎朝5時過ぎには起きているので初日に間に合わないことはありませんが、それでも万難を排して元旦の朝起きてみると、晴れているけど東の空の雲が厚く垂れており、初日は期待できないことが解りました。
旭日が無くても毎朝習慣のウォーキングに出かけました。

旭日が良く望める見沼田んぼぼ橋に行くと、やはり雲は重く立ち込めて初日は無理でした。右のグランドの駐車場には既に多くの車がパーキングしていましたが
皆残念に想ったでしょう。

日の出時刻は6:51分で、この時6:35分でしたが、例年初日の際はこの時刻では橋の欄干に人が鈴なりですが、今日は1人しか見えません。一回りウォーキングをして7:15分ごろ別なコースから橋を眺めたら、大勢の人が初日を諦めきれず橋の上で立ち込めた雲から初日が挙がるのを待っていました。
考えてみたら橋の上に大勢の人が帰らずにいるのは地平線から太陽が昇る瞬間でなく、垂れこめた雲から挙がる旭日も初日の出に違いないと想っている人が多いのではと改めて想いました。旭日の醍醐味は近隣諸国に評判が良くない旭日旗のように光がおおきく拡がって登ることであり
初日の出は地平線から顔を出すことだけではないと改めて想いました
1月2日、快晴ですがこの日も東は雲が厚く垂れこめていました。
1月3日ようやく初日と出会いそうです。

前夜降った雪が、凍ってガリガリになった道を橋の上までやってきました。この日は用心のためストックを持参しました。
さすが凍り付いた滑る道を辿って初日の出を見に来る人はいません。土手の遠くに初日を待っている人がいます。
いよいよ日の出まじかです。

旭日に染まる新都心ビル群

日の出の瞬間水鳥が動き始めます。

私にとっての26年初日の出です。

帰宅して庭の雪を見る。

この日は気温が低く終日溶けませんでした。
出来上がった干し柿

完成した干し柿です。手前に干したあの片手に余るほどの大きさの蜂屋柿(甲州百目柿)もこんなに小さくなってしまいました。
正月に子供たちに食べさせようとおもった干し柿ですが、娘夫婦が来た時は忘れてしまい、この日慌てて息子にあげました。家内や息子はお酒や料理が好きなので、甘い干し柿には余り関心がありませんが、それでも息子は私が熱心に作ったものを疎かにしてはまずいと想いしっかりと食べて帰りました。
