薔薇のエッセイ36、薔薇とガーデンDIYの軌跡(主庭編)2

前回、1995年に主庭のDIYとガーデニングを始めてから、2013年までの18年間の軌跡を簡単に振り返ってみました。
今回は、2014年総デッキの庭を取り壊して、元の土壌の庭に改造し現在に至るまでの11年を振り返りました。

今回も前回同様、薔薇とガーデンDIYの軌跡だけでなく、その年ごと代表的な山行を掲載しました。
ガーデニングの軌跡を振り返った時、庭の画像だけでは変化が小さく、自分で「あの年だったのか!」と直ぐに想い出せないからです。日帰りハイクや軽い山は記憶の彼方に隠れてしまいますが、体力や技術を要する登山はいつまでも記憶に残るからです。近年歴史散策の旅が増えていますがこれらは軌跡から外しています。

人は一度に多くの事は出来ず、改めて記録している画像を眺めながら振り返って見ると、登山の忙しかった時代は、薔薇庭の密度は薄くなっているのが分かります。これは費やした時間の問題というより、かってのようにあらゆるジャンルの薔薇や品種を体験したくて薔薇に情熱をかけていた時に比べると、薔薇に未知の世界が少なくなり、以前のように新たに購入した薔薇が少ないことが理由です。

元々花や薔薇を始めた動機は、日々の暮らしに自然を味わいたいと始めた事で、花や薔薇はその目的であり舞台を作る手段がDIYでした。しかし新たに購入する薔薇が減って庭に華やかさが無くなっていたとしても、自然を感じながら暮らそうとする欲求は減ることなく、見沼田んぼの散策と共に自然はすっかり暮らしに入り込んでいます。

毎朝、日課のウォーキングとストレッチを済ませ朝食を終わり、出かける用事が無い時は、直ぐ庭に出て薔薇や草花を点検しながら水やりを行います。前日の朝、庭で新たに咲き始めた薔薇や花々が切り取られているに気が付きますが、それらは家内が仏壇やトイレや食卓の花瓶に活けた痕跡で、家内共々自然を楽しんでいます。

現代社会は、HOWTOやトリセツの時代と言われ、考え方抜きで直ぐ結果を求める風潮のように見受けられます。しかし植物栽培は、他の多くの事と同じように方法論よりも考え方の方が重要です。また方法論はこれが絶対という事はなく、考え方に従って何通りも出て来ます。

ガーデニングは一度始めると途中で放棄できません。水やり、雑草取り、花柄積み、伸びた小枝の処理などと、毎日眼の前にやらなければならない作業が待っています。そんな作業を終えたひと時、約30年前ガーデニングを始めた頃から、無我夢中でガーデニングに取り掛かっていた時代をふと思い出すことがあります。
振り返えってみるとガーデニングに要した時間は膨大でしたが、あっという間の期間でした。もしガーデニングを行っていなかったら、何をしていただろうとふと想いますが、その答えは絶対というほど出て来ません。

野田のオープンガーデンの会員間のプレオープンとして先日皆様と家々を回ってきました。オープンガーデン前のためどのお宅でも、その朝まで作業していた雑草などが詰まったゴミ袋が目に入ります。その光景を想い出しながらオープンガーデンの皆様も、多分ガーデニングを行っていなかったら?と想う事すらありえず、私と同じくガーデニングは必然だったと想われていると想像します。

改めてガーデニングは悔いることのない趣味だったと確信しています。


2014年 デッキを約7割壊し、土の庭に戻しました。

デッキの基礎が腐食し、家内がいつデッキを踏み外すか心配になってきたため、思い切ってデッキの主要部分を壊し土の庭に戻しました。

このDIYで膨大な量の廃材が発生しました。廃材は市のごみ焼却場の持込条件に合うよう、ネジや金具などの金属部分を取り除き、デッキ材を全量既定の幅にカットしました。そして廃材がまとまる度にゴミ焼却場に運びましたが、買い変えたばかりの車の車内は木材の粉で散々でした。

木材はゴミとして処理できますが、コンクリートの根太石は処分できず、かなりの数家の裏に積んでいます。

アプローチはとりあえず手持ちのコンクリート平板を敷きました。どのような敷石で仕上げるかホームセンターを回りながら調べました。
またアクセントに新たにアーチを設置しました。

