薔薇のエッセイ30、野菜や果物が美味しかった阿蘇以外の旅の記憶
旅は私に食物のおいしさの新しい発見をもたらしました。
13年前に行った阿蘇に代表される、田原坂、熊本城、阿蘇、高千穂、豊後竹田の旅は、それまでのOB仲間との山行や峠越えとは別の、いわゆる登山から離れた家族との初めての歴史の地を巡る歴史紀行といえる旅になりました。
この旅以降、体力的なことや同期の山仲間の山から撤退などがあり山行の回数は減り、代わりOB会仲間との山行や家族との歴史紀行の比重が増しましたが、この旅では、念願の西南戦争の田原坂の戦い、熊本城、神風連の戦い、阿蘇神社、高千穂神社参拝と高千穂峡、豊後竹田の岡城祉、滝廉太郎と広瀬武夫生家、岡藩の武家屋敷など堪能し短い旅程でしたが、その後の歴史紀行の原点となったのです。
また当時、私なりに草花や家庭菜園そして本格的な薔薇栽培に傾斜してからほぼ20年近く、有用なボカシ肥料など様々に試みながら有機栽培のキャリアを積んでいたので、旅でも名所旧跡を味わうだけでなく、視点が水や扇状地、水田、畑、里山など人々と自然の関りにも広がっていました。
家で毎朝喉に流し込んで食べていたレタスやトマトが、阿蘇でのホテルの朝食でお代わりするほどの美味しさに驚いた13年前の記憶は今でも鮮やかに蘇ってくるのです。当時もし私がガーデニングの経験がなく、有効なボカシ肥料を使いながら有機栽培についてあれこれ試行していなかったら、レタスのおいしさにもそれほど感動することはなかったでしょう。
阿蘇カルデラ
一般的には有機栽培で採れた野菜はおいしいと言う通説がありましたが、私の経験では、特別なボカシ肥料でも使用しなければ、有機肥料や牛糞で土壌づくりを行って栽培した野菜でも格別おいしいわけでも無く、野菜は朝採りが当たり前だからそれがプラスとは思えませんでした。
阿蘇でお代わりをするほどおいしかったレタスやトマトの秘密は、有機栽培で朝採りだけの要因でないことは、直ぐ分かりました。
阿蘇の食物が美味しい要因は、豊富な湧き水と火山灰地だけだろうか?
おいしいレタスやトマトを産みだす阿蘇の土壌は、豊富な湧き水と植物の根が健やかに成長して行く団粒の水はけの良い火山灰土で構成されており、生産者は更に団粒を維持して行くための堆肥や植物の成長を促進する有機肥料を施している筈ですが、私が驚いたレタスやトマトの美味しさを産みだすために、それ以外何が加わっているのだろうか?その秘密は何だろうか?それは謎でした。
そんなことを考えながらレンタカーのハンドルを握り、草千里や南阿蘇の名水を巡り、高森でトンネル工事の湧水で中止になった高千穂線の跡を見学しながら、高千穂峡や高千穂神社を往復し、阿蘇神社から阿蘇の雄大な外輪山の大観望から雄大なカルデラを眺めて阿蘇の秘密を感じ、再び阿蘇のホテルに戻りました。
阿蘇草千里
帰宅してから阿蘇のことなど思いめぐらしながら、未だガーデニングに興味を抱いていなかった当時、中学1年の息子と訪れた山形の湯田川温泉でのマクワウリの記憶が蘇ってきました。
山形湯田川温泉で、子供時代のマクワウリの記憶が蘇る
もう35年前頃になりますが、山形の鶴岡の近辺にある湯田川温泉に泊まったことがありました。
湯田川温泉は藤沢周平が湯田川中学校の教師をしていた地で、今は人気の温泉で藤沢記念館があるようです。当時は藤沢周平もそれほど有名で無く、鶴岡市内にある鶴岡出身の郷土の偉人を紹介する館にも石原莞爾は紹介されていますが、藤沢周平の名はありませんでした。また私も当時藤沢周平の名も知らず、地元での藤沢周平の名は皆無でした。
今ジャランなどで湯田川温泉を検索すると、小さいけれど人気の温泉地で旅館の料金もそこそこですが、当時の湯田川温泉は見るべきところも無く、数軒の宿が連なる静かなというか鄙びた温泉で、中一の息子が探して予約したぐらいの温泉地なので、料金も安かったのでしょう。温泉地には何もないので下駄をつっかけて近所の鄙びた寺院まで散歩に行きましたが、何もないから良かったことを憶えています。
湯田川温泉に泊まった理由は、乗鉄で旅好きの息子が、中一の夏休みにユースホステルを利用して東北一周旅行の終わりに、私と鶴岡観光と羽黒山に行くため鶴岡の駅で待ち合わせて2人で温泉に行ったのです。今考えると息子が子供時代、2人で良く短い旅を行いましたが、息子と旅行したのはこの時が最後で、これ以降、私は登山、息子は高校卒業まで一人旅の乗鉄を続けました。
