満開の見沼の桃の花
3月10日、久しぶりにデジカメ持参で早朝のウォーキングに出かけました。
スマホやデジカメはポケットが膨らむため、早朝のウォ-キングには持参しませんが、先日1年に1度あるか無いかの、見沼田んぼの地面を覆う素晴らしい霧の光景を前にして、デジカメで撮影が出来なかった事、さらにその数日後、真っ赤な大きな朝日がまん丸のまま東の空に漂っている春の日の出特有の光景を前にして、撮影できなかったことを悔やみ、本日は久しぶりにデジカメを持参しました。
冬の間夜明けの暗闇の中でうっすらと姿を見せていたこぶしの3兄弟が、先日地面を覆う霧の中で、枝だけを見せていた幻想的な光景が忘れられず、久しぶりにデジカメを構えたらここ数日の気温の上昇に伴って開花している様子に気が付きました。
こぶし咲く春
こぶしの3兄弟と言っても、実際には5本あり、前1本がこぶしで後ろは白木蓮です。
松田修氏の花ごよみ図譜の解説に寄れば、こぶしに辛夷(しんい)の漢名を与えていますが、辛夷は木蓮の漢名であり、辛夷と表記するのは間違いとの事です。
こぶしの別名は山木蓮、木筆、きたこぶしなどがあり、実の形がにぎりこぶしに似ているからだろう述べています。
遠目でこぶしは白木蓮と似ているため、混乱が生じているのでしょう。
早春の山間に裸の枝に白い花が燃える様に満開になった時、農耕の季節が到来したことを告げます。
そのため東北では田打ち桜、或いは種まき桜と呼んで、桜とともに農作業のめやすとした樹でした。
畑の小道を回りこんで後ろから近づいて見ました。手前は白木蓮で一番奥がこぶしです。
こぶしは山の木なので私は木蓮より好きです。
こぶしの花は木蓮に比べてやや小型で楚々としています。
先日、NHKBSの歌番組でチャネルを回そうとしたら千昌夫が出てきて北国の春を歌い始めたので、そのままチャネルを回さず見ていたら、歌詞にこぶしが登場しました。
私の記憶ではあらゆる歌の詩にこぶしが登場するのはこの歌だけだと想います。
白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国のああ北国の春
季節が都会では わからないだろうと 届いたおふくろの小さな包み
あの故郷へ帰ろかな帰ろかな
雪どけせせらぎ丸木橋 落葉松の芽がふく 北国のああ北国の春
好きだとおたがいに言い出せないまま 別れてもう五年 あのこはどうしている
あの故郷へ帰ろかな帰ろかな
山吹 朝霧 水車小屋 わらべ唄聞こえる 北国のああ北国の春
あにきもおやじ似で 無口なふたりが たまには酒でも飲んでるだろか
あの故郷へ帰ろかな帰ろかな
白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘、雪どけせせらぎ丸木橋 落葉松の芽がふく、山吹 朝霧 水車小屋 この歌の作詞家は大したものです。
3月12日早朝のこぶし3兄弟の画像です。冒頭の画像の2日後ですが、あっという間に満開になっていました。
早春の楽しみ、アブラナ摘み
3月11日、今日は東日本大震災の12年目の年です。
今晩のWBCチェコ戦には陸前高田市で9歳の時に家を流され父親と祖父母を亡くされた佐々木朗希投手が先発します。
彼にとっては感慨深いし何よりもあの世でお父さんが喜んでいる事でしょう。
野球を行うことが定めのような求道者のごときストイックな佐々木投手を見ていると、人生には凡人が遭遇しえないドラマがあることに気が付きます。
私の早朝のウォーキングコースには桃畑はありません。
昨日土手の道をウォーキングしながら、遠くに桃畑がピンク色に染まっているのが望まれました。
季節外れの高温で桃が満開になっているようで、本日は早朝ウォーキングを止めて家内を誘って桃の花の散策に出かけました。
菜の花はアブラナ科の植物の総称で、見沼田んぼの土手は桜の時期になると菜の花畑になりますが、菜の花として花が一斉に咲く時期は、茎や葉も固く食用としては適さなくなります。
この時期葉も茎も柔らかい季節アブラナが最もおいしい季節です。
土手の斜面は犬が踏み込まないため採集しても安全です。
アブラナは菜の花の総称ですが、菜の花の咲き始めは食べることができます。