画像の左側の薔薇たちは、鉢植えで瀕死の薔薇たち処分するのはかわいそうなので、株間を開けずまとめて植えましたが、皆元気に息を吹き返しました。

薔薇を庭植えすると水やりの頻度が減ってきますが、カミキリムシやコガネムシの幼虫の食害のリスクは増大します。
庭土はコンテナでブレンドした団粒の土と比べると、団粒度が悪いため堆肥など有機物を入れ込みます。これがカミキリムシやコガネムシの幼虫の居心地をよくします。

2015年、鉢植えから地に降ろした薔薇は大きくなってきました。

害虫は面白いもので1季咲きのランブラーにはあまり虫害をしません。きっと不味いのでしょうか。一季咲きのオールドローズも割と虫害は少ないのですが、四季咲きのブルボンあたりになると多くなり、イングリッシュローズなど香りのよいシュラブローズはより多く攻撃を受けます。

6月、新人合宿女子パーティ北八つ、天狗岳

この数年前からクラブのOB会の役員になり学生担当だったため、学生との山行の機会が増えました。
役員になった時は、現役学生がゼロになり存続の危機にありましたが、その後少しずつ入会者があり、この年ようやく男子と女子パーティに分け、北八つ天狗岳で新人合宿を行うことができるようになりました。学生の山行は山小屋は使用せず全季節幕営で行います。
我々の学生時代、無雪期は天幕や食料など共同装備は1,2年生が背負いますが、今の学生は優しく共同装備は2年生以上が背負います。私はOB2名と女子パ-ティに参加しましたが、女子学生たちはお爺さん位の我々OBに気兼ねせず、和気あいあいの2日間でした。黒百合の急な斜面で雪上訓練も行いました。
この時参加したある新人の女子学生は卒業までリーダーシップでクラブを支えてくれたため、各年代学生が揃い安定した組織に変わりました。

8月、学生OB合同山行、白馬三山

OB6人、女子留学生主体の4人との合同山行を行いました。合同と言っても学生は幕営でOBは小屋どまりで、行動は一緒でなく我々が学生パーティを後ろから見守る体制でした。学生パーティはリーダーは3年女子でしたが、他はアメリカ、オーストラリア、中国の留学生たちで、白馬山頂では皆大感激で中国の女子学生は本国のお母さんに山頂の景色をメールで送っていました。OB6人の内4人は海外赴任が長いため言葉は不自由しません。

2016年 この年に現在の庭の原型ができました。

デッキを壊した跡の土壌の部分は、除草シートを敷き、その上に組み合わせの敷石を敷きました。敷石は価格のやや高い敷石とやや安い敷石の2種類敷きましたが、5年後残ったデッキを壊した際、やや高い価格の敷石に敷きなおし、やや安い敷石は補助で使用しました。価格は正直なもので、迷ったら高い価格の方を購入した方が間違いは少ないことが分かりました。
今回アーチに続いて、リーズナブルな価格だったためガゼボを購入しました。

現在の庭と異なる箇所は、未だデッキを全て壊していないことです。

赤い薔薇は大好きなフランシス・デュプルイュです。香りのよさは薔薇の中でも五指に入ると想っています。

今も変わりはありませんが、紫紋羽菌など特殊な要因を除いて、薔薇で死ぬのは「根腐れ」「ゴマダラカマキリの幼虫の食害」 「コガネムシの幼虫の食害」の3つしかないと想っていました。

これまでの私の経験で、高温多湿の我が国の薔薇栽培環境は、広い場所で適度な風通しの良さが、栽培を容易にしていることに気がつきました。

薔薇栽培を始めた当時は、自分の庭で黒点病で悩んでいる品種が、同じ品種でも広大な薔薇園や農場などではいつでも葉が青々としているのを見ると、自分の栽培技術が下手なのかと想っていました。
また自分の庭では害虫の食害も目立ちますが、陽当りと風通しの良い薔薇園や農場では、害虫が食べきれないほどの薔薇があるため、1本当たりの薔薇にとってはそれほど問題となっていないことに気付きました。ただし鉢栽培ではガネムシの幼虫に対しては個人宅も農場も条件は同じでしょう。

住宅街の中の風通しの不十分な庭での薔薇栽培には多くのハンディがあります。そのハンデイを失くすのは、日々の手入れを習慣化することで決して仕事を溜めてはいけないことです。今忙しいから来週にしようと想ったら、虫害は益々進行します。

