23年薔薇友訪問記3、Sさんの庭

今回、Sさんのお宅を訪問した際、10年前ご夫妻が、薔薇の季節に私が勤務していたガーデンセンターに来られ、その時私に勧められて購入した3本のイングリッシュローズの苗の写真をスマホで記録していた画像を見させて頂き驚きました。そのイングリッシュローズはウイリアム・シェークスピア2000、エイブラハム・ダービー、それにクレア・ローズでした。
私はその時の記憶は忘れていましたが、その3種を見ると改めて10年前のことが微かに蘇ってきました。多分ご夫妻が初めて薔薇を栽培するに当たって、アプリコット系、赤系、ピンク系の3種の中から、私が好んでいた品種を薦めたかもしれません。エイブラハム・ダービーは今でも1番好きな品種だし、シェークスピアも赤紫唯一の雰囲気溢れる薔薇でしたし、ピンク系のクレア・ローズも控えめですが、私が密かに美しいと感じていた薔薇でした。
スマホの画像を見せていただきながら、写真を記録して頂いていたことに、とても嬉しく想いました。

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ご夫妻はその後、何回か継続して薔薇教室に参加されその都度薔薇を購入されました。その過程でご夫妻が私の大学の出身者と知りました。私の同窓の人たちは大体は、やかましいタイプが多いですが、ご夫妻は控えめで御自身のことは多くは語らず、質問も理路整然としているため理系の出身かなと思いましたが、後にご夫妻共に私と同学部と知り、その意外性に驚きました。

5年ほど前、薔薇の季節に、Sさんから写真が送られてきました。確か2階までの壁面に大きく誘引したマダム・ピエール・オジェとピエール・ドゥ・ロンサールとラ・レーヌ・ヴィクトリアの大、中カップの夢のコラボの画像でした。

デュセス・ダングレームとダム・ドゥ・シュノンソのコラボです。Sさんは異種の薔薇のコラボが得意です。

2階までの壁面に豪快に大きく伸ばした大、中カップの夢のコラボの仕立ての見事さに驚き、Sさんの許可をいただき、画像をコピーして薔薇庭づくりの薔薇教室参加者に紹介したことがありました。

当時仕事をしていたガーデンセンター薔薇のハイシーズンは、一年中で一番お客様が来店され、広大な農場で展開している薔薇苗の接客に猫の手も借りたいほど多忙でした。自宅の薔薇の花柄積みの時間もなく、教室のお客様の庭も観ることはできませんでした。



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翌年の19年、Sさん宅の庭を初めて訪問しました。この年もまだ仕事をしていたのでハイシーズン前に訪問したため、Sさんご夫妻の庭は満開前の5分咲程度でしたが、その見事さは私の想像以上で、まさに住宅街の中の理想のシュラブローズガーデンでした。その時Sさんは薔薇のために家を建て替える計画があり、完成した翌年には訪問させていただく約束をしましたが、コロナ禍が生じたため、1昨年新しいお宅の庭を初めて訪問したのです。



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初めて接した新しい庭の印象は、端的に言うと目がつぶれそうな庭という表現になりますが、庭全体のつくりが、草花の種類やカラー、薔薇のカラーや雰囲気、そして樹形など、緻密に計算し配慮された配置になっていることに気が付きました。草花とミックスさせた薔薇庭の管理が大変ですが、美しい光景を表現するために理想的な密植を展開していました。
薔薇や草花の選択も深い思慮の上で計算されて配置されており、思い付きで購入しているとは想えず、薔薇の歴史を踏まえながらも、現代のローズガーデンを目指しているように感じたのです。
以上は2年前の訪問記で、当時の私のホームページの薔薇庭訪問記に記載した文章から引用したものですが、その2年後の今年改めて接しても、この時の印象は全く印象は変わっていません。

