見沼田んぼに秋が来た

9月7日の土曜日、早朝いつもの見沼自然公園から見沼田んぼ東縁のコースでクロスバイクで走りました。

実は穂高涸沢の紅葉を見ようと、山の会のOB仲間5人で10月1日から5日まで3泊4日で穂高行を計画していたので、夏山から帰宅しても、台風や雨天を除いて毎朝のウオーキングと週末のクロスバイクでトレーニングしていました。この期間は混雑し小屋の予約も難しいので天幕での山行を検討していましたが、食事は小屋で食べるにしても、寝袋やマットなどのためザックが50リッターの大型を背負わないとならないし、夜の安眠も期待できないので、小屋利用とすることに決め、宿泊の1か月前に連日予約する段取りでいました。結果的には1泊目の横尾山荘、2泊、3泊目の涸沢ヒュッテの予約が取れなかったため、山行を中止にしたばかりでした。

コロナ禍により北アルプスの山小屋は過密を避けたレイアウトに変更したため収容人数が7掛けとなり、宿泊料金も15、000~16、000円と旅館並みになりました。
穂高涸沢の紅葉は日本一人気のため、宿泊客が殺到するため、何十年もこの時期は避けてきましたが、人生最後の穂高行に紅葉をからめたいという欲が芽生え挑戦しましたが不発に終わりました。

そんなことで急に山行のプレッシャーが無くなり、気が楽になりましたが、続けていたトレーニングも止めないで継続しようと想い、クロスバイクを漕ぎだしたのです。

弁天様が見守る稲田

見沼の弁天様の横にクロスバイクを置いて、目の前に広がる稲田を見に行きました。

取入れを迎えた稲田

農家の方たちはコンバインを水田に入れるために、周りのあぜ道を草刈り機で除草しています。

彼方に見える電柱の先が江戸時代、見沼干拓で生じた加田屋新田です。

米不足で近くの農協の店に行っても、店頭在庫はありません。やがて新米が出回ると充足するでしょう。
老夫婦の我が家でもお米は少ししか食べなくなっているので、米不足でも困ることはありませんが、不足しているから余分に買っておこうと行動を起こしたら不足するでしょう。今がその状態だと思います。

いずれにしてもお米に関心が行くことはとても嬉しい事です。アメリカ産の小麦を食べて、国内では耕作放棄地が増えている現状は決して自然なことではありません。

近年の経済効率優先の思想が、手間がかかるものは全て海外から買えば良いという思想が、政治、官僚、企業に蔓延し、工業ばかりでなく鉱業、農業などすべての分野で空洞化しています。資源小国の我が国が海外から買うばかりでは国は貧しくなり、益々円が弱くなり、地方の産業が衰退すれば職業や雇用は失われ、どんどん悪循環に向かっています。また製造業は海外進出すれば、利益配当金は企業に入りますが、工業立地の雇用はなくなり、あらゆる地元産業の商業、サービス業、物流業、観光業、はては医療も衰退します。
アメリカ大統領選の1つの争点は、衰退化している重工業地帯のラストベルトの大票田の奪い合いですが、この地帯こそ古き米国の保守層が厚く移民が主体の国、米国の成り立ちと安定の根幹を形成しているという論理です。


かって日本の総選挙で我が国の安定の根幹や、地域の空洞化が争点になったことはあったでしょうか。我が国の安定の議論は自衛権の議論や新産業創出の経済成長の表層的な議論ばかりです。30年前世界2位だったGDP(国内総生産)が、今ではドイツに抜かれ4位になってしまった事実は、国内における生産活動やサービスの売り上げが、経済効率を求めて、国内産業を放棄し海外に移転したり、コストの安い海外ものを主体に流通した結果、国内産業の空洞化が進行し総生産が減少した結果です。
経済成長はGDPの成長の結果数値であり、国内生産が空洞化すれば経済成長など上がる訳がありません。政治は新産業の創出とか規制緩和によって経済成長を高めると言いながら、30年間OECD各国の中でも最も成長が低い国になり、国内生産が伸びずデフレが蔓延すれば、結果的には賃金の分配は上がりません。


