山と自然のエッセイ、水彩画展と明治神宮
毎年4月上旬は乃木坂の新国立美術館で水彩連盟展と示現会展が開催されます。水彩連盟展には札幌在住の画家で高校のクラスメイトの三村兄が、示現会展では山の会の先輩の栗又さんが必ず出品していいたので出かけました。特に三村兄はこの展覧会に合わせて上京してきたので、それに合わせてクラスメイト数人と友が手配した六本木で旧交を温めました。
ここ3年毎年示現会に出品していた栗又先輩はお亡くなりになり、三村兄も出品が途絶えたので、しばらく新国立美術館に行くこともありませんでした、三村兄から今年は最後の出品との案内を頂いたので家内を誘って出かけました。
水彩連盟展


入り口の意匠毎年変わりません。水彩連盟展と示現会展は全国主要都市で巡回で展覧会を行っています。示現会展は熊本で出会ったことがありました。

水彩画と言っても油彩画と同じように大作が多く、また抽象画も多く見られます。近年は描きませんが、私も少し絵を描くことがあったので、それぞれ絵画に多大な勢力をつぎ込んでいるように想えます。

三村兄の作品です。「永訣の時」という題名で会場に異彩を放っていました。

美術館の庭はまだ桜が満開です。
明治神宮
もし今の東京に明治神宮の森が無かったら、国際都市東京の評価は下がり、さらに緑の無い首都を持つ我が国は、尊敬の対象から大きく外れ先進文明国の一員として認められていなかったと想います。
また幕末の江戸の写真を見ると、クラシックな木造の美しい塀や、落ち着いた瓦ぶきの広大な屋敷が連なる光景の3分の1でも残っていたとしたなら、年間4,500万人以上が訪れると言うパリの市街地に匹敵する位の人気の文化都市になっていたでしょう。
明治に入り東京都心の広大な大名屋敷や中級旗本でも3千坪を要していた旗本屋敷も、細かく細分化され、無秩序に役所や住宅、商店に勝って行きましたが、明治神宮は明治天皇をお祀りするために練兵場があった広大な代々木原に、神宮の森をつくりました。
明治神宮は新宿御苑と共に人々に公開された数少ない都心の森ですが、面積はともかくニューヨークのセントラルパークやロンドンのハイドパークと同じく、都心に存在する貴重な森となっています。

原宿駅前の交差点の喧騒から、たった50m歩くと、ここが東京都心にいることが嘘と想えるような深い神宮の森が広がります。驚いたことにこれから森に入って参拝する人々の95%は外国人です。
入り口の鳥居と参道の深い森が俗世と聖なる空間に入る結界の役割を果たします。
参道入り口の鳥居を潜り南参道を辿り始めると、都会の喧騒を離れ参拝する人々の話声の大きさもなぜか低くなるような感じがします。聖なる空間の認識は宗教や国が異なっても普遍性があるのでしょう。そんなことを急速に感じます。

神宮の森は人工的に100年で作られました。
明治神宮の森の最大の特徴は、明治天皇が崩御され墓所が伏見桃山殿でしたが、御神霊を東京にお祀りしたいとの声が多く、大正9年代々木原に明治神宮が建立されました。神宮の森は本多博士主導の基に関東以西の日本古来の植生を再現するために、暖温帯性広葉常緑樹の森になるように設計されました。以後我が国古代からの植生であるクスノキやタブノキ、シイノキ、ムクノキなど深い広葉常緑樹主体の森になりました。
明治神宮外苑は神宮神宮が完成後スポーツ施設や記念館などの目的で作られました。

空をおおうような巨木が参道を包んでいます。神社にはスギ林の参道も多くありますが、鎮守の森の塊のような深い広葉常緑樹の森は、私たちの祖先の自然崇拝の心が感じられて、心が落ち着きます。
西行が伊勢神宮参拝の時詠んだ「何事のおはしますかは知らねども」和歌が頭をよぎります。
こういう結界の深い森の中に、私たちの祖先が崇拝した自然の神々がおはすのでしょう。
代々木の名の由来となった樹

代々代々木原には、代々木と呼ばれた長寿の樅の大木があったそうです。その銘木は昭和20年5月の空襲で焼失し。この樹は2代目だそうです。
御苑

案内パンフにはこの奥に菖蒲園があると記されています。神宮の菖蒲園といえば、そうか!と想い出しました。家内と知り合ってまもなく家内の薦めでこの菖蒲園に来ました。当時私は花など全く興味が無く、能動的で仕事も油が乗って燃えて来た頃であり、地味なワンピースを着た家内と地味な菖蒲の花が同じように見えました。家内はそれを感じて、次に会った時は、本来の快活なキャリアウーマンの印象を持ちました。
家内もおとなしい女性のネコを被って菖蒲園に来たようです。
印象的なフォレストテラス明治神宮
レストランかカフェを探して歩いていたら、森の中にカフェレストランがありました。参拝客が多いので混んでいるかと想ったら以外に空いていました。古典的な雰囲気と味のレストランでしたが、すっかりと寛げました。なぜかこのレストランの味と雰囲気は古都奈良のレストランを連想させてくれました。神宮と奈良は関連はありませんが、奈良の基本的な食材の美味しさと携わる古都の人々の雰囲気が、なぜか似ているのです。