かって愛犬が具合の悪い時には気が重くなりましたが、ゴマダラカマキリやコガネムシの幼虫の食害で薔薇が枯れるのは、愛犬ほどではありませんが、やはり気がめいって来るのです。でも薔薇の場合は代わりの薔薇を手に入れれば解決着くと、思い直して気持ちを入れ替えるようにするしか仕方がありません。
代わりの薔薇を購入しないで、減ったままにしていると庭は少しずつ寂しくなって行くのです。一度寂しくなった庭は回復させるのは新しい薔薇の成長と同じく数年を要します。

 

8月、北アルプス縦走、鏡平、双六、三俣蓮華、黒部五郎、太郎兵衛平

毎年、春から登山を開始しますが、薔薇の季節が終わると、夏に向けて本格的に登山モードに変わります。

この頃、同期の仲間は登山を止めたので、登山はOB役員会の下の年代の新たな仲間と恒例になりました。この夏は鏡平から北アルプスの最深部を通過する縦走を行いました。
黒部五郎岳のカールは北アルプスの中でも秘境に近いユートピアです。クラブの60周年記念のTシャツに着替えて記念写真です。

2017年 新しい薔薇には少し関心が薄れてきたため、庭に彩りが少なくなりました。

大体のジャンルの薔薇は経験してきたので、薔薇には未知の魅力が薄れてきたこともあり、この頃は新たな薔薇の購入も少なくなりました。また草花の購入も多くはなく、庭はあまり手をかけずに纏めようと試みました。
今思うと、この頃は、登山の旅費や装備の買い替えに出費が多く、薔薇や草花の購入は疎かになっていたいました。2~3日の登山では5万円ぐらいかかるし、夏のまとまった登山では下山後の温泉も含めると7~8万円は要します。2~3日の登山を行えばブランド薔薇は12本購入可能です。シュラブローズのブランド薔薇を毎年10本以上植えれば、3年で
かなりの庭になったでしょう。
しかし庭は薔薇苗の購入金額だけでなく、付帯する鉢や用土、肥料もさることながら、それらを育てていく膨大な時間を要することを知っていたので、登山と薔薇は中々両立できなかったと想います。

愚犬が亡くなってから、さあこれから薔薇をめい一杯やるぞと想ったら、その反対で愚犬と暮らしていた10年間の方が薔薇は華やかでした。
考えるに、愚犬は日々の暮らしでのパートナーで薔薇も同じパ-トナーだったことに気が付きました。愚犬はガーデニングの邪魔でなく、私の気持ちが非日常世界の山に向かうことを、日常の暮らしにつなぎとめてくれた役割を果たしていたのだと想います。

犬を飼い始めた時、犬と暮らした英国人のある犬のエッセイを読みました。
その本は主人公の犬が自ら書いたような文体の著作でしたが 、その1節の中に犬が毎日同じ場所を散歩していて飽きないかという問いがありました。
犬の答えは毎日同じところを散歩しても決して飽きることはなく、草の臭いをかきながら、そこに誰が通ったかなどあれこれ思い浮かべる。そういうことに日々の彩かあると記していました。このエッセイは若い時から登山の非日常世界に憧れてきた私にとって、日々繰り返す平凡な日常の繰り返しこそ、日々の彩を感じるのだということを教えてくれたのです。
愚犬や花や薔薇は、私に日常の平凡な繰り替えしこそ、日々ならではの彩があることを気づきさせてくれたのです。
登山も良いけど、庭で薔薇や花と格闘している日々も悪くないぞと教えてくれました。

車で遠くに行かなくても、いつも目の前に私の世話を待っている自然がありました。

8月、鏡平、抜戸岳、笠ヶ岳縦走、台風襲来のため雲ノ平、烏帽子縦走は中止に。

学生時代、夏合宿の北アルプスの縦走では、最深部にある秘境と言われた雲ノ平に何回か行きましたが、卒業して見ると雲ノ平は遠く日数がかかります。前年黒部五郎岳から雲ノ平を見た時、来年は行こうと話がまとまりました。
そして翌年、この計画は笠ヶ岳を往復し雲ノ平に行き、ついでに烏帽子から大町に下山する6泊7日の予定を組みました。今考えると随分張り切っていました。未だ体力はあったのでしょう。
学生時代北アルプスのほとんどのピークは登りましたが、劒の北の端の毛勝三山、白馬の北の外れの朝日岳、そして南端の笠ヶ岳は残してしまいました。朝日岳は挑戦しましたが、梅雨末期の豪雨に阻害され、毛勝は登山道が整備されていない山なので諦めていましたが、笠ヶ岳は高山の街から望め、播隆上人が北アで最初に開山した名山のため、いつか登りたいと想っていましたが、容易な山でなく今まであきらめていました。

