彼岸花の季節
秋雨前線が本州にかかり、ようやく首都圏も雨模様の天気になりました。
9月に入っても熱帯夜が続きましたが、中旬過ぎてからようやく過ごしやすくなったと言えないものの、一晩中クーラーをつけて就寝することはなくなりました。
暑い日々が続いたので、今年は突然お彼岸がやって来たように感じます。
彼岸花は決まってお彼岸になると咲き出します。彼岸花の群落の開花期間は1週間も無く、個々の花の満開は多分一日で、群落が揃って美しく輝くのは一日花が揃った時だけでしょう。
しかし群落が一斉咲きする場面は少なく、大抵は満開の花の隣に枯れて萎んだ花があることが普通で、それが興ざめな気分になってしまいます。
1昨日カメラを持参しなかったので、9月22日の早朝はカメラを持参しました、今朝は運よく彼岸花の群落が満開の時に出会いました。とても珍しいことです。
昔、ガーデニングを始める前、彼岸花は見たことがありませんでしたが、ある秋の日、会社の上司が、毎年お彼岸になると自分で植えた覚えがない彼岸花が庭の片隅に咲いてくるので、縁起が悪いからと全て抜いてしまったと、苦々しく話していたことを憶えています。お彼岸になると決まってそのお宅の庭に現れて咲く彼岸花は、昔から幽霊花とか死人花と言われているようで、私もそれを聞いて恐ろしい花があるものだと感じていました。
しかし今の地に引っ越してきて土手一面に彼岸花が咲く姿を見ると、恐れられた花の割には愛らしいように感じました。
埼玉には巾着田という彼岸花の名所があり30年前に行きましたが、川越から大渋滞で少しも進まず閉口しました。見沼田んぼも東縁の土手は見事な彼岸花の群落が続いていて、今では彼岸花を死人花とか幽霊花と言う人は誰もいなくなりました。
彼岸花は別名曼珠沙華ですが、これは天空に咲く花の意味があります。正式の和名ヒガンバナはヒガンバナ科の球根植物ですが、球根に毒を持っていることからネズミやモグラ除けに植えられましたが、水にさらすと毒が抜けるため飢饉の際には食用として使えるため、球根は良く植えられていたそうです。
毎年同じような彼岸花を見ると少し飽きてきました。しかし飢饉の際に食用として使用したという言い伝えは実際の歴史に繋がるもので、花としての美しさでなく有用植物としての歴史的な意義とリスペクトを感じながら花を眺めています。
早朝家を出て見ると、明け方までかなり雨が降っていたことが解りました。彼岸花は明け方の雨でたっぷりと水分を吸って一気に開花したのでしょう。
今年の彼岸花は、もう飽きて来たなどと恥ずかしくて言えないほど、とても美しく感じました。今年は猛烈な残暑で開花を迷っていた花々が、夜明けの大量の雨を吸って一気に茎をのばし一斉に開花したことです。
土手の桜の樹も半分ぐらい落葉し、野草も一時の勢いが無くなり、瑞々しさが微塵もありません。しかし彼岸花だけが夜明けの雨を吸ってみずみずしさが抜群です。
久々に、薔薇の開花と同じような、彼岸花の気を感じました。
縄文人では無いけれど、こういう自然の気に接した時が一番幸せな気分になるのです。なぜ縄文人が出てくるかというと、先日千葉の国立民俗博物館に行き、縄文から弥生、古墳時代までのリニューアルした展示に接して来たからです。
海に幸、野の幸、山の幸の豊かな我が国土で、縄文人たちは自然からの生気をどのように得るか本能的に暮らしていました。そのキーワードは旬です。彼らは自然の生気が一番満ち満ちた旬の食べ物しか食さなかったのです。たとえば貝は一年中採集できましたが春しか食べなかったようです。
私たちが旬のものと鍋料理が好きなのは、18、000年前から旬の伝統と世界最古の土器文化が続いてきたからです。
アジサイの根元に群生する彼岸花。アジサイの枯花と彼岸花の盛り花との対比の姿に、輝かしい生が有り、衰えた老いが有りやがて枯れるという、一年の間に生老病死を繰り返す自然現象の一コマで見るようです。
また落葉低木のアジサイや球根植物の彼岸花は、土壌の中にしっかり根を張っていて地上部や枝先が枯れても、必ず芽を出す力強さを持っています。
