山と自然のエッセイ・一番美しい季節の見沼田んぼの緑

桜が終わり桜や常緑樹の短い新緑が終わると、見沼田んぼは緑一色の世界になります。
いわゆる風薫る5月の始まりですが、GWに入ると暑い日が多くなるため、大陸のさわやかな風が吹き込むこの時期は、暑くも寒くもなく一年で一番過ごしやすい時を迎えます。

昔、庭のデッキにガーデンテーブルとパラソルを設置し、ランチは庭でと意図しましたが、一年の内で快適な気候で庭で食事ができる日は初夏と小春日和の4~5日に過ぎないことが分かりました。
従って庭でランチを食するのは、機会が限られてしまい、その内ガーデンテーブルは薔薇の置き場になってしまい、毎日水やりをするために、丹念に塗装したテーブルはやがて朽ちてしまいました。
本日は一年の内で4~5日しか得られない最も快適な気候の1日でした。

この時期は全ての薔薇が蕾を付け一斉開花の直前に当たります。開花したら忙しいので一瞬の束の間を見計らって見沼の緑を撮影に出かけました。

この時期憎らしい雑草も未だ葉も柔らかで緑が美しい時で、少しも目障りになりません。

藤棚がありますが、土壌の手入れをしていないので、花が貧弱です。ここは見沼用水の東縁の数少ないトイレがあります。桜の季節は遠くから来た散策者が利用しますが、普段はドライバーが時折車を止めて利用しています。

向こうに白い花が咲いている樹を家内が見つけました。

なんじゃもんじゃの木

この白い花を咲かせている樹は驚くなかれ「なんじゃもんじゃの木」でした。
「なんじゃもんじゃの木」とは昔青山煉兵場の際にあった樹を、名前が分からないのでなんじゃもんじゃと言って愛称にしてしまった樹で、モクセイ科の落葉広葉樹の「一葉たご」が正式名称らしいです。
「一葉たご」はイチハタゴと読み、タゴとはトネリコの意味で、複葉のトネリコに対して単葉のトネリコとして「一葉たご」の名になりました。
いずれにしても珍しい樹で、造園業者が畑に植えたのでしょう。
この樹は、自動車道に面しているので木の下に行ったことは無く今回ここに有るのを初めて知りました。

花はトネリコによく似ています。トネリコの主木として人気品種にシマトネリコがあります。

ハンカチの木

ナンジャモンジャに隠れて、これまた珍しい「ハンカチの木」がありました。「ハンカチの木」はミズキ科の落葉広葉樹で花は花弁がなく2枚の大きな苞が花弁を包むように咲きます。この白い大きな苞がハンカチに似ていることからなずけられました。

今CDラックから偶然ブラザース・フォーのCDを見つけたので、それを聞きながら書いています。ブラフォーはもう20年以上も聴いていませんでした。

歌を聴きながらブラフォーの曲にはグリーンという言葉が良く出て来るなと感じました。デビュー曲の「グリーン・フィールズ」の詩の情景が目の前に広がります。
かっていつもグリーン・フィールズを一緒に散策していた恋人に去られ、すっかり色褪せてしまったグリーン・フィールズに、再び恋人が戻ることを願いながらたたずむという詞ですが、今ではどうなのでしょうか? 「7つの水仙」の詞も、自分には君を幸せにできる家もお金もないけれど、千の丘の上で口づけと7つの水仙をあげられるという詩です。どちらも今の時代のコスパを好む即物的な価値観にそぐいそうにもない歌ばかりです。
これらの歌がアメリカや日本でヒットしたことは、社会の若者の価値観がまだ詩の内容に近かったのでしょう。

ブラフォーを聴き始めたのは確か高校1~2年の頃で当時登山に熱中して勉強を全くしていなかったにもかかわらず「グリーン・フィールズ」のSP版の詩を辞書をにらんで和訳しながら密かに歌っていました。英語の歌は中学2年頃から凝っていて、プレスリー、ポールアンカや映画音楽の詩を歌っていたので、高校生になって年齢と共に少し成熟し、ロック系よりブラフォーのような落ち着いた歌に惹かれました。
「アラモ」や「グリーン・スリーブス」も大好きで、今思い出すと「グリーンスリーブス」は初めてブラフォーがイングランド民謡を採集したのでしょう。