この山行きは長大な笠ヶ岳は鏡平から往復した方が楽で、そのまま稜線を縦走し雲ノ平経由烏帽子迄の行程でした。SLの島田OBは所用のため最初から参加できず、笠ヶ岳はカットし後半の雲ノ平縦走に参加予定でしたが、台風の直撃予報のため島田OBには出発を取りやめて貰い、我々は前半の笠ヶ岳で下山するとの連絡を行いました。

台風直撃は予報通りで、後刻この山塊にいた人の話を聞くことがあり大変だったそうです。

3月、北八つ天狗岳、学生雪上技術訓練山行

学生の雪山訓練山行のため一度止めていた雪山を再開しました。久しぶりの雪山でしたが、北アルプスに比べると八ヶ岳は条件が厳しくないので気が楽でした。学生諸君たちは皆素直で年寄りの経験を嫌がらず聞いてくれました。

2018年 残ったデッキも根太が腐りデッキが浮いて来たので、切り取りました。

総デッキを7割壊し、回りのデッキを1部残してきました。このデッキと土壌のミックスの庭はとても使いやすく気に入っていましたが、デッキ部分はやはり根太の腐食が進行し画像のように浮いた部分も出来ました。このまま放置するとつまずく恐れもあったため、いったんデッキを全て剥がして基礎を撤去し、必要最小限のデッキ部分は基礎から作り変えることにしました。
解体とゴミ処理場へ持ち込むための金具外しとカット、そして廃材加工が出来た順から市のゴミ焼却場通いが始まりました。以前解体時ゴミ焼却場は行くと並ばず処理場迄持ち込めましたが、今回は、旧浦和市のゴミ焼却場に、何故かさいたま市全域からゴミが持ち込まれるらしく車が列を作って順番を待つようになり、とても時間がかかり、市立病院の混雑なども想うと旧浦和市は合併して損しているような気がします。旧浦和市を愛するあまりグチが出てしまいます。

残したデッキは根太から全て作り変えました。

庭の良いのは初夏までで梅雨に入ると雑草との戦いになります。

3月、北八つ天狗岳、学生雪山訓練山行

前年に引き続いて天狗で雪山訓練山行を行いました。雪中露営、滑落防止訓練、天狗岳の登頂など3日間の雪山訓練です。現在の学生は大学の方針が変わり勉学が忙しく、夏休みを除いて長期の休暇が取りにくくなっています。従って我々学生時代のように北アルプスでの本格的な長期の雪山はできません。代わりにクライミングジムが普及したため、日常的に岩登りに親しんでおり、無雪期短期間で楽しめる幕営に寄る沢登りが盛んになりました。

普段容易な天狗の登りも斜面が異様にクラストして最後の急斜面はアイゼンの前爪だけでのぼりました。雪山は予想外のこともあるのです。
下山もオナジルートを同じ姿勢で下ります。

滑落停止訓練は、急斜面であらゆる体制で繰り返し行い、身体で覚えます。

7月、北海道大雪、トムラウシ岳。

北海道の中心部大雪山からトムラウシまでの縦走は、現代の岳人にとって憧れの山行です。この年の3年前ツアーパーティによる大量遭難事件がありましたが、クラブの後輩の元読売記者だったOBがこの遭難報告のメンバーであったため報告書を読みましたが、北海道の夏山は荒天になると北アルプスと比べ物にならないくらいの寒さが訪れることが分かりました。

この山行は大雪緑岳から4泊5日の幕営によるトムラウシ縦走の計画でしたが、初日稜線下で強風に遭遇し稜線で天幕が張れないため緑岳下から一旦下山し、バスで南下しトムラウシ登山を行いました。トムラウシの大量遭難は、実際に岩だらけの歩きづらい登山道を辿ってみると、小屋も避難する所も生水も飲めないトムラウシで荒天が続いたら、今の自分では確実に死ぬだろうと想いました。

