南青山でのOB親睦会
山の会OB親睦会はさまざまな形で行われていますが、この会は山の会で山岳気象を研究するグループの会で、8年上の先輩が音頭をとって、南青山の秋田料理の店で年2回初夏と晩秋に行われており。もう10数年続いています。参加者では私が一番若い方の1人ですが、皆さん毎年毎年歳をとり。参加者の中でもお亡くなりになられた先輩もおられます。

集まりは11月27日で表参道のイルミネーションは12月1日からなので、原宿から表参道を歩かず、地下鉄表参道駅から直接店に向かいます。

年2回続いている飲み会ですが、主催者のM先輩が筆まめで次回の日取りを早めに決めて案内しているため、突発的な用事以外は参加可能です。
以前は表参道の似たような路地の中、辿り着くのは容易でなかったですが、スマホのグーグルマップが一般化してから迷うことはなくなりました。

店はこのビルの2階です。小さな店ですが秋田出身のオーナーご夫妻が経営されて秋田郷土料理の美味しさは抜群です。

いつもこの狭い席に12人以上が座っていましたが、お亡くなりになった人たちもいるので、今回は10人で奥さん同伴の方もいらっしゃいます。

私より8年上の先輩方です。ここOB会出席の時は先輩の方々の様子を眺めています。30数年前乗鞍雪上訓練合宿で雪崩で亡くなった当時4年生の先輩の追悼山行に、卒業以来初めて公のOB会に顔を出しました。この追悼山行の参加者で私が最年少でしたが、私より遥かに年上の方々が、元気に肩から乗鞍山頂まで元気に登っているのを見て、この程度の山でフウフウいっている自分を恥じました。更にこの追悼山行で1年上の先輩たちが冬山までやっていることを知り、ものすごくショックを受けました。
山行後同期の故杉村兄に声をかけ、本格的に登山を再開すべく高尾山から身体造りをやろうと決めました。この時から私の山が始まったのです。以後OB会ハイクで先輩の様子を伺い、自分の8年後の姿を目標としてきました。
私たちの時代と比べて、8年上の先輩方のスケールは比べ物にならないくらい大きいです。M先輩は山の会メンバーで卒業後日本人が行っていないエクアドルのアンデスに遠征しました。当時は外貨文部省のスポーツ外貨の割り当てを使うしかなく、当時の大浜信泉総長にかけあって学術的な要素も入れてオール早稲田エクアドル遠征隊を組織しました。職を投げうっての遠征終了後、心配した総長の口利きで某外資合弁企業に就職し、企業法務を学ぶために留学しそのまま米国法人に在籍しました。今では米国で企業法務の小さな会社を経営し、米国人のパートナーに運営を任せています。手前の先輩は父親の企業を継ぎ2代目として大型船舶の機関修理会社を立ち上げ、現在では海外に複数の拠点の工場を置き、今では息子さんが活躍されています。2人は学生時代から卒業後も鹿島槍北壁や白馬主稜など後立山の雪山や、穂高の奥又周辺に通っていたアルピニストでした。
先輩方のお話は稀有な体験をされているにかかわらず、少しも自慢せず、たまたま過去に生じた出来事として捉えており、いわゆるチマチマしないスケールの大きな古き早稲田人の臭いを最も感じさせてくれる方々です。