家内は畑でホウレンソウとカキナを栽培していますが、食わず嫌いの私が今年初めてアブラナを食べましたが、その瑞々しいおいしさに驚きました。まさに旬の味で毎日楽しんでいます。
アブラナを採集している人は年配の方ばかりで、若い主婦の人は菜の花が咲き出したぐらいしかみておらずまるで関心がありません。多分菜の花が食べられることを知らないのでしょう。
新芽のアブラナがたくさんありました。日照によって成長が異なるようです。アブラナのシーズンが終わるとよもぎの季節です。
満開の白木蓮です。春の青空をバックにするととても美しいです。
サンシュユとモクレンです。サンシュユは花期が長く楽しめますが、春の1瞬を発する花木としては気が弱いようです。
サンシュユの漢名は山茱茰で、サンシュでなくサンシュユと言います。中国原産で江戸時代に朝鮮から渡来しましたが、実が強壮剤として薬園で栽培されました。
対岸にキビタキの巣があり野鳥愛好家が観察しています。
桃畑その1
花の文化を調べる愛読書に哲学者山田宗睦著「花の文化史」と松田修解説の「花ごよみ図譜15巻」があり、それぞれ必要な時に書棚から取り出して確認するのも、私にとって楽しい時間です。
山田宗睦は昔新左翼系の哲学者だった記憶があり、その人が花の文化史を執筆していたことに驚きました。
山田宗睦も松田修も古典に明るく、古典から花の文化史を探っています。
ガーデニングを始めた時から、何冊か自然科学系の植物学者の花の文化史を読んで来ましたが、いずれも不満でした。
花の文化は自然科学でなく文学や哲学や美学の分野のため、出版社の編集者たちは勘違いをしていたのでしょう。
山田宗睦も松田修も桃を詠った秀歌の筆頭に、万葉集での大伴家持の歌を挙げています。
天平勝宝二年三月一日の暮れに、春の宛の桃李の花をながめて作る歌
春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女
中国では昔から三月三日を桃の節句として親しまれてきましたが、これは三月の第1の巳の日に水辺で酒を飲み災いを払った行事に由来していました。
桃に除摩の力があるという思想は5世紀以後に日本に入って来て、古事記にはイザナミが追いかけてくる雷どもに、道の畔にあったヤマモモの木から実を採って、雷どもに投げたら皆退いたという神話が語られており、これから桃が鬼を防ぐという伝説がうまれたのだと言われています。
古来ヤマモモは日本に自生していましたが、果実としての毛桃は日本に無く渡来したのは奈良朝初めだと言われています。しかし古事記のイザナミの神話にあるように、毛桃の知識が渡来したのは5世紀頃でした。
大伴家持は桃と女性の組み合わせを彼の美意識として既に身に着けていました。
こうした女性と桃との美意識と桃の背後にある除魔力が、我が国において桃の節句を生み、桃太郎の鬼退治の説話を生み、そして平安期に大晦日の鬼やらいに桃の弓で鬼を射たことから、後に節分の行事が生まれたといいます。
桃の花のあでやかさは、とても現実のものとは思えず、果ては桃色とか桃色吐息とか言葉を生みました。
20年ほど前は見事な桃畑でしたが、その後衰退していました。ここ2~3年地主が再度復活させ見事な畑に復活しました。まさに桃源郷です。
花を出荷する訳でもなく、心意気で管理している様子に感動します。
いずれも年季の入った桃の木です。
1列ごとに花を咲かせない木と咲かせる木に分けて栽培しています。
白い桃はまた素敵です。
梅や桜と異なって桃は樹形が美しくないため、単独ではあまり絵になりません。
早咲の桜です。カンヒザクラなのでしょうか。
桃畑その2
遠くに見える桃畑を求めて散策を続けます。
1週間ほど前、TVニュースで桜の開花が3月17日との予想を聞き、それでは桃と重なってしまう恐れがあり、確認のためこの桃畑を訪れました。その時は開花のしている木は1本も無く、枝に開花直前の蕾をびっしりと着けていました。
2,3日前家内が散歩の途中に確認したらもうすぐ満開のことなので、本日はあわてて桃の花を見に来たのです。
満開です。今日明日が一番見頃です。
桃は品種によって微妙に花が異なります。
咲き方がとても美しいです。。
