中国地方の旅その4 花の神戸を発見!
19世紀半ばの幕末に、幕府は列強の圧力で5つの港を開港し鎖国を取りやめました。
開港といっても我が国の湊の形式は、西欧における桟橋という概念と異なり、船は平底船のため中世から入り江の砂州に築かれ、大型平底船の千石船は沖に停泊し小舟が荷役しながら砂州と沖合の船と連絡していました。
幕府が定めた長崎、神戸、横浜、函館、新潟の5つの湊の内、長崎は引き続き出島を使用し、他は湊として使われていない寒村の浜だった神戸、横浜、函館、新潟が設定され、外部と隔離する形で税関や商館が設けられました。
今まで長崎、函館、新潟、横浜を訪れ、開港博物館や旧税関などを見学してきましたが、なぜか神戸を訪れる機会が無いまま今日まで来てしまいました。
私たちは幕末に開港した5つの港に興味を抱くのは、これらの港が我が国が西欧近代文明と初めて出会った地だったからです。
そこには我が国の伝統的な文化と西欧近代文明との葛藤があり、当時の建築やそこで活動していた人々の歴史の息吹が最も感じる場でもあります。また開港した19世紀の時代、西欧は産業革命の只中にあり、船も帆船から蒸気船に変わり、明かりも蝋燭からガス灯に変わり、鉄の時代の始まりの兆しが生じた時期でした。
函館11年、20年,11月
新潟15年10月
長崎16年4月
横浜16年9月
開港の時期は、その後の機械文明の発展によって社会が様々に変革する直前の、人間と機械がうまく調和できた最後の時代でした。建築も家具調度も衣服も効率を優先した機能一点張りでなく、デザイン的にも素材的にも、カラー的にも効率より雰囲気や人間らしさが優先されたように想います。
幕末に開港した5つの港は新潟以外は、開港の時代の遺跡が多く、当時の時代の気分を濃厚に味わうことができるのです。幕末に開港した地を訪れる目的は、日本文化と西欧文明が出会った当時の19世紀にタイムスリップできる唯一の場所だと想っています。
今回残念ながら一番の目的であった神戸市の開港博物館がリニューアルのため閉館中だったことです。
岡山から新幹線で新神戸に着きました。神戸は30代の頃来て三宮界隈を歩いたことがありますが、全く印象に残っていません。
事前に神戸訪問の第1目的だった神戸市立歴史博物館がリニューアル中を知っていたため、ネットで調べながら訪れるコースを決めていました。家内は10年ほど前娘と
三宮や北野異人館など訪れたことがありますが、詳しくはありません。
阪大大学院時代、神戸女学院で講師をしていて神戸にも詳しい息子に、神戸の観光コースを尋ねたら六甲山に登り稜線をバスで移動するコースを薦められました。
しかし息子の興味のないハーブ園の存在をネットで知り、しかも新神戸駅から六甲山中腹迄ロープウエイがあることから、まずはそこに向かいました。
このハーブ園のロープウエイが出色でした。家内は娘と神戸に来た時、神戸は横浜より上だねと話していた通り、海、市街地、山の紅葉の見事なバランスに接し大興奮でした。私もこの光景の見事さに卒倒しそうになりました。
目も眩むほど見事な紅葉です。
ロープウエイ終点です。テーマパークはドイツです。花のアレンジはドイツより素敵ですが。
クリスマスの装飾に熱心なのは何といってもドイツです。ローテンブルグのクリスマス村では一年中クリスマス用品が売られています。回廊の中にはローテンブルグの店が出店しており本物のクリスマス用品が購入できます。我が家では25年前にローテンブルグのクリスマス村で購入してきたリースの大型リボンや飾りなど、毎年同じリースを飾っています。リース本体は大型リボンに合うように、見沼田んぼで葛のツルを採集して大型のリースに仕立てています。
ハーブ園のイングリッシュコーナー
イングリッシュローズのガートルド・ジェキールでしょうか。
花も終わったイングリッシュローズのコレクションコーナーでこの懐かしい薔薇と突然出会いました。
ガートルド・ジェキールはダマスクの濃厚な香りの初期のイングリッシュローズで、30年前に栽培していました。
薔薇の名のガートルド・ジェキールは英国の女流画家の名で、彼女は画家らしくボーダ花壇を主体としたガーデンに初めて花の色彩計画を持ち込み、今日のイングリッシュガーデンの基本を作りました。またピーター・ビールズ曰く、ボーダー花壇の背景にレンガなどフェンスを設け、それまでガーデンで使用しなかったランブラーローズを絡ませ、自然なボーダーと柔らかなランブラーローズを組み合わせるコテージガーデンの基礎をも作りました。