私たちが植物に惹かれるのは、季節に美しい花や美しい緑の葉を産みだす植物の再生力にあります。これは人間に限らず動物や昆虫も植物の再生力に頼り生命を維持しています。月世界のように植物が存在しない場所では生命は維持できません。
いつも眺めている無沼田んぼの何の変哲の無い風景にも、命の秘密が隠されているのです。
ルドベキアと彼岸花の対比です。
ルドベキアは要注意の帰化植物と認定されていますが、見沼田んぼではそれほど見かけません。セイタカアワダチソウなどと比べると、花としてはかなり美しく、園芸種として売られていたこともありました。
この黄色い大輪の花を見ていたら、ドラマ北の国からで、正吉が蛍にプロポーズするために100万本の薔薇の代わりに、空知川の河原に一面咲いていた黄色い花を部屋いっぱいになるまで送ったシーンを想い出しました。ドラマを見ている時は、未だガーデニングに興味が無く、もちろん大輪の黄色い花の名は知る由もありませんが、よく河原いっぱいに咲いている場所があるなと想っていました。
見沼用水の土手には白い彼岸花も時折見かけます。白はなかなかのものです。
お盆前から見沼の緑野の色も、やや色褪せて来て黄色味を帯びてきます。群植を離れた彼岸花の朱の赤も、やや色あせてきた緑野と何となく調和します。この画像はわざわざカメラに収めるほどの魅力ある風景ではありませんが、本来強い発色の彼岸花の朱色も、やや色あせが始まった緑野と、色がバランスがとれています。
自然は不思議なもので、橋とか建物とか家並みとか現代になって人間が作ったものと、自然の緑野とぴったりと調和することは極めて稀です。
山は人工物の無い自然に最も巡り合える確率の高い場所です。たとえ景観の全くない鬱蒼とした樹林帯や、何の変哲もない荒れた河原や、木の根につまずくようなつまらない尾根道でも、眼に入る景色の中に、人工物が無ければ目障りな色や形は皆無です。仮に人工物であっても峠道の傍らに苔むした馬頭観音があったとしたら、長い峠道の歴史の中でそこを通った古の旅人や村人たちに想いを馳せることもできるのです。
人間が自然の中につくる構築物は、よほど景観を研究してつくる以外、自然の風景に溶け込むのは相当年季が必要になります。自然の時間の長さは人間の一生の長さに比べると果てしなく長いものです。その長さを意識しないととんでもなく違和感のある光景が現れてしまいます。
秋の七草の葛の花。今では葛は、葛切や葛餅の材料で有名になりましたが、都市の中で住んでいると旺盛な葛の姿や、葉陰にひっそりと咲く葛の花は、なかなか見る機会は無く、また葛の草姿を見ると、あの不細工で樹に巻き付いて伸びる繁殖力が旺盛な葛が、葛餅の材料であることに結びつきません。葛は繁殖力の強い根を持ち、この根から採れる良質のでんぷん粉が、葛餅や葛切の材料になることはあまり知られていません。
むしろこの葛から、かって葛餅や葛切の材料が作られていたと理解する方が正しいかもしれません。
私が葛を初めてみたのは30年前ガーデニングを始めた時でした。近くのグランドに旺盛に伸びるツル性の草に小さな花が咲いているのを見て、家内が葛の花だと言った時からでした。そして葛餅がこの葛とどういう関係があるのか、まだネット検索が不十分な時代でしたので、植物の本で葛の根が葛餅の材料になることを知りました。
その後、TVで奈良で葛切の材料となる吉野葛の掘り出しの映像を見て、その採集の困難さを知り、現代では葛粉の採集は産業として成り立たないことを知りました。
誰もがこのジャングルのような葛の草姿を1度でも見たら、葛の根を掘ってデンプン粉に精製し、混じりけの無い本葛の粉を使用した葛餅や葛切は高価になることは明白です。本物の葛粉の葛切を求めるならば奈良で吉野葛を食するのが良いし、それ以外、葛餅は材料を意識しない方が妥当だと想います。
葛の根が葛根湯の材料だぅたことを想い出しました。葛根湯は我が家の常備薬で、子供たちが風邪をひいた時家内は良く飲ませていたことを想い出しました。
道端に小さい朝顔が拡がっています。南米原産のマメアサガオです。
こちらは北米原産のホシアサガオです。星形なので名づけられたのでしょう。とても可愛い花です。
