暑い夏の日々の中で

今年の梅雨は全国的には活発で、西日本では何回も線状降水帯が発生し大雨が続いています。先日旅した吉野川上流の大歩危、小歩危や祖谷渓は大雨に合うと沢や谷が増水し、通行止めになる場所もあるのでしょう。
5月末から6月初の旅では、出発の前日東海地方が大雨で新幹線も止まり、寝台列車も不通になりました。当日も夜間先行して走る貨物列車が線路状況から1時間遅れ、後続する寝台列車も1時間遅れました。
大歩危から阿波池田まで乗ったタクシーの運転手さんの話では、その時の大雨で国道が、翌日午後まで通行止めなったそうです。温暖化による近年の豪雨は、山国の狭い谷から峰まで張り巡らされた道路を直撃します。
また先日、松山城の城山が崩れ住宅が埋まり住民の方が3名亡くなりましたが、ニュースを見て唖然としてしまいました。

山城でなく平野の小山に建てた四国一の観光名所の松山城の城山が崩れたということは、地球温暖化は、私たちの予想外の事態をもたらし、今までの常識が通じない時代に入ったことを意味します。

青田ツーリング

7月の末から北アルプスの立山から富山、黒部の旅を行います。
荷物を背負って北アルプスの稜線に上がり、そこから北アの峰々を訪れるのは、昨夏限りにして今年は室堂のみくりが池温泉に2泊して浄土山と雄山を登るプランを建てました。空身でピークを登るにしても3000mの稜線ですから、それなりに身体づくりが必要です。

毎朝ウォーキングを行っていますが、山は平地を歩くことと異なり別な筋肉が必要です。ということで5月頃からクロスバイクを物置から取り出して、日曜日毎に乗り始めました。なぜ日曜日かというと、日曜日の早朝は通勤や仕事の車の通行が少なく、見透しが悪い小さな交差点での出会いがしらなど、余り神経を使わないで乗れることです。
ライデイングの日は、毎日曜日と決めていますが、雨が降って居たり、日曜日に所用があったりして、中々毎日曜日毎というわけにはいきません。



早朝、6時前に家を出て最初に氷川女体神社にお参りします。
この時間で女体神社の前と境内は、ボランティアの人々の清掃が終わって掃き清めたほうきの跡が残り、とても清々しく感じます。そういえば母も晩年、一年中早朝、菩提寺で無いのに近くのお寺の境内を掃き清めていたことを想い出しまし

自分で見つけた車から安全なコースを辿ります。自転車も1回20円の有料ですが見沼大橋を渡って見沼田んぼの東縁りに渡ります。料金所は自動車料金所の端の自転車・歩行者専用のレーンにあり、通行は少ないので料金を払っている人を見かけることはありません。この自転車・歩行者専用レーンを利用する人は大半がランナーです。多分彼らにとって後ろから疾走してくるサイクルライダーは迷惑だと思いますが、料金を払っているので私としては免罪符になるのです。
先日、料金箱に入れていたら、私の背後をライダーが料金を払わず疾走して行きました。通勤など生活のため橋を利用する人ならまだしも、疾走の恩恵を被っているライダーが無賃では許せません。

青田の季節です。バイクを止めてしばし見とれます。

満々と水を張った田んぼで、苗は活き活きと成長しています。考えてみれば苗を植えてから、たった5ヶ月であの稲がたわわに実ることを想ったら驚異的です。
古代の人やその後の稲と共に歩んできた人々は、田に神様が宿っていると本気で信じていたのでしょう。
天皇家の新嘗祭が大事な行事で今でも行われていますが、弥生時代から神の奇跡として秋には各地域でお祭りが行われていたのでしょう。

浦和の調宮神社は、古代ヤマト朝廷の伊勢神宮に、南関東でできた初穂を納めるための屯倉だと言われ、調宮神社の名が付けられたと言われています。ヤマト朝廷にとってみれば、畿内で初穂はいくらでも集められるのに、遠い東日本の武蔵からも初穂を納入させるという事は、儀式を越えて東日本の統治の証だったのかも知れません。

この時期道路の橋の水路を水がゴボゴボと音を立てて流れています。

神様は人類に麦、米、トウモロコシの偉大な3つのイネ科の食物を与えてくれました。このイネ科の植物の実を食べる動物は小鳥とネズミだけであることも幸いしました。今日でもこの最大作物が無かったら人も家畜も生き残ることは難しいでしょう。

このイネ科の3大植物を国家統治の基本とした国家は日本だけでした。溜池、灌漑設備、古墳、律令制の班田、荘園制、武士の時代の貫から石の転換、太閤検地、石高制の幕藩体制、地租改正、などです。

米を軽んじたら我が国の未来はありません。現在は海外から輸入の方がコストが安いため、パーム油など何でも輸入されて加工食品の原料になっていますが、米国人と違って、長い間のDNAによる日本人の体質を考えた時に、原料として米を本格的に見直す時期に来ているのではと想います。

