山と自然のエッセイ・かってのホームグランド日和田山
3月1日(日)絶好の線天下、古い山仲間と日和田山にハイクに行きました。
日和田山は、高校時代ワンゲルの仲間たちと何回か天覧山で岩登りを練習しましたが岩場が小さいため、もう少し大きな場所がないかと想っていたら山岳部の仲間が国土地理院地図で、天覧山の傍の日和田山の中腹に岩記号を見つけたので皆で見に行きました。奥武蔵の山は中学の時からサイクリングで正丸峠に行ったし、高校に入っても顔振峠や伊豆が岳、刈場坂峠など行っていたし、奥武蔵の山は当時西武線の終点の吾野から始まると想っていたので、その手前の高麗駅で降りて奥武蔵野の最初の山の日和田山はノーマークでした。日和田山は天覧山に比べると全く無名な山でしたが、中腹に鳥居がありその横を地図を見ながらトラバースして行くと行く手に2つの立派が岩がありました。

私は1年の晩秋、クラスメイトと1泊で雲取山に行き、すっかり山に魅せられ、春にクラスメイトと中里にスキーに行き、それがきっかけで仲間とワンゲルを創部し、5月、夏、秋冬と山行を続けました。そんな時仲間が山渓の売ります買います欄に撚りの30mナイロンザイルが3000円で売りに出ているの見つけ、少し品質に不安がありましたが、山岳部の仲間も1人加わり4人と共同で購入しました。それが嬉しくて放課後校舎の2階からアップザイレンで下ったり、雨どいを伝って登ったり、教室内ではチロリアンブリッチなどして遊びました。ワンゲルのメンバーはアルピニズム志向と逍遥志向が混在していましたが、合宿は最大公約数で行っており楽しんでいました。
当時山岳部は岩登り禁止でしたが、顧問の体育の先生は怠けたりすることは大嫌いでしたが、生徒の人格を重視してくれたため何も言わず、山岳部の連中は相当ひがんでいたようです。
大学を卒業して社会人になってから2、3回車に乗り合わせて日和田山に訪れましたが、登山口の農家の畑の端に少しお礼を止めさせていただきました。40代の時山行前の毎土曜日の朝トレーニングのため車でやって来て時は、登山口の駐車場は数台が止められるように少し広がっておりお金を箱に入れる様になっていました。トレーニングは日和田山を越えて物見山まで今でいうトレールランスタイルで走って登り、物見山でコーヒーを沸かして戻ってきました。

この鳥居は高校時代初めて来た時はありましたが、こんな立派な鳥居ではありませんでした。当時は杉林は植林して間もないため、ここから麓が丸見えでした。
大学時代ワンゲルの仲間たちは大学山岳部、大学ワンゲル部、社会人の先鋭山岳会などに所属しているため皆忙しく中々会う機会はありませんでしたが、夏のお盆の近辺、この鳥居の下の広場にテントを張り一晩楽しく過ごし翌日は日和田山の岩場を楽しんだことが2年続けてありました。
時間の無い奴は夜になってくる仲間もあり、麓からうるさい声が聞こえると言われ、迷惑になるので歌は止めました。またお好み焼きを焼きあがってさあ食べようと想った瞬間、巨大な蛾が飛んで来て、お好み焼きの上に羽を広げて落命しがっかりしたこともありました。
この鳥居を見るとあの時を思い出します。
この鳥居で真っ直ぐ尾根を登る女坂と左にごつごつした岩道を登る男坂に分かれます。
初めて岩場に行った時は、地図を見ながら男坂の道を辿って行くと、杉の斜面のしたに大きな岩が2つ並んでいました。今から66年も前で植林した杉は未だ背の高さ位で見通しが良かったです。
日和田山の岩場(事故が多いので日高町は岩登りを禁止しています)
2013年当時の男岩、