ガートルド・ジェキールは今日私たちが理想とするローズガーデンの創始者であり、デビット・オースチンが当時作出した薔薇の中でも最高の品種に、偉大な彼女の名を冠したと言っても過言ではないでしょう。
当時オースチンの薔薇の多くは香りとセットでした。私は薔薇の香りはオールドローズとイングリッシュローズから学びました。イングリッシュロースと長く接していると、オースチンのイングリッシュローズはたまたま作出した薔薇が良い香りをしたということでなく、最初から香りを目的として作出していたことが良く判ります。
ローズコーナーの中心のガゼボです。多くの人がガゼボの間から顔をだして記念写真を撮っています。
イングリッシュローズの香りの分類
この香りの分類がイングリッシュローズの最大の特徴です。イングリッシュローズは4つの香りに分類して、どれにも属さない品種はありません。
ティーの香りとはティーローズの香りです。18世紀英国の東洋進出に伴い、中国の薔薇が初めて西欧に渡りました。主な4種の薔薇の中で四季咲きの薔薇、剣弁高芯咲きの薔薇、そしてお茶の香りの薔薇が英国やフランスに渡り、オールドローズと交配し四季咲き、剣弁高芯咲きのハイブリットティが生まれました。
ティーの香りとは、実際お茶の香りでなく、中国から港でお茶を出荷していた船員が薔薇も積み込みながらお茶の香りに似ていると言ったことからティーの香りの名称が生まれました。
右のオールドローズの香りとはダマスク香のことです。ダマスクの名の通り現在の中東シリア辺りで栽培されていたオールドローズの濃厚な香りをダマスク香と呼びます。
ミルラとは没薬の香りのことです。ミルラ香はミイラの語源になったように、古代エジプトでは遺体に低木コミフォラを焚きそこから採れる樹脂を防腐と香料に使用しました。イングリッシュローズのミルラ香の薔薇はアニスの香りと似ていると言われていますが、ミルラ香の薔薇は私も最も気に入っていて多くのイングリッシュローズの名品種が揃っています。
デビット・オースチンはフルーツ香の品種の作出が最も容易だと著書で言っています。それだけフルーツ香の薔薇が数が多いという事でしょう。
イングリッシュローズコーナーの女性のガーデナーとしばらく話し込みました。イングリッシュリーズの全ては良く管理されており、葉を落とした裸の枝など見つけることができません。この時期青々とした葉を付けているだけでもたいへんなので、その苦労が偲ばれます。
見事なクライマーの壁面誘導仕立てです。見事です。京都の松尾園芸が仕立てていると伺いました。さすがプロの技です。
薔薇園が終わり緩やかな斜面の道を下って行くとハーブ園が現れます。
ハーブはかなり一般化しましたが、来園者の全てがガーデニング愛好者とは限りません。このようなハーブを解説したボードがあちこち建てられており、学習しながらハーブ園を楽しむことができます。
ベジタブル園です。家庭菜園を行っている人には子供だましのコーナーですが、ベランダーでコンテナ菜園をやろうとしている人にとって、野菜の大きさが分かり参考になります。
何をしているのかお尋ねしたらチューリップの球根を植えているとのことです。唯の作業者でないと見かけお名前をお伺いしたら阪神園芸の秋武さんという人でした。土壌の専門家の方で、あれこれお話をさせて頂きました。薔薇コーナーの女性ガーデナーに続き、ここでも秋武さんとの会話が弾み家内は呆れています。
しかし一期一会のこういう会話が旅の楽しみの一つなのです。
ガーデンはメンテナンスこそ命です。よく見ると花が終わりそうになった一年草も目立つ場所は新しく同じ品種に植え替えています。背後の苦労は並大抵ではありません。
こちらは鳥のボードです。鳥は中々種類の特定が難しく助かる人も多いでしょう。
ハーブ園の紅葉は実見見事です。
多分、紅葉が映えるように赤いモミジは新たに植えているのでしょう。京都も多分そうだと想います。
最後の力を振り絞って夏から秋の花が咲いています。アメジストセージを除いては大半が一年草で、次はパンジーやビオラを飛ばして春の花になるのでしょう。
神戸の中心から15分でこんな自然を楽しめます。神戸市民は六甲の恩恵をフルに受けています。
ロープウエイ乗り場のトイレの壁にありました。
下りのロープウエイもまた楽しめます。
ロープウエイを降りて遊歩道を北野異人館方面に散策します。
