薔薇のエッセイ28、火山阿蘇の土壌と湧き水(衝撃の体験)

薔薇のエッセイに高山植物とか山の植生とか高原について触れてきましたが、一体薔薇と何で関係あるの?と想われるかも知れません。
それはダイレクトに言うと植物の有機栽培と関係するからです。

薔薇とガーデニングは山の自然を庭やベランダに、自ら培えた美学で自然のエキスを取り入れ植物を栽培する人工的行為です。自然の植生と異なって、人が人工的に空間を仕切って植物を栽培する作業が園芸です。人工的な空間で植物栽培を行うためには、当然土壌と肥料と水を用意する必要があり、それらの原点は山の自然の中に存在します。人は生きるために、山の自然に流れる水や山麓の土壌を使って植物を栽培してきました。人々が作物栽培を行うため良い水と良い土壌は人々が生存するための必須条件でした。「薔薇とガーデニング」も水はともかく良い土壌は栽培の必須条件です。

私は若い時から登山によって「山と自然」に触れてきましたが、途中「薔薇とガーデニング」を始めたことによって、「山と自然」が単なる美しい景観から、美しい自然を生み出す根底が、水と土壌であることが解りました。、更に植物栽培の経験が加わることによって、何百年或いは千年以上も同じ土地で作物を栽培し続けるために、水と土壌を基本にせざるを得なかった人々の営みの歴史に興味を抱き、旅も風景を楽しむことに加えて営みの歴史まで幅が広がりました。そうした観点で旅すると、全く新しい視点で「歴史紀行」を体験することが可能となりました。

「薔薇とガーデニング」を行いながら庭で薔薇や草花を栽培するためのテクニックも大事ですが、薔薇栽培は難しくないため30年以上も経験するとやがて飽きてきます。薔薇の商売だったら「微に入り細に入る」事項は大切ですが、趣味で「薔薇とガーデニング」を実践することは、薔薇栽培という小さな庭の矮小な事項の中に留まってしまうより、より広大な大自然の一部のイメージを切り取って身近で楽しんだり、より大自然に接して自分の庭との接点を探したりすることが、より「薔薇とガーデニング」の楽しみを深めることに繋がります。
私があえて「薔薇とカーデニング」「山と自然」「歴史紀行」とジャンルを広げているのはこの意味です。

今回は私の薔薇と植物栽培の基本となり、食べ物のおいしさの発見に繋がった火山である阿蘇の土壌と湧き水について触れます。土壌と水は作物の有機栽培の話に繋がります。

人っ子一人もいない静寂の豊後竹田岡城祉、高い山城の本丸に建てられた瀧廉太郎像、竹田中学で瀧と同窓生で後に日本のロダンと呼ばれた朝倉文雄作像。明治の我が国の西欧音楽への期待を、そのか細い肩に一身に受け、西欧文化の牙城に挑んだ廉太郎の哀しいまでの悲壮感。今でも忘れられない彫刻でした。
荒城の月の詩のモデルは仙台青葉城、曲のモデルはここ岡城祉です。東北仙台藩土井晩翠と豊後岡藩滝廉太郎の東西に分かれた教養の蓄積が稀代の名歌「荒城の月」を生んだと想っています。




今から12年前の2012年熊本、阿蘇、高千穂、竹田の阿蘇を取り巻く九州の旅を行いました。
それまで私の行動は山行が中心でしたが、少し登山にも飽きて来たので、その2年前の晩秋岳友と中山道の和田峠、塩尻峠を歩いて越えた旅から歴史など得るものが多く、今まで高原のハイク以外行ってこなかった家族との旅を少しずつ始め、その手始めとして息子のいる九州の旅を行ったのです。


熊本をはじめ九州中部の旅は山しか知らない私にとって新鮮でした。熊本城、田原坂、雄大な阿蘇山、歴史の高千穂、滝廉太郎と広瀬中佐の故郷竹田城、これらは関東の地では決して見られない風土と風景と歴史を秘めていました。
これらの地はアチコチ離れているように見えますが、結果的に巨大な阿蘇を中心にそのカルデラや裾野を一回りした旅でした。