経済とは、人々の価値観に裏図けられた行為の結果が数値となるのであって、計量経済学による目標数値が経済を動かすのではありません。私が商学部に入学した1962年当時、マルクス経済学は衰退し、計量経済学は眩いばかりの存在でした。しかし最初に経済学の講義を受けて感じて以来、経済数値とは自立して動くものではなく、基本は人間が経済を動かすのであり、人々の価値観が根底になるのではと考えてきました。経済を動かす価値観は、為政者の価値観か民衆の価値観か相違はありますが、価値観の結果が歴史を動かすのではと想っています。
東京タワーで、改めて建築当時を思い出してみるると、戦後の人々の産業に対する価値観を改めて確認しました。

現在の社会の価値観は何かと考えたら、小手先の改革でなく安定でしょう。その真っ先に心の安定が挙げられ、災害、周辺事態、都市構造、都市インフラ、雇用、教育、エネルギー、歴史、風景、などなど。

この30年間、我が国は小手先の改革ばかり唱え、結果は30年間GDPはドイツに抜かれ、近々インドにも抜かれようとする時代になり、不正規雇用など、雇用の不安定さが生産世代を襲い、結果経済成長が極端に停滞し、大多数が賃金が上がらない時代を過ごしてきてしまいました。

現在自民党や立憲民主党の代表選がにぎやかに行われそれぞれ政策を唱えています。少子化時代でも世界からリスペクトされる成熟国家になるか、少子化によってそのまま産業が衰退し社会が分断された中級国家で甘んじるかの選択になるでしょう。

この水田は既に刈り取りは終わり、農協に出荷したでしょう。

江戸時代270年間鎖国状態にあったため、海外からものを買わず国内生産と国内消費で維持してきました。飢饉で娘を売らざるを得なくなった物語は、個人が国家に税を直接支払う制度になった明治になってからであり、圧倒的な豪農が出現したのは、飢饉で税を払えなくなった小作人が豪農に土地を売り渡した明治になってからでした。江戸時代は藩や幕府天領というバッファー装置が存在していたため、農家が瀕すると藩も共倒れになるため、飢饉のときは年貢の免除や種もみの援助が行われました。まして江戸時代、村は惣村の名残の共同体制度が尾を引き、勝手に廃業などできにくい制度でした。こうして江戸時代は国の根幹をなす、お米を国中で守って来たのです。

お米が足りなくなった現象の奥に、もしかしたら私たちが自らその暮らしの成り立ちに気が付き始め、お米のおいしさと健康価値に気が付き始めたのかも知れません。外国の方々の日本の食や歴史風景の礼賛にも、そうかなと改めて想い始めているのかも知れません。

秋咲きのひまわり畑

クロスバイクを走らせていたら突然秋咲きのヒマワリ畑が現れました。クロスバイクを横倒しにして画像を納めます。

秋咲きのヒマワリです。見沼田んぼを耕作する農業法人がさいたま市の依頼で種子をまいたのだと想います。
以前はこの場所の先で夏咲きのひまわり畑がありました。

この季節何も見るべきものがない見沼田んぼで、このようなものが出現するととても楽しいです。

見沼田んぼのシンボルと想っているポプラです。東日本大震災で若干斜めに傾いたものを、持ち主の造園業者が再び直立に修正しました。造園業者の方は多大な愛着をお持ちなのでしょう。ありがたいことです。

以前はさいたま市が関与した広大なコスモス畑がありとても楽しみでした。予算の関係でしょうか、熱意なのでしょうか、今ではありません。

2007年10月の見沼田んぼの光景

古い画像を調べると06年、07年がコスモスで見事でした。当時は造園屋さんもケイトウなどを作っていて、合わせると見事な風景が現れました。

こちらはいつものウォーキングコースのひまわり畑です。今年から出現しました。