高山植物の宝庫トムラウシ

8月、鏡平、雲ノ平、烏帽子山行中止、この夏哀しい出来事が生じました。

鏡平で後輩のOB高野君の明神での行方不明の連絡を受け、急遽山行を中止し上高地の日本山岳会山岳研究所に向かいました。

8月、一次、二次捜索

我が国有数のクライマーだった日本山岳会会員の高野君は穂高の昔のヴァリエーションルートを楽しむために通称山研を起点に単独で行動していましたが、明神S字状ルンゼ上部でビバークするとの連絡を最後に行方不明になりました。
この山研を拠点に県警の1次捜索、民間業者の2次捜索に後方で関わりましたが、半月後、県警ヘリによって明神岳ワサビ沢上部で発見されました。

日本山岳会上高地山岳研究所、ここを拠点として2度の捜索支援に当たりました。

2019年 この19年から21年にかけて、ゴマダラカマキリやコガネムシの猛威で多くの薔薇が枯れてしまいました。我が庭にとって悪夢の2年でした。

手前のアーチにマダム・ピエール・オジェを仕立てていましたが1昨年、ゴマダラカマキリにやられてしまいました。
後のガゼボには今回食害されたルィーズ・オディェと共にラ・レーヌ・ヴィクトリアも絡めています。この2つの薔薇は本当の姉妹ですが、この2本の薔薇は、マダムピエール・オジェと共に私の中では大好きなブルボン3姉妹と想っていています。この美しい3姉妹のうち1人が昨年消え、更にもう一人が我が家の庭から消えて、今年は3姉妹のうち1人だけになってしまうのです。

ルィーズ・オディエとラ・レーヌ・ヴィクトリア、マダム・ピエール・オジェは、私の庭では全て2代目の薔薇でした。
これらは19世紀中盤から後半にかけてフランスで作出されたオールドローズで、ブルボンローズとグループ名で呼ばれています。
オータム・ダマスクとパーソンズ・ピンク・チャイナとの自然交雑で産まれた薔薇で、ブルボンという名はブルボン王朝と関係があるようにみえますが、そうではなく発見された場所が、インド洋の当時フランスの植民地のブルボン島(レニオン島)であったことから名づけられました。

画像を観ながら、枯れてしまった薔薇の姿を追想するのも女々しいことですが、思い出してみると薔薇栽培とはこの女々しさの連続でした。一般に薔薇は樹木ですから永遠のイメージがありますが決してそうでなく、自ら香りを放ち虫を呼び寄せて種の保存を図ろうと意図したものが、多分虫にとって薔薇は果樹と同じくおいしいものなのでしょう。おいしそうな香りの良い薔薇は害虫に執拗に反復攻撃を受けてしまうのです。

薔薇栽培はゴマダラカマキリの幼虫とコガネムシの幼虫の食害との格闘の時代になりました。

8月、北アルプス鏡平山荘大沢支配人と共に。

北アルプス縦走の起点として、鏡平山荘には5年続けてお世話になり鏡平山荘の大沢支配人と知り合いになりました。
山荘では、大沢支配人指揮のもと鏡平の登山道整備を行っており、50年前黒部源流遡行の際、初めて切り開かれた新道を下りましたが、その時代と比べると、登山道に平らな石を積み上げて、立山と争うような1級の登山道に仕上げ、登山中気が付きましたが、鏡平新道は北アルプスでは女性の単独登山者数はNO1だと想います。
5年前登山道の余りの変わりようにお礼を申し上げてから親しくなりました。
しかしコロナ禍が発生したため3年間山行が遠ざかったため、その間定年退職されてしまいました。

2020年 リビング寄りのデッキを壊し、新たに敷石板を敷きなおしました。

この30年間の薔薇の害虫について振り返って見ます。

30年前、当時どの薔薇栽培書を見ても、薔薇の主な害虫はアブラムシ、カイガラムシ、ハダニ程度であり、チュウレンハバチもコガネムシもバラゾウムシ、スリップスも、紹介されてなく、日本バラ会が監修した書物では巻末に小さく掲載されているだけでした。

カミキリムシの専用薬剤テッポウダンはそれ以前からありましたが、私がカミキリムシに直面した時は、これ以外に専用薬品は無く、園芸用キンチョールが発売されたのは、確か2003年位からでした。

多分、当時薔薇栽培では、スミチオンやマラソンの殺虫剤の全体噴霧が常識で、また住宅地で噴霧が不可能になった石灰硫黄合剤の噴霧も、薔薇栽培書では必ず紹介されており、ゴマダラカマキリ紹介はありませんでした。また薔薇栽培書における薬剤散布はアブラ虫対策と黒点病とウドンコ対策で、当時は殺虫剤と殺菌剤を混合して使用することもなく個別薬剤の噴霧を紹介していました。