大学生になるとキングストントリオやPPMが登場し、ピートシガーの「花はどこに行った」や古い歌の「500マイル」そして「トライトゥ・リメンバー」をブラフォで聞き、彼らオリジナルの「7つの水仙」にはいつも聞きほれていました。

本日昼のニュースでトランプが銃撃されました。
いくら敵対する国家とはいえ、宗教国家に石器時代に戻すとか、トランプ大統領のめちゃくちゃな発言は人間として知性のかけらも無く、このような大統領を産んだ米国国家の国民に失望を感じます。
ブラフォーの歌を聴いていると、私の高校大学当時のアメリカは、私たちが憧れの対象の国であったなと改めて想います。
ブラフォーの出身大学はシアトルのワシントン大学ですが、ブラフォーを聴いていた時代から30年後、の30年前仕事でシアトルに行きましたが、シアトルはロスやサンフランシスコと比べられないくらい田舎の街で、ダウンタウンは小さく郊外は直ぐ湖や森が点在する静かな街でした。ダウンタウンで行きかう人々は皆アウトドアスタイルで驚きましたが、フィールドの中に街があると考えるとこれは当然でした。
ブラフォーの歌は西海岸でも北の米国の端の地域で産まれましたが、そこは自然溢れるとてもクリーンな街でした。
自然豊かなクリーンな街シアトルにはパタゴニアの本店があり、ペットボトルを原料として世界初のフリースを販売し、利益の1%を自然保護団体に寄付すると言う先進的な企業でした。当時パタゴニアはまだ日本に進出しておらず、登山用の下着システムはパタゴニアしか無かったので、雪山用にエキスペデイション用の上下とダウンジャケットを購入しました。下着は今でも我が家の登山ウエアコンテナにあります。またシアトルにスタバがあり、日本に席巻するとは思ってもみませんでした。

改めて想うにブラフォーは良き時代のアメリカを表現していました。レコードジャケットの写真のクルーネックセーター姿など、彼らのイメージにはギラギラしたものがなく、知性が溢れクリーンで健全なアメリカの若者という雰囲気で、私のアメリカに対する憧れに十分応えるものでした。また当時私の高校大学時代から海外文化の憧れは欧州からアメリカに移っていた時代でもあり、当時のアメリカには先進文明国の若者を惹き付ける魅力的な要素が溢れるほどありました。

自らイエスキリストに似た絵を作らせ、米国の根幹をなす国家機関を解散させ、大学や博物館など正統的なアメリカの歴史を研究する組織を排斥し、三権分立の民主主義国家の根幹をなす一画の司法まで介入する不遜な人が、世界に最も影響を与える国家元首に選ばれるアメリカという国はどうなってしまったのでしょう。かって共産主義という幻想の魔物で多くの国家が滅んだように、限りなき欲望の経済合理主義という社会の魔物が異常な元首と異常な国家を作ってしまったのでしょう。

「グリーン・フィールズ」の詩にはonce there were(かってそこにあった)と4回続けてグリーン・フィールズに存在したものを列記しています。今のアメリカを考えながら「グリーン・フィールズ」を聴いていると「かってアメリカには〇〇があった」と繰り返して言っているような錯覚に陥ります。
ブラフォーの歌を何回も聴きながら美しい見沼の緑の画像を楽しみながら書いていました。

小学生時代絵画が好きでした。特に今の季節、担任の先生は私たちを毎週校外に写生に連れ出しました。当時もカリュキユラムはあったと想いますが、担任の先生はかまわず
私たちの情操にかかわることを優先して行いました。
私は緑のだけの風景を、さまざまな緑系の色を使用して描くことが大好きでした。

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この写生の時、緑の風景には様々な緑が組み合わさってできていることを知りました。

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常緑樹の新緑です。

首都圏でこれだけ美しい緑が広がっているのです。

雑草も美しいのは今だけです。

この緑の美しさはめに焼き付けました。