阿蘇カルデラ

阿蘇の外輪山の大観峰に登ると巨大な阿蘇のカルデラを一望のもとに見ることができます。

大観峰の名は熊本出身の徳富蘇峰がなずけたた峰です。
カルデラとは噴火口の跡ですが、同じカルデラでも、立山の巨大なカルデラは阿蘇のカルデラに比べると比較にならないくらい小さく、噴火も近年のため古い登山道を登降中止にしてカルデラ全体を立ち入り禁止にして砂防工事を行っています。

大観峰から眺めた阿蘇のカルデラは巨大で、9万年前の噴火口の跡のカルデラに、大分と熊本を結ぶJRの豊肥本線が走り、60,000人の人々が住み、阿蘇市、高森町、南阿蘇村、南小国町、小国町、産山村、西原村の7つの市町村がある世界に全く存在しない稀有なカルデラです。

カルデラ内を走っている時は気が付かないのですが、このカルデラ内にいくつもの町があり、熊本大分を結ぶ幹線の豊肥線も走っています。箱根の仙石原に鉄道幹線が走っていて、大小幾つもの町があると想像しただけで、このカルデラの特異さが判ります。このカルデラを形成する最後の大噴火は9万年前でした。

この大カルデラの中に箱庭のように市街や村が点在し、整然とした田畑の区画があり、川が流れ、列車が走り、幹線が通っている光景を眺めていると、阿蘇カルデラを評して良く言う、「大自然と人間との共生」を絵に描いたように表してくれます。

地球上の陸地の中で一番恐ろしい火山の懐深く人間が入り込み、これに対して阿蘇が「ワシは恐ろしいだけでなく、せっかくワシを信じて懐に入り込んで来たのだから、入り込んだ者に恵みも授けよう」と言っているような、まさに感動的な光景でした。

その意味で阿蘇のカルデラの巨大さは、カルデラ内に鉄道が走り、多くの市町村がカルデラ内で行政を営んでいる姿は、世界に比べるものが無いほど異例で、今や世界遺産に登録を目指しています。

九州島全体が阿蘇の噴火で産まれたことを考えると、その噴火口跡であるカルデラの大きさは当然とも言えますが、カルデラ内に鉄道が走っているのを見ると、関東ではとても想像がつかない景色です。

阿蘇の草千里

草千里です。この草原では、春先に草を焼いて柔らかな新芽を出させ、放牧した赤牛たちの餌にして、更に彼らが落とす糞はそのまま堆肥にさせる、巨大な有機栽培のサイクルが演じられています。草焼きを怠ったら、榧などの雑草は背丈位まで伸び、草の間生えてくる雑木はやがて灌木になり、雑草と低灌木が密集した荒れ放題の地になり、放牧どころでは無くなるでしょう。
この野焼きは一説には縄文時代から焼き畑農法として行われていると言われています。

大観峰から宿に帰る途中、カルデラの中の水田の横を通りました。

水田はまだ冬のままでしたが、水田の中で赤牛がゆったりと芽が出たばかりの草を食んでいる光景に出くわしました

恐らく若い草の短い芽は、春になって幡種した若草で、赤牛にそのまま食べさせて、排泄した牛糞を田植えまで時間をかけて発酵し牛糞堆肥にする美味いやり方だなと感心しました。

人工的な飼料でなく、良質な堆肥を使用した土壌で育った自然の草をゆっくり食べた、赤牛の排泄した牛糞は良質の堆肥となり、自然に循環が行なわれています。

またおいしい若草食べ、阿蘇の湧き水食べて育った赤牛は不味いわけはありません。

まだ実験途上に見えますが、おいしいお米や、肉を作ろうと努力する熊本の農家の心意気を感じた印象深い風景でした。これもまた、ガーデニングをやっていなければ、「田んぼに赤牛がいる。」程度で見過ごしてしまう風景かも知れません。

阿蘇中岳

この阿蘇を巡る旅は短いながらも密度の濃い旅が出来ました。熊本城や田原坂や高千穂峡、豊後竹田は期待通りでしたが、何よりも予期しなかった最大の印象は、この期間中の熊本の食べ物のおいしさとそれを齎した阿蘇山の偉大さでした。

大まかに言って海のものは漁港が近ければ、新鮮でおいしいものが容易に食べられますが、農産物は新鮮さだけでは全ておいしいとは限りません。
しかし阿蘇周辺の旅で食したレタス、トマト、イチゴ、さらにお米など何処でも収穫可能な農産物が、これほど味が違うとは想ってもみませんでした。