日本一の大鳥居
ここから本殿の正参道に入ります。なぜかいつも名所旧跡で出会う声高のけたたましい参拝客は誰も見かけません。ほとんど外国人ばかりの参拝客は秩序正しい行動をとり、目障りな事はほとんどありません。
神聖な空間に興味のある人々しか来ないのでしょう。

酒蔵の奉納
ここはとても人気がありみな自身が入った記念写真を撮り合っています。神様にお酒を奉納することはとても普遍性があり、また神様に飲んでもらうために酒造りを行う姿勢は日本のお酒のイメージを高めています。
自然の神様に捧げるために作るお酒やごはん、料理は縄文時代や弥生時代から私たちの遠い祖先が行って来たことが、ようやく世界で認められてきたように感じます。
釜で蒸留したりしてつくる酒ではなく、出来立ての新米を杜氏たちが、自然の発酵菌を活用してつくる酒や醤油、味噌など古来の自然な製造が
世界的な文明社会でようやく認められてきたのでしょう。
それには発展途上国が文明化するに当たって、各々が持っている古来の発酵食品が、日本に来て郷土料理でなく、高度に洗練された日本料理となっている姿を見て、それぞれの母国の伝統を評価しているのでしょう。
世界最先端のAIとか工業技術でなく、古来の伝統食が芸術のレベルまで高めることができる見本を我が国が提供しているのでしょう。
文明が発展すれば工業技術は高められることは、戦後発展した多くの国々は体験しました。これから食などの生活文化でどの国がモデルになるか問われている時代に入りました。
多分我が国はそのトップランナーを走っていますが、まだ国の多くの指導者や運営に携わる人たちが、生活文化に眼を向けていないことが気になります。

明治天皇と昭憲皇太后の御歌
日本人は通り過ぎますが、多くの外国人の人たちが御歌の解釈で場を離れません。

いよいよ本殿です。

皆さん事前に明治神宮について学んで来ている人が多いようです。ある若い男の子と親子が私たちの前を歩いていましたが、息子さんは両親に一生懸命皇室について解説している風景に出会いました。
旅していると名所でよく若い男の子が、1人で本を見ながら遺跡にたたずんでいる風景に出会ったことがあります。広島城の大本営跡、鞆の浦や厳島で見かけました。勉強して来ている人が多いです。
そういう風景に出会うと、物見遊山の日本人が多いことに気が付きます。物見遊山は東アジアの特徴なのでしょうか。
手を洗い口を注いで本殿に向かいます。

外国人たちは列を作って儀式を行います。

神門をくぐると本殿です。
楠木のご神木


巨大な楠木は1見の価値はあります。こんな楠木のご神木は観た事がありません。
本殿

本では撮影禁止なので近寄って撮ることはできませんが、みなさんお賽銭をあげて、お参りしています。
反日教育が盛んな国の人は神宮には来ないでしょう。
人気の絵馬

絵馬が大人気で、列を作って順番を待っています。
大人気のおみくじ

外国人はおみくじも大好きなようです。
明治神宮ミュージアム
以前家内が娘と行った宝物殿が良かったので、そこを目的として辿りましたが、社務所のひとに伺うと今は休館中で、ミュージアムに一部展示してあるとの事でした。

企画展花と皇室文化
花をあしらったお召し物や宝物の展示が圧巻でした。

この世の贅沢、ロビーから眺める神宮の森

ミュージアムは1000円でありさしもの外国人も訪れません。2階のロビーから眺める神宮の森は、此処が都心の真ん中であることを忘れさせてくれます。
静寂の1階ロビー

今回神宮の森に来て、山の自然の森も素晴らしいけれど、日本の古来の森の美しさに改めて心が引かれました。
近年、鎮守の森や見沼の斜面林に親しんでいますが、より一層本来の植生である広葉常緑樹の森に興味が湧いてきました。明治神宮を訪れて良かったです。
また明治神宮をあれだけ外国人が訪れているのだったら、もう少しこの神宮の森がたった100年で作ったことを知って貰えば良いなと思います。世界の森林は破壊が進行し、かってレバノン杉で栄華を誇ったカルタゴはローマに敗れ、砂漠になってしまいました。気候風土の問題はありますが、100年で出来た現代の神宮の森は、その心のモデルになるような気がします。