当時岳人を見ていると3、40年ぐらい前から日和田山の岩場は、フリークライミングのメッカになり多くのルートが開かれ盛況になったようです。
この2015年の画像は岩登りに行ったのでなく、家内と久しぶりに日和田山にハイクに行った際、男坂の道から岩場が気になって下って見に行った際撮影したものです。大学卒業してから2~3年後は仲間も皆岩登りは止めてしまったので、日和田山の岩場を見るのは50年ぶりでした。
もちろん当時は男岩と女岩の名称もありませんでした。

この時は空いていて登っているのは2パーティのみでした。
男岩と女岩

我々が通っていた頃は、岩の周りに杉の木は無く、岩の上に低い松の木があり、そこに確保のビレイを取っていました。我々のザイルは30mしかないため、今のゲレンデのようにトップロープで確保は出来ませんでした。
日和田山のスタンスは細かく、現在のフリクションを効かせて登るクライミングシューズと違って、昔のゴツイ山靴では細かいスタンスに乗れるルートしか登れませんでした。
ハングはアブミが使用できるので練習をしました。最後に日和田山の岩場に行ったのは、高校時代の仲間と夏の北岳バットレスの直前、練習に行った記憶がありますが、その記憶もあいまいでもしか時間がないので行かなかったかも知れません。
女岩

当時は誰にも知られていない我々だけの秘密のゲレンデでした。周りに杉林は無く麓まで良く見えた明るい岩場でした。
この岩場のことは我々の秘密で、仲間は大学に進みそれぞれの大学山岳部や社会人山岳部には絶対に秘密にしようと固く約束していました。
山の会に進むと夏山前には鷹取山とか奥多摩のつづら岩に行き岩のトレーニングを行います。鷹取山に連れられて行った時は、大して練習にならないので日和田山のことを話したくなりましたが、我慢していました。
元の紀行に戻ります。男坂を登ります。

お腹がつかえて足上げも容易でなく、荒い息で登りました。もう女坂で十分です。

ピーク直下でロープワークの練習を行っている女子パーティがいました。彼女たちは登山靴で練習していますが、北アルプスの縦走でもロープワークは学んでいた方が良いと想います。今は離れていますが、学生にも毎年夏前には登山靴でRCTを行ってきました。
ピーク肩

日曜日なので家族連れでにぎわっています。

この鳥居は何度潜ったでしょうか。40代の時のトレールラン、そして家内との何回かのハイク、また知人とのハイク、或いは夏山の単独トレーニングなど。大好きな場所です。

ここから埼玉副都心、池袋、新宿、渋谷など高層ビル群が全て望まれます。山も丹沢、奥多摩の山々が横たわります。

目の前の山の向こうは飯能です。

日和田山神社のお堂です。

奥多摩の山々の絶景です。

日和田山ピークです。実は僅かですがいつも巻道を通るのであまりピークには登っていません。私は肩の鳥居がピークだと想っています。

日和田山に来ると家族連れが多く、大山の段差のある階段を登る幼児をみて、険しい山しかない神奈川県民が気の毒に想います。

高指山には電波塔があるため保守のため道は自動車道になります。
この先の駒寄にトイレがありその先で昼食を採りました。この日は物見山、北向き観音まで縦走するつもりでしたが、おしゃべりして歩いていると何十回も通っているにかかわらず
いつのまにか麓に下る道を下っていました。

駒寄からの里道は大好きです。春の日差しの元梅を見ながら下ります。

お地蔵さんがあります。

見事な枝垂れ梅です。

この道は桜が咲いたら一段と見事になります。

近年は白梅に凝っています。
付録・桜と桃の季節の日和田山
巾着田の桜並木と菜の花畑

山桜の咲く日和田山

鳥居から望む箱庭

駒寄からの下山路、桃と桜の競演

高麗川沿いの桜並木

日高農産物直売所

かって家内と車で日和田山ハイクに行った時、帰りに必ず日高の直売所によりました。日高町は昔から農産物の豊富な街でした。
今回家内から頼まれてフキノトウを5袋買いました。あとは深谷ネギとか新タマネギ、イチゴ、家内のワインのつまみの落花生などと私の間食のせんべいを少し。
帰宅した夜から毎晩、少しずつですがフキノトウの酢味噌を摘まみながら、春の野山の香りを楽しんでいます。そして落花生も。