朝顔は夏の風物詩ですが、実際に成長が旺盛になるのは秋です。毎年同じ場所で咲くこのブルーの朝顔は、色も花形の大きさも良く楽しんでいます。
ススキを駆逐して土手を覆い尽くす、ススキもどきの帰化植物セイバンモロコシです。未だルドベキアのように注意すべき帰化植物に認定されていません。監督官庁の農水省は困っていないけれど、河川を管理する国土交通省は相当困っている筈ですが。
罵れないつる性植物は樹々を覆っています。やがて冬になるとツルは枯れてしまいますが、初夏から覆い始めます。樹々は光合成する暇がありません。
土手の左右はこのように旺盛なつる性の雑草に覆われてしまいます。牧野富太郎博士は雑草という名の植物はないと言っていましたが、有用か悪用か言っていませんでした。
公道のフェンスいっぱいに葛が生茂っています。昔の人は良く葛野根を発見したなと想います。多分水田が少なく麦や稗の耕地が少ない山人たちが、いろいろ工夫して食料を確保して来たのだと想います。
樹々を覆うかごとく繁殖している葛です。もっと凄い葛がありますが、コースが違うので撮りませんでした。
私はカラスウリが大好きです。カラスウリはツタが伸びるほど、実がたくさんつくわけではありません。この樹は畑から生えているすももにからんだからすうりで、第1次実を採集して庭にかざりました。緑のまだ熟していない実を残してきたのですが、散歩のだれかが採集して無くなっていました。
秋になると道端のフェンスにこのヤブガラシの可愛い花が咲きます。ヤブガラシは藪枯しという藪まで枯らす繁殖力の強い名前の野草ですが、私はこの名の由来には異を唱えます。確かに繁殖力が旺盛ですが、人の領分迄侵食して伸びるツル性植物ではなく、大体1,2mぐらいの高さで成長を留め横拡がりする訳ではありません。
この野草を見ると小学生時代通学の途中に、秋になると生け垣に絡んでいるこの野草をなぜか想い出しとても懐かしく感じます。いろいろな色の花が集まったかわいらしさに少年の心が動いたのかも知れません。
9月23日、朝の雨が上がり、お墓参りに行って来ました。真夏の残暑というより盛夏たけなわのお盆から、早1か月以上経ち、さしもの暑い夏から秋を感じる様になりました。こうしてあまり変わることなく季節は過ぎて行き、それと共に私も少しずつ老いて行きます。
80近くなり、残り何年で人生が終わりになるか先の事は良く判りません。取り合えず元気だから、もう少し元気だろうと想って日々過ごしています。
早朝家内とのウオーキングで日々見沼の自然の植物や雲や鳥を眺め、日中には時々家内と買い物に行き自分の食べたいものを購入し、間に庭の薔薇や草花の手入れを行い、午後は午後で自称書斎で、音楽を聴きながら本棚の眼に付いた本を取り出して読み、早朝撮影した画像をもとに愛用のPCに向い、これらの印象的なことをブログにしたためています。夜は映画録画やBSTVのお気に入りの番組録画を楽しみます。またたまには友人と山の話や歴史を語らい、時折形而上的な話も楽しみます。
若い時は変化のない繰り返しの日常を忌み嫌っていましたが、歳を重ねると、こうして何の変わり映えのしない日々が続いていることが何よりもの幸せと感じているのです。
そのきっかけは、非日常的世界の登山から、日常の繰り返しを前提とするガーデニングを始めてから徐々に変わって来たのです。
ブログは、誰かに見て貰いたいとかは全く考えていません。ただ自分の作成したブログが公開され、誰かに見られるという前提には立っています。誰かに見られると想うと言葉を選び、いい加減なことも書かなくなり、事実を越えた自慢話や自分の考えをむき出しに表現することは抑制します。
以前に比べると本が読めなくなりました。以前は4,5冊の本を同時並行して読んでいましたが、今は1冊がようやくです。本を読んで考えることが頭の体操に成らなくなった今、ブログ作成が最大の頭の体操になっています。それはブログは自己表現のメディアであり、同時に自己実現のメディアともなるため、乏しい脳力を使って構成や言葉選びを行うことが、結果的には最大の痴呆予防の頭の体操になるような気がしています。