成就院の送り盆とお施餓鬼
今年もまたお盆とお施餓鬼を迎えることができました。
8月11日に、盆提灯を組み立てお盆の祭壇を作っていると、もう30数年毎年同じことを繰り返しているなと想います。
一般的には13日が迎え盆で15日が送り盆とされていますが、我が家では12日にお寺に迎え盆を兼ねて法要をお願いし16日には送り盆とともにお施餓鬼に臨み、お墓の古い塔婆と交換します。一度16日がどうしても仕事が休めなくなり、夜になってお墓に行き塔婆を交換しましたが、夜のお墓は余りにも不気味なため、12日か13日の迎え盆と16日の送り盆とお施餓鬼の日は、必ず空けることにしています。
お施餓鬼は、施餓鬼お施餓鬼とは六道の1つである餓鬼道に落ちた哀れな亡者や無縁仏など、全ての精霊のために施しを行って功徳を積む儀式で、通常は墓に塔婆を建てて法要を行います。
子供の時の記憶では、お施餓鬼は関東三大施餓鬼と言われた本寺の玉蔵院で、毎年8月23日に盛大に行われていました。
当時、お施餓鬼の意味は分かりませんでしたが、法要が終わると待っていた大勢の信徒たちが家族連れで塔婆を担いで、それぞれ末寺の菩提寺にあるお墓に中山道を歩いて向かう姿が見られ夏の終わりの風物詩のようでした。
一般にはお施餓鬼は施餓鬼会とか施餓鬼と言いますが、玉蔵院の末寺だった菩提寺の成就院(上寺)は、玉蔵院に倣ってお施餓鬼と呼び、送り盆を兼ねて8月16日に重要な儀式としています。

お施餓鬼の日は11時から本堂で法要を行い、更にご住職が並べられた塔婆に対して経を手向け、終わると自分の家の塔婆を探してお墓に奉納します。

本堂の法要の様子です。昨年の成就院のパンフから引用させていただきました。
昔から法要は本寺の玉蔵院末寺グループのご住職が揃って行いとても壮観です。
お導師様は成就院住職が務め、ご職衆様は、玉蔵院ご住職(仲町)医王寺(白幡)ご住職、副住職、和光院(辻)ご住職、真福寺(別所)副住職、成就院副住職です。

毎年変わらぬ風景です。

本堂でのご法要後、成就院ご住職、副住職、世話人さま方が永代供養墓、無縁仏墓、動物供養墓の供養を行います。成就院は旧浦和宿中心部の歴史ある寺院のために旧浦和宿の住民が埋葬されており江戸時代からの無縁仏が多いです。

線香の煙たなびく中、ご住職と副住職の美声の読経の声が墓地内に響き、こころが洗われるようです。お経の多くは偈(詩)の形式をとっているため、キリスト教の聖歌と同じく人間の呼吸のリズムと良く同調します。特に密教の経典は格調が高く凄いなと感じます。

お墓で久しぶりに親戚家族と会いました。去年の塔婆を、ご住職が私たちに代わって餓鬼どもに供養を行った新しい塔婆に変えます。
これは私たち生きる者が、あの世で先祖たちが餓鬼どもに供養を行えるように、先祖たちに代わって塔婆を建て供養を行うことによって、私たちの功徳となるのです。

お墓でのお詣り中、突然予想より早く雨が降ってきました。傘を持参しなかったため、本道の軒下で雨宿りします。休憩所を案内されましたが、直ぐ止みそうなので妹と談笑していました。

やがて雨が上がりました。塔婆を建てる人も動き始めました。
これで今年のお盆は終わりました。
お盆前、久しぶりに家族が揃いました。
子供たちの仕事の都合で12日のお盆の法要に出られませんでしたが、10日に家族全員でお墓参りを行いご住職にご挨拶しました。
息子は私が山から帰宅した翌日の7日から11日まで帰省し、娘は御主人を置いて9日に帰省し我が家に泊り、翌日お墓参り後浦和の街で食事会を行いました。

娘が泊った翌朝、息子と娘と4人で私たちが毎朝行っている朝のウォーキングに出かけました。息子も娘も朝が早起きになっているため私たちの早朝のウォーキングに付き合うことができました。家族揃って久しぶりなのでとても楽しかったです。