近年、薔薇の害虫ではゴマダラカマキリとコガネムシの幼虫の食害が猛威を振るっています。私がこの2つの害虫の被害に一番受けた年は202お年から21年22年にかけてでした。
ゴマダラカマキリの生態には種々様々な説が有り、その実態は良く解りません。
例えばゴマダラカマキリが1回に何個タマゴを産むか、何処で卵を産むのか、産んだ卵は幹の中で孵化するのか、地中で孵化するのか、株元の穴は幼虫が木に入る穴なのか?幹の中を食害した幼虫が、ゴマダラカマキリに脱皮するための穴なのか?不明です。
ゴマダラカマキリはメインの幹のやや下の方にじっと止まっている姿を見かけます。ここで産卵するとしたら、卵は幹に穴を開けて木の中に押し込むか、その場合は孵化した幼虫は、幹の上から株元目掛けて食害し、内部から穴を開けてゴマダラカマキリに脱皮します。しかし株元にオガクズが大量に出ていて穴が無い場合は、その意味は不明になります。
要は幼虫がコガネムシの幼虫のように地中に潜んで株元に穴を開けて食害するのか、幹の中を食害しながら株元に向かって進むのか、良く解らないのです。


21年から23年にかけてゴマダラカマキリの幼虫によって20本は枯れました。オガクズが出ていても株元に穴が無く、掘り起こして根を観るとコガネムシの幼虫のように細根が食害を受け根の機能を果たせず枯れた事が分かりました。

また枯れた枝の中の大きくなった幼虫も見ましたが、どれも1匹だけで、ここまで成長する間に共食いを繰り返し大きくなった恐ろしい自然の摂理も想像してしまいます。

22年の後半から薬と使用方法を変えてから、しばらく小康状態が続いています。

2021年 DIYで大幅メンテ

1995年に総デッキを作成してから19年経った2014年に、デッキを解体しました。フェンスは1994年に設置して26年経った2021年に大幅メンテを行いました。
高温多湿の我が国でウッドフェンスやウッドデッキはどれくらい持つのだろうか? 
両方とも20年位持ってくれれば御の字だなとデータの無いまま制作を始めましたが、ウッドデッキの寿命は19年でしたが薔薇の置き場にせず、雨水だけを考えたら、途中メンテをかければ何とか25年は持つのではないかと想います。

フェンスは雨に当たる小口をアルミ板で覆っていましたが、やはり小口部分の腐食が目立ちました。柱は2本ほど基礎部分の腐食が見られたため、新たに柱をあおり止め風にして補強しました。ラティスフェンスは塗装メンテを10年に1度行っていたため健在でした。

耐久性を維持できたのは、腐朽に強いウエスタンレッド・シーダー材に浸透性木材保護剤のシールステインを3度塗った事、その後10年ごとにペイントメンテを行ったことでした。

フェンスのメンテ

腐食した柱の小口やツノやバーを取り除き、新たな2×4材で装着します。薔薇が邪魔だったので短く剪定したり鉢に植え替えたり作業場所の確保に苦労しました。

柱の小口な雨除けにアルミ板を装着しましたが、長年の雨でフェンスの天上のバーと角(ツノ)が腐食して来たので取り外し、新たなバーを設置します。

木材の素材と塗装

30年前デッキの木材素材として米国からSPF(スプルース、パイン、ファー)の混合材の防腐処理(CCA)材はコストが安く、使用を検討しましたが重金属による防腐剤だったので、高価でしたが防腐処理していないウエスタン・レッド・シーダーを使用しました。現在では安全基準の厳しい米国はCCA加工を禁止しSPFのACQ処理された防腐剤に変わっており、ホームセンターで売られています。