北野異人館は神戸で最も人気のある地域で、今や神戸の原宿と想えば良いでしょう。
北野異人館にはそれぞれ歴史がある建物がありますが、原宿化しているため歴史を辿る欲求も湧きません。
それぞれ素敵な洋館ですがあまり興味は湧きません。
函館の保存された洋館や現在使用している教会と比べると、感慨が少ないのは、原宿化によって19世紀にタイムスリップ出来ないせいもあるのでしょう。
家内はこういうところは嫌いでないので、2度目でも楽しんでいます。
北野異人館の坂道を下って大通りを歩いていると、歩道にある植え込みに眼が行きました。植えっぱなしでなく委託業者が時々植え替えているのでしょう。未だ衰えず美しい姿を保っており歩道の植え込みとしてはかなりなレベルです。こういう部分に接すると異人館の原宿も悪くないなと想います。
美しい草花の威力は抜群で、神戸市は東京や横浜に先駆けてその威力に気づき、その威力を発揮しているのでしょう。娘と家内が神戸は横浜より上というのは案外こんな所にあるのかも知れません。
昼時のためレストランを探しながら歩きましたが、三宮に向かう交差点の近くのビルの地下にパスタのレストランを見つけました。地下の店は昔のバーの窓の無い厚いドアの店でしたが、思い切って入って見たら常連客ばかりの小さな素敵な店でした。味もおいしく何よりも、自家焙煎の追加のコーヒーが300円と安く、家内は感動していました。このレストランのお陰で神戸の印象がいっそう増しました。
神戸市内は2連結のバスのポートループとシティループ、そして通常の路線バスの3系統のバスを運用しています。
欠点は路線バスと異なる停留所の位置が分かりにくいことです。観光案内所で港に行くこの素敵なポートループの2連結バスを紹介されましたが、三宮では停留所が見つからず大変な想いをしました。回遊路線のためグーグルマップでは上り下りの停留所が判明しませんでした。
結果的にはタクシーで港に行った方が効率的で、港からの帰りは新神戸駅まで、予想時間の2倍以上の1時間近く要し、新幹線の予約時刻に間に合うか胃が痛くなりましたが、バスが正確な時間の運用ができない事態を知らなかった私の不明を恥じています。
バスの車窓から震災から復旧した古い建物を眺めます。
神戸市歴史博物館が休館中だったので、港にある神戸海洋博物館(カワサキワールド)に行き、少しは開港関連の展示でもあるかと想いましたが、本の僅かでした。ここは川崎重工の企業博物館で、私が望んだ開港関連の博物館でなく、船の模型など私は大好きなので楽しみました。
しかし家内は三宮からの往復時間がかかった事と、全く興味のない展示だったため、普段私が行きたいところに行っても、黙って我慢していた家内も、今回の海洋博物館は自分にとって全く無意味だったと感想を言っていました。
もしカワサキワールドが、旅の途中でなく東京にあったら、多分数回は行くでしょう。小学生時代、秋葉原の交通博物館が大好きで1人で何回も通いました。私のお目当ては船の模型で、2mの大型の戦前の浅間丸など鉄製の模型の数々は、私を虜にしていました。カワサキワールドも川崎重工の客船の模型がたくさん展示してありましたが、あの交通博物館にあった船舶の模型の迫力には及びません。横浜の日本郵船海事博物館も大型の船舶模型はありますが、やはり交通博物館の迫力にはかないません。交通博物館が廃止になりましたが、あの船舶模型はどこに行ったのでしょうか?
カワサキワールドは残念ながら企業博物館のコーナーも時間が足らずあまり見学ができませんでした。残念です。安来の和鋼博物館では元日立金属の企業博物館も併設されていました。企業博物館は専門家が選ぶために内容が濃くとても魅力があります。地方自治体の博物館は遺跡の土器や農具ばかりでなく、地域の産業史の視点で地元企業の協力を仰ぎながら企業博物館も併設した方が良いと想います。
同じような家内の興味が無い江田島や知覧特攻基地に行った時はどうだったかと思い出すと、両方とも若くして亡くなった人たちの遺書がたくさん展示されていて、私以上に時間をかけて読んでいました。知覧では横にいた息子に、特攻隊員のように1回でも「母上様」と自分に対して手紙を書いたことがあるかと怒っていました。
軍艦や航空機の博物館でも、女性は私とでは見る視点が違うことは知っていましたが、家内にとって海洋博物館は本当に何も見る所がなかった場所でした。旅にはそんなこともあります。
私はこういうのを見るとゾクゾクしてきます。