先日新聞の埼玉県版で、さいたま市のおにぎり消費量が全国一位との報道がありました。多分総理府の消費者家計調査の統計によるものだと思います。消費量が多い原因は分かりませんが、いずれにしてもファストフードのおにぎりの消費量が増えるのは好ましいことです。新聞では報道を受けておにぎり専門店が続々登場したりしているそうですが、前後関係が良く見えません。

田んぼに注水して、古い水は排水されていくのでしょう。この灌漑設備は偉大です。
中国江南地方、東南アジア、米食民族は長い間、灌漑設備を整備し連作の心配のない水田耕作を続けて来たのでしょう。水田耕作は勤勉さが必要ですが、水田耕作国は勤勉さゆえに工業国としても発展しています。

5月初めに白馬山麓や安曇野の旅で代掻きを見てきました。帰宅してから見沼はどうなっているのか気になって、この加田屋新田を見に来た時の画像です。
サドルの位置が低すぎるため、あまりクロスバイクの写真は撮りたくないのです。サイクルのペダルを漕ぐときはロスが出ますが、昔と違ってまたいで乗る時、足が挙がらなくなっているので、仕方なく低く設定しているのです。

江戸時代、見沼干拓の象徴だった加田屋新田は、今でも新田の名が付いていますが、既に田植えを終えていました。



北本オープンガーデンの人々と会食

2番花など咲きますが、薔薇の季節は7月に入ると完全に終わります。
実は薔薇の手入れや手間がかかるのは6月から7月にかけてのほうが春先の数倍かかります。花後の枝が伸びて無用に葉が茂ったり、黒点病や虫が活発に活動するので結構めが離せません。また花の量は少ないのですが、開花は短く花柄積みが面倒です。

そんなメンテナンスのシーズン、北本のオープンガーデンメンバーの浪井さん、松崎さん、森田さんと今年のオープンガーデンの様子を語りながらの食事会のお誘いを受けました。
食事会はここ2~3年、オープンガーデンを終えてからの定番行事になっています。みなさん、キャリアも長くレベルの高い花好きの方ばかりなので、オープンガーデンの苦労話を含めて楽しいひと時を過ごしました。

7月の本来ならば梅雨時の雨の季節ですが、今年は関東だけが空梅雨気味の中、北本駅で待ち合わせしました。実は北本は電車で来るのは初めてでした。

駅前は広くゆったりしていますが、それでもバス停車レーンやタクシー乗降レーンがあるため、のんびりは止めていられません。

北本市文化センターの掲示板ですが、どんなイベントがあるのか、眺めていました。

北本駅の改札口を出ると2階にコンコースがあります。待ち合わせ迄時間があったたため、しばらくこの掲示板を眺めていました。駅や駅前の写真は、ここを見終わってからの画像です。
時間があったので、この掲示板のサークルのポスター1枚、1枚じっくりと見ていました。更にここには画像で表示していませんが、驚くほど活発な山岳サークルの予定表もありました。

北本のオープンガーデンの皆さまの庭を訪問させていただいてから既に8年経ちました。毎年オープンガーデンの期間訪問していると、オープンガーデンに来られる人たちや、オープンガーデンを主宰している皆さまも、北本の街のゆったりとした雰囲気の中で、お互い花を楽しんでいる光景が見られます。北本のオープンガーデンで毎年感じることは、どうしてこの街はゆったりした気分なのだろうか?と想っていましたが、この掲示板を見ながらその秘密が隠されているように感じました。

北本の人気のおしゃれなレストラン、ダンデライオンです。
昔ガーデニングを始めた時、タンポポは英語でダンデライオンと呼ばれることを知りました。

おいしいフレンチを頂きながらオープンガーデンの話を中心に花談義が弾みました。


オープンガーデンに訪問した翌日、我が家の庭に出て、アプローチの足元や枯れた花柄、そして雑草を眺めます。更に我が家に無いので、見せ場の寄せ植えを想い出します。

多分、オープンガーデン開始時、皆様の庭には小花が3~4000輪、薔薇も小花を併せれば2000輪は咲いているでしょう。その何千もの小花があるにもかかわらず、1輪も萎れた花は無く、まして種子が剥き出しの花は見たこともありません。薔薇も房咲きの場合花柄積みも面倒で難しいのですが、萎れた房は見たことがありません。

また草花の葉の乱れも無く、まして雑草など見かけたことはありません。多分オープンガーデンの前日は日没まで作業が終わらないのでは?と尋ねたら、ヘッドライトを点灯して準備作業を行っているとの答えでした。

私にはとてもオープンガーデンはできません。私のガーデニングは自分の楽しみのために行っており、皆さまのように地域の花好きな人たちのためにはとても無理なのです。