途中のデッキメンテはこの安全なACQ防腐剤を使用し、メンテ用として保管していたシールステインを3度塗りし、更に水性ペイントの強引に3度塗りを行いました。

ラティスフェンスも面倒ですが2度塗りしましたがマスキング処理が面倒でした。

柱のあおり止め

45㎝のフェンスブロックを埋め、4×4材に寄るフェンスのあおり止めを作りました。これで私が死ぬまでメンテの必要は無くなりました。

棚のメンテと完成した庭

テラコッタの置き場書棚のメンテも行いました。最近草花はプラ鉢を使用し、重いテラコッタはストックになっています。

メンテ完成、この後薔薇はかなり地植えにしました。

敷石も敷きなおしました。

2022年

近年感じていることですが、気候変動による温暖化の影響は、大雨による洪水、巨大台風の襲来、今冬の日本海沿岸の豪雪など地域規模の気象変化に現れていますが、まだ私たち個人の健康まで及んでいませんが、実は薔薇には数年前より影響がでているように思っています。それは私が薔薇を致死に至る3つの原因で挙げた「根腐れ」「コガネムシ幼虫」「バラゾウムシ」に現れているような気がするのです。

薔薇の原産地はユーラシア大陸西部の乾燥地帯です。薔薇は通常温帯で栽培される植物で、我が国のような高温多湿なアジアモンスーン地帯で栽培されることは稀です。
そして日本原産の原種バラから作られたランブラーローズやハマナシから作られたルゴサと、或いは万葉の時代から存在していたチャイナローズと異なり、薔薇の品種の多くは、我が国に到来してから100年も経っておらず、まだまだ完全な土着化には、相当年月が必要です。そんな土着化の過程で、突然生息環境そのものが変化する気候変動を迎えています。

外来種の花や薔薇も土着化の歴史の中で生きており今が過渡期とも言えなくもありません。

8月、那須裏街道、会津大峠

江戸時代会津藩が江戸への廻米輸送のため大内宿、会津田島、五十里から氏家までの会津西街道経由から、那須山中の大峠を越えた街道を開発し山中に旧三斗小屋(現在の三斗小屋とは異なる)を設けました。昨年夏、若い時の会社の山仲間と那須修験道の板室温泉から旧三斗小屋まで辿り、三斗小屋から峰の茶屋経由で下山しました。
その年の冬、約1か月の入院を余儀なくされましたが、リハビリを重ね、夏に会津側から会津大峠を目指し、北那須の流石山登山も行い、リハビリが完成した記念すべき山行となりました。

2023年

私の薔薇栽培と大型犬の愚犬を飼い始めた時はほぼ同時でした。大型犬の愚犬が亡くなった時、愚犬の画像見ながら同時に庭の画像を眺めていました。すると大型犬の寿命と薔薇の寿命とほぼ同じであることが分かりました。

愚犬は10年で亡くなりましたが、大型犬としてはほぼ標準です。犬は人間と比べると3倍のスピードで生きると言われていますが、幼犬から成長し半年で成犬の大きさになりますが、落ち着かず3歳になると突然名犬になり落ち着いてきます。5歳では堂々の貫禄を漂わせ、毛並みや態度、物腰などピークを迎えます。やがて7歳に近ずくと鼻の頭が白くなり、やがて老犬になり約10歳で最期を迎えます。
アルバムを見ると薔薇は3年目にイメージ通リの大きさと姿になり、5年目に美しさと樹勢のピークを迎えます。6年から7年経つと株元から出ている枝が1本減り2本減ると10年経つ頃はこの1本がゴマダラカマキリの食害にあって枯れてしまいます。
鉢植えの薔薇の寿命は10年プラスマイナス3年で、地植えの薔薇はこの3割増しで、ランブラーなどは範囲外です。

30年以上薔薇栽培を続けて行くと、寿命はともかく5年目位が一番薔薇のピークではと想います。

したがって美しく鮮やかな薔薇庭を維持しようと想ったら、5年目の薔薇を主力に揃えることです。という事は枯れたら直ぐ新しい薔薇を購入することですが、薔薇栽培を始めた当時に比べるとなかなか意欲が湧きません。何回も触れましたが、私にとってジャンル、花姿、歴史など未知の薔薇が無くなって来たせいもあるのでしょう。

もうひとつ、一般に言われることはありませんが庭の土壌の劣化対策です。
思うに新しい住宅の庭で、薔薇を始めて数年で見事な庭になった例を何軒も見てきました。我が家の庭も同じく、その後最初ほど庭の自力が維持しているようには見られません。
鉢は植え替え、畑は毎回耕し、また熱心な人は冬に天地返しをおこないますが、庭は畑のように耕すことはできないのです。堆肥を入れて土壌の団粒化を促進しても、微生物など土壌の劣化が進行します。30年継続使用したらなおさらです。薔薇の植穴の土壌だけを団粒にしても解決できるか疑問です。恐らく微生物、土壌の構造、ミネラル分など総合的なものが必要なのでしょうか?