ローズ・ポンパドール

私が20数年前、初めて薔薇に惹かれた要因はその美しさが第1ですが、同時に薔薇には世界の多くの人々が関わった深い美の歴史があることを知りました。薔薇は他の追従を許さない花の美しさと崇高な香りを備えているため、世界の数多くの人々が、野生の植物だった薔薇を園芸植物に変え薔薇栽培や香水つくりを行って来ました。
また人々は、単独で庭をつくれるようにツルからミニまで豊富なタイプの薔薇を改良して来た歴史もありました。日本原産の椿には薔薇のような変種はありません。

薔薇の歴史を追って行くと薔薇は単なる植物でなく、文明が勃興し成熟する地域に移動しその伝播の動きは世界史そのものである稀有な植物であることも解りました。

主にユーラシア大陸西部の乾燥地帯で発祥した原種の薔薇は、最初にペルシャで栄えギリシャ、ローマ世界に移動しました。ローマ帝国が滅亡すると中東のイスラム世界で花開き、十字軍によって北ヨーロッパに渡り、やがてスペインから独立し世界の金融国家になったオランダで香水づくりのために本格的な品種改良が行われました。しかしオダンダとの海上交易覇権争いで英国が勝ち、緯度が高く植物が少なかった英国は自然の緑に関する関心が高く薔薇も大いに栽培されました。大陸ではフランスが覇権を握り、ナポレオンの皇妃ジョセフィーヌの庭には世界中の薔薇が集められ、新たに多くの品種が作られました。19世紀末には英仏のアジアへの関心からアヘン戦争を呼び、中国の薔薇や茶は英仏に渡り、日本のノイバラやハマナシも英仏に渡りました。そして第2次大戦後、戦火を逃れアメリカでフランスのメイアンが作出したピースが、戦後の薔薇の決定版となりました。

古い時代のオールドローズが多くの名も無き人々の手によって栽培され、それを基に新たな育種家が時代要請を受けて、新しい薔薇として蘇る、薔薇の花にはそんな悠久の歴史の重みを感じることもあったのです。

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Sさんの庭の特徴は、薔薇の歴史を踏まえながらも、現代のローズガーデンを目指しているように感じました。これも2年前、新築したSさんの庭に対面して感じた最大の印象でした。

それぞれの薔薇はその時代時代に作出されて来た意味があります。オランダが全盛時、オランダで香水づくりのために咲出された100枚の花弁の薔薇、センティフォリアローズは当時1000種あったと、故ピーターは言っていますが、今現在残っている品種は20種も無いでしょう。

そのことを考えると歴史を経た薔薇は、歴史の審判を経た重みがあるのです。Sさんの庭には基本的にはそれぞれ歴史の審判を経た美しい薔薇と、これから歴史の審判に耐えうるだろう薔薇で構成されているため、華やかな中にも落ち着きが感じられるのです。

クリスティアーナ

今回は緻密な配置図を頂きましたが、種類が多すぎて低い薔薇は解読が大変です。

庭の突き当りに、以前からあるパーゴラの下の寛ぎ場所が見え隠れしています。パーゴラに這わせた群星と奥のフェンスに這わせたグレハム・トーマスが顔を覗かせています。

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玄関の上を覆うペッシュ・ボンボンで、左側はラ・レーヌ・ヴィクトリアです。クレマチスの前には、アルフレッド・シスレー、クロード・モネ、ポール・セザンヌなどデルバールがあります。

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壁面奥にツル・アイアスバーグ、手前はプロス・ペリティ、足元にはブルー・フォ-ユー、手前のアプリコットはパリ・ジェンヌです。セント・セシリアも少し顔を覗かせています。

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昨年に比べるとベランダの薔薇は増えています。2Fのリビングから広いベランダに出られる構造はとても贅沢です。もちろんオーニングや散水施設は完備しています。

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最近は見ただけで薔薇の名前が浮かびません。

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2Fのリビングの各窓から庭が全て見られます。カメラでは光が反射して見えずらいですが、肉眼では薔薇は光り輝いています。

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いつも忘れて撮影しそこなうのですが、今回は忘れずに撮影したガレージ前の薔薇です。左はブラン・ピエール・ドゥ・ロンサール、と足元はボレロ、右は玉鬘です。カップで美しくまとめています。