まだ早春の季節なのに、桃畑では春爛漫です。
サンシュユと桃畑です。
桃畑その3
木瓜の畑に魅せられて近寄って見たら、木瓜の畑の奥に桃畑がありました。
桃の間の白の桃が素敵です。
桃の花色はそれぞれ趣が異なります。この光景はまた1年お預けです。
梅、桃、桜と季節がずれて1月末から4月初旬まで連続して花を楽しめますが、今まで私の桜、桃、梅の位置付けは桜=桃>梅でした。
この位置付けは不動なものでなく20年前は桜<桃>梅の時期もありました。
今年は梅の美しさに改めて気付き、梅の季節には桜>桃<梅と想い始めましたが、満開の桃の花を前にすると桜=桃=梅で、この3種は甲乙点けづらい想いです。
水が温んできたせいか、鯉がたくさん集まって水の中で暴れています。その余波で川面に波紋が広がっています。
3月12日、普段野球は見ないのに、今回のWBCは連夜に亘ってTV観戦を行っています。
ヌートバーや大谷は勿論のこと、ダルビッシュや佐々木投手など多彩なメンバーの活躍が楽しく魅入ってしまいます。
普段野球を見ていないため、西武ライオンズ以外の特にセリーグの選手はほとんど知りませんが、若い選手たちの活躍を見ているともう解説者たちが論評を加えるレベルでは無くなっているような感じがしてきます。
過去30年もの間少数の論客以外、その時々の政府や御用経済学者や評論家は、経済の主要データである、勤労者所得の推移データを公表しなかったため、物価上昇に対して30年前から勤労者所得が変わらないことを、近年私たちは初めて知りました。その結果世界の主要国と比べても、経済成長力は極めて低く1人当たりの国民所得はアジアの主要国に大きく抜かれてしまっていることに初めて気が付きました。
30年前米国の自由主義経済を受けてグローバル化に走った我が国は、その後ゼロ金利の金融緩和で経済成長を目指したアベノミクスが終了しつつありますが、この30年間を振り返ってみれば、世界有数の経済の優等生から主要国の中でも大きく転落してしまいました。その変化は同じ優等生のドイツと比較すると良く判ります。
この間人件費が上っていないのに、企業は当時流行った米国企業の経営戦略の選択と集中の名のもとに、自社の経済効率だけを求めて国内生産を海外輸入に切り替えた結果産業の空洞化が進行して行きました。
その結果多くの工場が閉鎖され工場立地でなくなった地方は疲弊し、雇用力が無くなった地方を離れた若者が物価の高い都市に集中した結果、子育てが困難なため少子化が一層進行して行き、私たちが気が付いてみたら、世界の主要国に比べ我が国の成長と賃金上昇が止まり物価や賃金が低い国の仲間に入っていました。
30年間あれほど時々の政府は経済成長と叫び、少し前まで輸出立国だの経済特区だと叫んでいた我が国は、気が付いてみたら、世界の主要国の中で成長が止まったのは我が国だけで、しかも成長では無く安定した成熟国家も目指すわけでも無かったため、社会の不安定さだけが増加しました。
その結果、私たち国民が国家に対する信頼度という意味では、30年の間随分低下したように感じます。野党も政争とスキャンダルに明け暮れ、経済を直視せず安全保障の議論のみに明け暮れ、国家力の明確なビジョンを示しませんでした。
30年経ち、未だ面白おかしいレベルの低い政争報道が色濃く残っていますが、近年ようやく我が国も新しい国づくりに前進を始めたような気がしますが、この長い間の経済の停滞の時代に、昔に比べてとてつもなく飛躍した事実があります。
それは若い人たちが活躍するスポーツです。
かっては日本人が一番苦手だったバスケで日本人が活躍し始めたこと、先のサッカーワールドカップでも創造力の乏しい監督の采配を越えて若手が独自判断で活躍したこと、ストリート系の新しいスポーツで少年少女たちが世界の覇権を担っていること、そして今回のWBCの面白さ楽しさです。
今や個を確立しつつある若い人たちと、個の確立したアメリカからやってきて日本的なチーム組織を献身的に盛り上げているヌートバー、そんな若者たちの群像が眼の前で躍動しています。
前夜のチェコ戦の余韻を楽しみ様々空想しながら畑を耕していました。今夜もまたWBCの観戦がとても楽しみです。