上野ヒマラヤンムスクとアルベルテ-ンは30年選手です。イングリッシュローズのエイブラハム・ダービー、ルデュテ、セントセシリアも30年以上経ちました。薔薇の寿命は平均です。

小花の薔薇が多くなり、以前のような華やかさに欠けますが、それは今の私に合っているような気がします。

主庭には鉢で栽培していた小輪の薔薇を移し替え花柄積みやメンテの手間を省くようにしました。我が家で一番薔薇が眼に触れる場所は主庭のリビングから見える場所ですが、そこは真冬を除いていつも緑の小葉が微風にそよいでいるような風景に見立てる様にしています。それだけでは寂しいので挿し色になる鉢植えの薔薇を置いています。

私がガーデニングを始めた動機は、山に行かなくても日々自然を感じていたいという動機でしたが、実際に始めると花いっぱい、薔薇いっぱいの庭になりましたが、改めて私がいつも根底に想っていることは、自然の風景を美しく感じるのは、「花の中に緑がある」のではなく「緑の中に花がある」風景です。

初期に比べると庭は華やかさが欠けてきましたが、私の自然の風景観の「緑の中に花がある」庭に近づいているようです。風景観は家内とも共有しています。

7月、鏡平から双六岳

3年ぶりの北アルプスの稜線でしたが、もう稜線まで荷を背負って登ることがしんどくなりました。
今まで登れたから良しとします。

2024年

薔薇のハイシーズンの画像ばかり掲載しましたが、夏から秋へはほとんど撮影していません。

しかし私の庭で多少誇れるのは、晩秋まで大半の薔薇はふさふさと葉をつけていることです。
自然界では夏から秋にかけて葉を落とした丸裸の灌木はありません。

私の庭のモットーは自然を身近に再現することであり、稀にはありますが丸裸な灌木など身近にあってはならないのです。

7月、みくりが池、一の越、富山、黒部黒薙温泉

みくりが池温泉に滞在して雄山登山を試みましたが梅雨末期の大雨で一の越で断念し、富山でおいしい魚を食べ、黒部に転戦し黒薙温泉に泊まりました。黒部の歴史と共に黒薙温泉は忘れられない宿になりました。

実践的な趣味を行う場合、どんな趣味でも基本と応用があることに気がつきます。ガーデニングは、旅行やスポーツ観戦、映画、絵画、音楽鑑賞などと違って、スポーツや楽器、絵描き、手づくりなどの趣味と同じように、見るだけでなく自ら手を染めて実際に体験し、基本を肌で憶えそれを踏まえて更に自分の考えで応用して行く実践的な趣味です。

ガーデニングを含む実践的な趣味は、自分が積み重ねた実践の結果が経験となり、それが更に応用へと羽ばたいていきます。机上でなく基本、応用を繰り返して行き、経験を積み重ねて行くことは登山と全く同じです。

どんな趣味でも10年真剣に実践すれば必ずモノになると、今は亡き高校の恩師がいつもそう言われたのを今でも良く憶えています。恩師は定年後、人間国宝の彫金の先輩や、教え子の芸術家の指導を仰ぎ、自分で窯をつくり3年目で伝統工芸展に入賞しプロの陶芸家になり、その後浦和の茶人の間では先生の茶碗を使用することが、誉れになっていたようでした。
私の場合は登山経験は60年を超え、薔薇とガーデニング経験はその半分の30年も越えました。

多分、高校生の頃か記憶は定かでありませんが、ある本で英国では公園の掃除係の老人が、実は70年の経験のある趣味の薔薇大家だったという記事を読んだことがあります。私の高校当時は、日本の菊づくりと同じように薔薇は紳士だけが行う高貴な趣味だと一般に認識されてい時代だったように想います。しかし階級社会の英国で、社会的に紳士階級でない公園の掃除係老人が、紳士の趣味の最高峰の薔薇の大家だったという英国社会の深さに驚いたことがあり、趣味は継続することで価値が出てくることを知りました。

モノになったかどうか判りませんが、登山の世界もガーデニングや薔薇の世界もいつも同じでなく変化し続けるため、長く行っていれば多少歴史を語る事ができるようになったことは、自身密かな喜びになりました。

前庭のガーデニングとDIYの軌跡はいずれ触れたいと想っています。