新春の氷川女体神社と見沼田んぼ
1月13日、帰省した息子と共に、氷川女体神社に初詣に行きました。最後に氷川女体神社に出かけたのは、8月下旬トレーニングでクロスバイクで寄った時以来でした。
想えば10月初頭穂高涸沢の紅葉を見るため5日間の山行を予定しましたが、9月初に1か月前の小屋の予約が外れ山行を中止したために、トレーニングの必要が無くなったため、以来クロスバイクを物置から出すことが無くなり、トレーニングの途中に女体神社に寄ることが無くなりました。
更に穂高山行が中止になり気持ちが緩んんだためか、家庭菜園での土づくりと庭の雑草取りを長時間中腰で行った結果、腰を痛め坐骨神経痛と診断され、約1か月近くウォーキングを中止にしていました。更に年末に薔薇の冬作業の最中、突然左足に激痛が走り、整形外科で電気マッサージを受けたらかえって悪化して、脚をひねると激痛が走るため歩行不能になってしまいました。
睡眠中も寝返りを打つため足を動かすと激痛がはしり、余りの痛さに医者を変えて評判の良い総合病院の整形外科にタクシーで行き、車イスで診察を受けました。結果レントゲンを撮り、翌日再び通院してMRI撮影の結果椎間板ヘルニアとの診断を受けました。処方して貰った強力な鎮痛剤のお陰で激痛は収まりましたが、歩行すると時折激痛が走るため、正月は外出は出来ませんでした。
例年でしたら正月の準備に毎日買い物に行くのですが、車の運転も出来ないため、家内が連日自転車で買い物に行きました。
という事で、新春は門松も無く、例年行う氷川女体神社の初詣も行いませんでした。しかしヘルニア対策の体操と薬のお陰で痛みはかなり軽減されました。
正月を過ぎるとようやく痛みは少なくなり、片手にストックをついて軽いウォーキングを始めました。また車の運転もできるようになり、ようやく平常に近づきました。
早速帰省した息子を誘って氷川女体神社に遅い初詣に出かけたのです。
我が家から女体神社へは、距離があるため車で見沼氷川公園に行きました。車で女体神社お参りに来るのは初めてでした。
見沼氷川公園の木蓮の樹は、大きい蕾が鈴なりです。白木蓮は春早く咲くため、こんなに蕾をつけているのでしょう。
久しぶりの氷川女体神社です。急な階段が懐かしいです。
武蔵一之宮の扁額が誇らしげな鳥居です。
女体神社には楠木が多いです。氷川女体神社の由緒は古いですが、樹々は何百年も前のものはありません。しかし伝承によって古代の樹々が語り継がれ同じものが植えられているのでしょう。6000年前の縄文海進時、階段の下は海であり日の出の優れたこの台地に多分海人族が、彼らの神を祀ったと想像します。
次代は下がって歴史時代になり、この地は出雲族が治めたか或いはヤマト朝廷の次代になり、出雲族出身の長官が出雲の素戔嗚を祀り、神社の名も出雲の母なる川、斐伊川の名を採り氷川神社と名付けたと言われています。
楠木は舟の材料に適した木材で、巨木になるため海人族は楠木の巨木で舟を建造していたのでしょう。
宇佐神宮のご神木、楠木
宇佐神宮のいわれはいろいろ説がありますが、私は海人族だと想っています。以降勝手な想像を書かせて貰うと、九州の東部に住み着いた海人族たちは、宇佐族を始めとして東半分に大勢力を築いていました。しかし米作に適した地で無いため、神武族は縄文海退期、水稲耕作に適した地を求めて瀬戸内へ東征を初め、やがて難波から大和川を遡り、ようやく奈良湖の水が引き、水稲耕作に適した盆地内に拠点を設けました。
一方九州に残った宇佐族は国東半島一体に水軍の勢力を保持し、瀬戸内の入り口を支配していたと想像します。宇佐八幡宮は元々大和朝廷と親しい関係でなかったら道鏡の事件の際、神託は出せなかったと想います。
宇佐神宮のご神木は巨大な楠木です。
村上水軍などの信仰を集めた、大山祇神社のご神木
瀬戸内海の中心、しまなみ海道の真ん中に位置する大三島の大山祇神社の宝物館は、瀬戸内水軍の守り神として、各大名、水軍の長から寄進された刀剣、鎧の質と数では日本一です。
大山祇神社の創建は古く、おそらく有史以前から瀬戸内の中心に聳える山に、海人族は神を祀ったのでしょう。ここ神社のご神木は物凄く古そうな楠木です。
氷川女体神社は小さいけれど古社の雰囲気は抜群です。
拝殿にも武蔵一之宮の扁額が誇らしげに掲げられています。
初詣の時期から離れた時期の神社は、静寂そのものです。
6、000年前の縄文海進時、この階段の下は現在奥東京湾と呼ばれる海でした。ここから望む初日は最高だったでしょう。今でもこの芝川にかかる橋は初日を拝む人が大挙押し寄せます。
見沼氷川公園をゆっくりと散策します。私も散策できるようになって良かったです。
本日は3連休の最終日、春の日のような暖かさのため、これから公園は散策の家族連れで賑わうでしょう。
見沼用水にサギが住み着きました。今まで芝川にいたのですが用水の方に移ってきました。
氷川女体神社に行った2日後、一人で見沼田んぼの冬枯れの芝川の土手を散策しました。この土手を散策したのは8月以来です。初夏に1回雑草取りが行われますが、夏の終わりが雑草のピークで背丈を越えてしまいます。雑草取りはその後に行われるので、その前から来ていません。本当に久しぶりです。
冬枯れの土手は好きです。
我が家の家庭菜園の際です。この町有地の道路は市が除草しないため、夏期は大変な想いをして毎週除草します。私が腰を痛めた原因も子の雑草取りにあるのです。
借りている我が家の家庭菜園です。腰を痛めたため秋以来ここに来ていません。冬で菜とネギが少し採れるだけのため家内がたまに来るぐらいです。今年は腰を痛めたため
タマネギは植えませんでした。
本当は野菜作りは好きでないのです。。