秋の味覚、干し柿の取入れ

1か月前、キンモクセイが香り始めた季節、家内と近くの農協の売店に寄ってみたらたまたま渋柿が入荷していました。渋柿は人気があるので、農家の組合員が納入し店頭に出すとすぐ売れてしまうそうです。昨年は手にはいらなかったため干し柿は作りませんでしたが、今年は運よく渋柿に出会い、吊るせる場所を考慮して40個を購入しました。
これでスーパーで高価なおいしそうな干し柿と出会っても安心できるのです。

干し柿は大好きで、飯田に実家ある近所の家内の友人に毎年市田柿を大量に頼んでいますが、市田柿は小さいため、機会があれば自分で作ります。
干し柿には子供の頃の思い出があります。秋になると私が庭の渋柿の木に登って、或いは高い所は柿もぎ取り竿を駆使して渋柿を採集し、祖母が皮を剥いて私がタコ糸で吊し柿を作り2階の窓の外に吊るします。庭の渋柿ですからそんなに大きいものではありませんが、干し柿作業は、祖母と私の共同作業でした。父母や姉は食べないので、干し柿が出来ると祖母が少しと、私が時間をかけてほとんど食べていました。
以前、農協で渋柿を見つけて買おうとしたら、干し柿の作り方を知らない家内が、料理が嫌いで台所に入ることのない私をいぶかしんでで、大量に発生する皮むき作業が、自分に回ってくるものと勘違いして抵抗していましたが、子供時代の経験を話し、皮むきは私ががやると言ったら急に安心し出したのです。
私が家内に頼んだのはタコ糸があるかないかでした。幸い家内が昔、肉を糸巻きするために購入したタコ糸があったので安心しました。

子供時代タコ糸は大事な遊びのアイテムで、あのタコ糸の素朴な綿の感触は、甲子園の古い強豪高校のユニホームと同じく懐かしいものでした。
タコ糸は文字通リ凧あげを行うための専用の木綿の糸でした。県庁の傍の提灯屋のおじさんの特技が凧づくりでした。提灯屋のおじさんがつくる凧は六角形の小さ目な凧でしたが、凧が小さく見えるほどよく上がるため校庭で凧あげを競いました。当然糸は2、300m位の長さのものを凧巻をして持ち、風に乗ると、飽きるほど揚がったままで落ちる気配はありませんでした。

干し柿造りは柿のヘタにT字形に残した枝にタコ糸をからげて吊るします。
軒下に干し柿を吊るそうと思えば可能ですが、カラスに食べられる恐れがあるため、ベランダ温室の内部に吊ります。温室の天上のバーの間が狭いので、柿を振り分けて吊るせません。仕方がないので1本の糸で2個づつ吊るしますが、柿がそれほど大きくないため3個づつ吊るしたら、温室にまだ余裕がありました。4日後渋柿を20個追加購入しに農協に行ったら既に売り切れていて、代わりに別な渋柿がありました。しかしその渋柿はヘタのT字形の枝が切り取ってあり、これでは柿を吊るせません。農協の店の人に、近年農家の若い人も、渋柿を卸すのに干し柿の作り方は知らないのかなと話合いました。

今年は9月も残暑が酷くキンモクセイの開花も早いように感じます。我が家のキンモクセイは昔抜いて今は薔薇に変わっています。昔、沈丁花やジャスミンなどありましたが薔薇の香りに比べて強すぎるため全て抜いてしまいました。

私も最初はそうでしたが、薔薇の香りを知らない人は、薔薇の香りは鼻を近づけないと香ることが分からず、沈丁花やジャスミンと同じような香りと考えています。

干し柿つくりの作業

購入して来た渋柿を早速皮を剥いて、吊り場所のスペースを見るために試しに10個吊るしてみてOKでした。

翌日、面倒な皮むきを30個行いました。どうでもよいTV番組を見ながら行ったら案外楽にできました。

40個吊るしてみたら、まだ20個は吊るせそうなので農協の売店に行ったら売り切れでした。

10月はほとんど晴天の日が多く、南向きの温室は陽当たりが良いので、思いのほか干し柿が進行しました。家内が熟れた柿を試したらOKだったので、11月を待たずして全て採集しました。

干し柿にすると痩せて貧弱ですが市田柿に比べると遥かに大きいです。

甲州塩山の柿すだれ

柿簾で思い出すのは15年前の09年の11月に、学生時代の岳友の杉村兄と小田兄と1泊で大菩薩峠に行きました。塩山の信玄の菩提寺の恵林寺に行き、大菩薩の麓の武田家重臣一同が戦の際、新羅三郎義光以来の「御旗」「楯無鎧」を前にして戦勝祈願を行った雲峰寺の宝物殿を見学し宿に泊まり、翌日は大菩薩峠に登り、帰途は武田勝頼の滅亡の地を巡った山旅でした。
同行した杉村兄は3年前に亡くなり、小田兄は病気療養中です。15年前のあの当時は雪の赤岳や穂高など出かけており、杉村兄とは60歳から80回、小田兄とは60回以上も山行を共にしてきました。
塩山からタクシーで恵林寺に寄った後、近くの農家の柿簾があまりにも美しいので見学させていただいたときの画像です。

恵林寺を出てから歩いていると、柿農家は干し柿造りたけなわでした。この地方特産の巨大な百目柿の干し柿は高級品で名高く、15年前の当時1個500円はしていました。柿づくりに多忙なおばあさんに、私は柿が大好きなので今わの際に柿を食べることにしていると話したら、亡くなったおじいさんもそうだったと言って大きな百目柿を1個頂きました。

大菩薩峠は富士山の眺望が見事でしたが、山そのものは楽そのものでした。しかし甲州と言えば武田氏であり、山行というより武田氏の史跡の印象が強烈でした。

この山行当たりから、登山と歴史探訪の旅は分けて考える様になるきっかけとなりました。

干し柿といえば塩山の柿簾、柿簾と言えば杉村、小田両兄と巡った11月の大菩薩峠を思い出すのです。

我が家の干し柿の収穫

まだ早いかなと思っていた、干し柿を試しに採集し食べた所OKでした。

全量採集します。これから1日2個として20日間、家内が少し食べるとしたら2週間の楽しみでしょうか。

畑では里芋の収穫も始まっています。夏の終わりに収穫したスモモからのジャムは、9月、10月の2か月間毎朝食べ通しで残り大型ジャム容器の三分の一になりました。スモモのジャムは独特の酸味で毎日食しても飽きませんでした。手をかけて作るものはみなおいしいです。