ようやく立春を迎えて
ようやく大寒も終わり、待ちに待った立春を迎える直前2月1日、恒例の稲門山の会の総会・新年会が新橋の航空会館で行われました。
例年大隈会館で行われますが、総会・新年会合わせて3時間半もこえるため、大隈会館は3時間という時間制限もあるため、新橋に場所を移して開催されました。
稲門山の会は早稲田大学山の会のOB・OG組織で既に70年近く続いています。先日ネットニュースで早稲田大学ア式蹴球部いわゆるサッカー部が創立100周年を迎えましたが、かってはJリーグチェアマンや日本代表監督2人も出し我が国のサッカーの歴史を作った部も、今は関東の2部リーグに甘んじていて前サッカー協会会長の筑波大OBからハッパをかけられているとありました。学校から予算とスポーツ推薦がある体育局のクラブでも、長い間の栄枯盛衰があるのに、我々校友会のクラブは部室は与えられますが、何の援護も無く70年近く継続するのは容易でありません。
社会に出て仕事で初めての同窓生に何人も会いますが、学部を名乗る前に最初の質問は学校で「何をやってきたか」でした。それはスポーツであれ、音楽であれ、演劇であれ。政治活動であれ、学校の授業はともかく4年間何に打ち込んで来たか、早稲田の場合暗黙の裡に問われているように想います。
古い山村に行くと、里芋の収穫シーズンに山から流れる急流の小川にセットされた回転式の木製の芋洗い器があります。里芋の皮むきは手間がかかるので、この芋洗い器に里芋を入れて、水の力で回転させ芋同士ぶつかり合いながら皮を剥く道具です。以前卒業生向けの学報で総長が入学式で新入生たちに早稲田は芋洗い器だと話している記事を見かけました。
クラブの活動を通して様々な人と頭をぶつけあいながら,一皮剥いて欲しいという意だったのでしょう。
大学の考え方の相違は、何気ない箇所に出ます。今は分かりませんが20年前、あるミッション系の大学の庭の芝には「芝生の中に入らないでください」という看板があるのに対して、早稲田の庭の芝には「芝生の中で夜明かしはしないでください」と表示してあったそうです。
時代は変わり近年は大学もグローバルな競争に突入し、私たちの時代に比べると、勉学や学問が最優先になりました。私学は人数も多いため勉学については旧帝大や主要国立大に比べるとやや甘い所がありましたが、近年の早稲田は旧帝大に負けない勉学の府に変わろうとしています。それだからこそ人間のゆとりをつくる登山活動はとても貴重に想えてくるのです。
現役学生の新旧役員は前列、後ろはOB連です。学生とOBの年代はとてもギャップがありますが、昔と違って社会の活動が厳しくなって、リタイア直前にならないとOB会活動に加わる余裕がないからです。
今年も何人かOB会の先輩、同期、後輩が鬼籍に入ってしまいました。皆で黙とうを捧げます。段々寂しくなってきます。
毎年外部から登山関係の人に講演を依頼するのですが、今年は初めて理工科学術院のマスターに、先日オランダの学会で発表したサスティナブルなある研究の中間成果について講演していただきました。これも勉学、学問重視の大学の姿勢の賜物です。
大学の事務局職員の加藤先生です。加藤先生は立教大学山岳部出身で日本山岳会学生部で活躍し学生部のヒマラヤ遠征も主導しました。加藤先生はまだお若く学生の会の会長として打ってつけの人です。OB会もコーチ会を結成して指導していますが、やはり新しい知識を備えた現役の岳人こそふさわしく感じます。
学生との山行の想い出
歳を重ねるとブログの記事でも過去を想い出すことが多くなります。それは当たり前で今行っていることと、過去を比べたら過去の出来事の方が比べ物にならないくらい多いからです。学生たちと毎年の日帰りハイクやRCT、部室でのミーティング、装備の点検など良く行いました。
12年6月、北八つ縞枯山~天狗岳、夏沢鉱泉縦走
13年6月赤岳
14年7月穂高
燕岳、槍ヶ岳、キレット、北穂高と縦走した現役と穂高で出会う。悪天のため東綾は中止
15年新人合宿北八ヶ岳、女子と男子2パーティに分ける
この年から一年生が定期的に入会するようになりピラミッド組織がつくれるようになりました。
16年7月白馬三山
17年60周年徳澤園集中
新入生歓迎ハイクはコロナ前まで毎年行われていた。
RCTは毎年夏合宿前に必ず実施した。
17年3月雪山訓練合宿、北八つ天狗岳
滑落停止訓練
18年3月雪山訓練合宿、北八つ天狗岳
私にとって7年前のこの山行が最期の雪山になり、同時に現役学生との最後の山行になりました。74歳でした。