息子も10日ほどの旅の疲れを癒すために、羽黒山にも近い場所にある、自分で好みの鄙びた温泉を見つけたのです。
湯田川温泉は鶴岡平野に注ぐ金峯山の麓、湯田川の扇状地にあり、海岸から遠くも無く、山間でもない位置にありました。宿の料理は豪華なものではありませんでしたが、山のもの、里のもの、海のものとバラエティが飛んでいて、鄙びた温泉宿に似合う手造りの落ち着いたものでした。そこで、なぜ35年前の宿の夕食のメニューを憶えいるかと言うと、そこで子供の時以来の瑞々しいマクワウリを何十年ぶりかで食べたのです。
湯田川温泉は鶴岡郊外の赤いマークの場所にあります。湯田川温泉は庄内藩鶴岡の郊外にあり、出羽三山参詣の旅の疲れを癒す温泉として規模は小さいですが名湯の誉れ高い温泉です。
現在は藤沢周平観光で名高い鶴岡観光の温泉拠点として人気が高まっているようです。
瓜は子供の頃、夏になると毎日生か漬物で食卓に出ていました。また冷たい井戸水につけた生の瓜を切って、指で種子を取りながら食べたことも憶えています。また奈良漬けの味も憶えています。当時瓜は大衆的な恐らく安い食べ物だったのでしょう。当然息子は瓜を知りませんでした。
子供の時食べていた瓜の名は判りませんが、多分マクワウリかも知れません。なぜ今、マクワウリが目の前から消えてしまったのか理由は分かりません。
この宿の夕食で出された懐かしくも瑞々しいマクワウリの味に狂喜してしまいました。私の子供時代夏と言えば、井戸の冷たい水で冷やしたスイカとマクワウリが日常の果物でした。
宿では料理の最後に砂丘メロンがデザートに出て来ました。文字通りほっぺたが落ちそうになるくらいおいしかった記憶がありました。砂丘メロンは湯田川温泉近くの砂丘での特産物だったのでしょう。
湯田川温泉の宿の食事は、マクワウリと砂丘メロンばかり強調しましたが、多分お米を初めとして他の料理もおいしかったと想います。メイン料理でないマクワウリのことが記憶にありますが、多分料理全てがおいしく大満足でした。
おいしい料理と名湯によって、息子も長旅の疲れがとれたようでした。
翌晩は、羽黒修験の元締めだった羽黒山頂の歴史ある宿坊に泊まり、名高い羽黒山の本格的な精進料理を食べましたが、胡麻豆腐を初め、山の珍味の勢ぞろいで驚きました。そんなことで湯田川温泉の普通の食事と、羽黒修験の精進料理と対照的な経験をしたので、湯田川温泉の普通の食事をよく覚えているのです。
この頃は、デジカメは未だ世に出ておらず、私は山にはスキーで良く使用していたソニーの8mmビデオを持参していたのでこの旅の画像はありません。
湯田川温泉は、火山の羽黒山、月山、湯殿山の出羽三山と少し離れた麓に位置します。湯田川は小さな川ですが、恐らく湯田川温泉は、出羽三山の伏流水が湯田川方面に延びるマグマによって温められ温泉として噴き出ているのでしょう。
おいしい瓜と砂丘メロン、いずれもおいしい水と関連します。庄内砂丘には、出羽三山の伏流水が海岸近くに湧き水となって出ていて、豊富な水と、水はけの良い土壌を好むメロンには適地です。またおいしい瓜が作られる湯田川の扇状地は、もちろん出羽三山の火山灰土の土壤と思われます。
おいしい水と古い火山灰土、湯田川で食べた野菜や瓜やメロンは、阿蘇のレタスやトマトが育つ同じ条件でした。
やはりおいしい作物ができる秘密は火山にありそうでした。
庄内では鳥海山は太陽の山、出羽三山は月の山
鳥海山と出羽三山は庄内平野の象徴的な山です。修験道出羽三山の羽黒修験は熊野大峰修験と北九州の彦山修験と並ぶ我が国三大修験道で、東北一円に強大な勢力を誇りました。
鳥海山は森林限界が低い独立峰で、人が住めないため修験の拠点にはなりませんでしたが、珍しいことに出羽一宮大物忌神社は鳥海山山頂にあり、一宮が山頂にあるのは鳥海山だけです。
鳥海山はおいしい野菜と関係のない山ですが、最上川と共に庄内平野を潤す偉大な山です。戊辰戦争で新政府軍側と最後まで戦った庄内藩の軍事力は、鳥海山と出羽三山がもたらした肥沃な大地の賜物だと想っています。
鳥海山山頂
鳥海山頂の山小屋は山小屋でなく大物忌神社御室参篭所と呼ばれ、朝5時の太鼓の音で参篭し、身支度を整えて山頂の胎内くぐりに行きますが、ここの胎内くぐりの難易度は第1級です。