生野菜が好きでなく、家で毎朝呑み込むようにして食べるレタスやトマトが、ホテルのバイキングで山盛りお代わりするほどおいしく感じたのは初めての経験でした。もともと食品には興味は薄いのですが、家内とスーパーで野菜売り場を見ると熊本県産という表示が多い事に気が付きます。しかし本当においしい野菜は生産量が少ないため首都圏のスーパーに並ばず、地元だけで消費されているのではないかと想います。

阿蘇神社

SONY DSC

大観峰で阿蘇の雄大なカルデラを眺めてから、麓の阿蘇神社から改めて阿蘇山を眺めました。

九州は阿蘇の噴火で出来た島とは先に触れましたが、その阿蘇山のふところ深く鎮座する肥後一宮阿蘇神社の創建は古く、その時期については記録がありません。想うに阿蘇神社は、我が国でも最も古い神社の一つで火の国の源となった神社と想われます。

火山活動が沈静化した古代の阿蘇の地は、伏流水のおいしい湧水と、地球の奥深くから噴き出たミネラルに富んだ土壌により、植物が良く繁り動物も多く生息し、作物も良く実り、温泉が噴き出て、寒さ知らずの楽園だったに違いありません。阿蘇の懐のその素晴らしい地に、阿蘇の神を祀る神聖な場が自然発生的に出来たことは不思議ではありません。正式な神社建立は古いですが、有史以前山麓に人が住みつきはじめた頃から、火の山阿蘇に感謝のお供えをする場だったのでしょうか。

阿蘇神社の古さと格式を物語るのは、宮司の阿蘇氏は現在91代目を数え、国造の子孫と言われています。

SONY DSC

阿蘇神社の巨大な重文の楼門は江戸末期の嘉永3年(1850年)に建立されました。扁額は有栖川宮熾仁親王の筆です。 しかし熊本大震災で巨大な楼門が倒壊しようやく再建が終わったそうです。私は震災でこの巨大な楼門が倒壊した報道を聞き、何よりも胸が痛みました。門前町の阿蘇神社の氏子の方々はさぞかしショックが大きかったでしょう。

阿蘇の峰を遠くに望み、この楼閣とを交互に頭を巡らすと、阿蘇の巨大な火の峰と巨大な楼門が一体となっているような雰囲気に捕られ、まさに火の神が鎮座されているような気になります。

阿蘇神社門前町の水基

  

阿蘇神社から門前町を歩くとどのお店の前にも、水基と呼ばれる阿蘇の湧き水を趣向を凝らして流していました。15か所もあったでしょうか、共通する看板の下、思い思いの趣向で湧き水を眺めたり飲んだりすると、そのおいしさにまた感動したのです

火山の伏流水は、地表を流れるのでは無く、火山灰土の地中ををゆっくり流れ、麓に湧き水として表れるのは、何十年と或いは100年かかると言われています。

湧き水は山上に降った雨が2~3日後に湧き出るのでは無く、気の遠くなるほどの時間をへて麓の湧き水として表れるのです。そのゆっくりとした歩みの中に、おいしさが隠れている気がします。

熊本市は100万人近い政令指定都市になっても、水道は川から取水するのではなく、全て阿蘇の湧き水を活用しています。

おいしい作物はどうやって出来るか、旅の間中思い巡らせまていましたが、もちろん生産者のこだわりと技術が大きな部分を占めると考えます。しかしそれ以上に熊本でなぜおいしい作物が出来るか、その秘密は阿蘇山にあると確信しました。

澄んだ空気、伏流水のおいしい水、噴火により太古の地球のエキスを含んだ豊かな土壌、その土壌の力を活かし自然のサイクルに委ねる有機農法など、太古から阿蘇の恵みが齎す豊かな自然の要素が、おいしい作物を生み出すのだと、独りよがりの結論となりました。

その夜は何を食べたか記憶にはありませんが、熊本ですからおそらく馬刺しや赤牛なども出たのでしょう。家内と息子は、お酒を酌み交わしながら九州の食談議に耽っていました。昼に息子に勧められて熊本城で食べた名物高菜チャーハンと共に、夕飯のお米もおいしく、九州でおいしいお米を食べられるとは全く思いませんでしたが、熊本のお米のおいしさは意外でした。