東洋のアルカディア、米沢盆地
山形県は出羽三山と鳥海山、内陸山形と宮城にまたがる巨大な蔵王山塊、南の米沢、福島県境には吾妻、磐梯、安達太良など巨大な火山が控えています。その巨大な火山の山麓には豊富な伏流水が湧きだし、火山灰地が広がっています。
幕末の英国女流旅行家イザベラ・バードはその著書「日本奥地紀行」で米沢盆地や山形平野を東洋のアルカディアと評していました。彼女も美しい農村の風景と共に食べ物の美味しさに感嘆したのでしょう。アルカディアとは古代ギリシャにおける桃源郷のことです。
阿蘇と同じように、湯田川温泉と同じ山形県では西吾妻山麓の米沢の白布温泉は米沢牛がおいしいです。米沢牛は恐らく阿蘇の赤牛と同じように西吾妻の高原に放牧して育てていたのでしょうか、大昔からおいしいと評判でした。40年前はまだブランドが通っていなく、味が飛び切りなので、中部日本の有名な某牛ブランドの供給源として生産していると聞いたことがあります。
東北大震災の年の3月、西吾妻登山を計画していましたが、震災のため翌年6月に向かいました。
白布温泉は米沢藩主の温泉保養地でした。上杉鷹山公が入ったと言われる温泉に入りました。ここは米沢牛の本場です。
東洋のアルカディア、山形盆地
以前同期皆と雪の銀山温泉に泊まり最上川の船下りを行った山形を再び訪ねたのは10年前、同期の山仲間と街道の峠越えをしようと行った旅でした。芭蕉の奥の細道の跡を辿る旅で、平泉、衣川、鳴子温泉の老舗旅館に泊り、国境の封人の家、山刀伐峠、大石田、村山、上ノ山温泉に泊まり、山寺、山形洋館巡り、米沢盆地と辿りました。大石田の蕎麦と上ノ山温泉の料理はおいしく、さすが山形との印象を強めました。
さすがイザベラ・バードが東洋のアルカディアと評した出羽三山と巨大な蔵王山塊に挟まれた米沢盆地、山形盆地の赤湯温泉、上山温泉、天童温泉、山形市内、大石田どこも果物や食べ物がおいしい印象がありました。
果物の宝庫、福島、安達太良山麓
火山と言えば福島県もおいしい果物で印象深い地でした。
以前桃の季節は白河まで買いに行きました。福島県はぶどうもおいしく、りんご、梨そして野菜など農産物もおいしい所です。白河の農協にはこれらおいしい果物や野菜が豊富に手東日本大震災の原発の風評被害にもめげず、白河には特に桃やぶどうの季節、何回か購入しに行きました。
福島県は安達太良、吾妻など火山の地です。同じ福島でも会津は他の地域と比べて食べ物の印象がありません。きっと果物が少ないからでしょう。
二本松城址から安達太良山を望みます。二本松城は好きな城の一つですが、安達太良山麓は果物のおいしい所です。
果物の宝庫、白河盆地
白河市内はラーメン店がしのぎを削っていることで有名ですが、白河盆地は果物の栽培が盛んで、白河農協にはこれらの果物が豊富に集積されます。白河農協で、目の前の搾りたての果物ジュースの美味しさは抜群です。
白河は江戸時代きっての学芸大名だった老中松平定信の居城で、白河城や博物館、清潔な街並みと戊辰戦争の激戦の史跡など見るべきところが多い街です。
阿蘇と同じように農産物がおいしかった地域に、山形県と福島県を挙げましたが。2つの地域に共通しているのは火山が中央にあり、町や村はその裾野や盆地にあることでした。 どうやらおいしい作物ができる条件は火山にあるようです。
しかし昔から火山灰土は耕作に不適地と言われてきました。私たちの世代は小学校で、日高山脈、八甲田山、木曽高原、八ヶ岳など火山山麓に入植した開拓農民が撤退した悲劇を学びました。
江戸時代から戦前まで、火山の裾野に入植した開拓民たちの多くが作物が実らず撤退の悲劇となりましたが、作物栽培が不毛な火山灰地の阿蘇や山形の西吾妻や出羽三山や蔵王、福島の那須、安達太良、吾妻の山麓で、どうして作物ができるようになったのか?
そして更に火山灰地での作物の美味しさの秘密に豊富なミネラルの存在があるのでは?
更に全くの仮説ですが、私が子供の頃、野菜嫌いで無かった野菜の美味しさを産みだした昔の有機農法の秘密についても触れたいと想います。
これらは私は農業の専門家ではないので勝手な仮説でしか語れませんが、私の辿って来たガーデニングでの土壤と有機栽培について実際の体験に基づき触れたいと想っています。