さて、ここまでは私にとって、普通の旅の印象を超えていましたが、それは特別なものではありませんでした。

しかし私の驚きは、翌朝の朝食で突然やって来たのです。朝食はヴァイキングスタイルでしたが、そこでの野菜サラダのおいしさにびっくりしてしまい、生まれて初めて山盛りのお代わりをしてしまいました。

私は生野菜が嫌いで、朝の野菜サラダは苦痛で、近年ではさまざまな味のドレッシングの助けを受けて食べています。それは最近の話で、30代40代の毎朝の食事では野菜サラダを水と一緒に流し込むようにして食べていました。

しかしその朝、ホテルで食べたレタスは、呑み込む必要がなく、バリバリよく噛んでいると甘みが口に拡がり、合間に完熟したトマトを口にすれば、相乗効果が口の中に一層広がって来ました。これは何だと想いつつ、あっという間にお皿が空になり、直ぐ山盛りにしてお代わりしたのです。野菜サラダでこんな経験は初めてでした。

余りにも感動したので、おいしい理由を聞かずにいられなくなり、レストランの仲居さんに「生野菜がなぜおいしいのか?」と返答が無理なのを承知で尋ねましたら、契約農家と直接取引しているとの、決まり切った答えしか返ってきませんでしたが、これは当然で私の質問が、応える常識の範囲を超えていたからです。

余談になりますが、野菜をサラダにして食べる習慣が始まったのは何時頃からか想い出せませんが、昔はドレッシングは存在せず、当時はマヨネーズをかけて食べていた記憶があります。毎朝野菜サラダが食卓に乗るようになったのは結婚してからですが、その時は野菜サラダの主役のレタスは、未だありませんでした。なぜなら当時韓国に行った時、焼肉と一緒に初めてレタスを食べましたが、名を聞くとサニーレタスでした。我が国の食卓にはサニーレタスも普通のレタスも未だ登場していませんでした。

昔、朝食で涙ながらにレタスを食べていると、何でこんなものが我が国に導入されたのかいつも想っていました。遅れて導入されたオクラやゴーヤもそうですが、パプリカは別として私にとって、ありがたみが薄く無くても良い野菜でした。

今まで、海の魚貝類などは漁港が近ければ新鮮でおいしいことは判りますが、私の昔行なった僅かな家庭菜園の経験では、農産物も朝採りしたものが、特別おいしいものだ感じていませんでした。

阿蘇のレタスやトマトが、家で普段食べているレタスやトマトと、どうしてこんなにも味が違うのだろうか?そんな疑問が頭によぎって来ると同時に、それには新鮮さ以外に何か他に秘密があるんだろうか? そんな想いが頭の中に駆け巡ってきました。

雄大な阿蘇の南面のカルデラ台地を、ハンドルを握って走りながら、今朝食べたレタスやトマトのことを思い出し、おいしい作物はどうやって出来るか思い巡らせまていました。農産物ですから、もちろん生産者のこだわりと技術が大きな部分を占めると考えます。しかしそれ以上に熊本や阿蘇で、なぜおいしい作物が出来るか、雄大な阿蘇を横目で見ながら、その秘密は阿蘇山にあるのではないかという想いが、漠然と湧いてきました。

旅は良いものです。家に居たら、生まれて初めておいしく食べたレタスを味わう経験は無かっただろうし、家で机の前に座っていても、そのおいしい理由は思い浮かべることはあり得ません。

食いしん坊で無い私が、レタスのおいしさになぜこんなに感動したか、その理由は、この時既に17年間の本格的なガーデニングの経験の中で素人なりに土壌について試行錯誤してきたためでした。

レタスのおいしさの説明には、通常は「有機農法で栽培した結果で、さらに朝採りしたから新鮮なのだ。」という回答で納得してしまいます。有機栽培と朝採りは、おいしさを現わす魔法の言葉でした。

しかし、私は、魔法の言葉を信じておらず、有機肥料を使用しても化学肥料を使用しても、それほど味に大きな相違は出ないことを家庭菜園で経験していたからです。

もし私に、有機栽培を本格的に行った経験が無かったら、魔法の言葉を信じて、その奥を考えようとしなかったでしょう。

薔薇のエッセイ29、火山の土壌と湧き水その2に続く