23年薔薇友訪問記5,野田・肥後さんの庭

歳を重ねると記憶力が衰えてきます。肥後さんと知り合うようになってどのくらい経つのか、判然としませんが10年以上は経っていると想います。
肥後さんは私が仕事をしていたガーデンセンターに時々来店され,その内顔見知りになりました。肥後さんは私とほぼ同年配で大手鉱山会社を退職され、野田市でオープンガーデンの会長を務めていること、自然人クラブという山の自然を研究する団体に入っていました。私は鉱山会社に友人はいなかったため、鉱山や鉱物資源について私が知りたいと想っていたことをお聴きしたり、オープンガーデンや山の自然についてガーデンのカフェでお茶を飲みながらおしゃべりをするようになりました。

当時オープンガーデンは未だ珍しく、以前関西で始まったことは知っていましたが、関東では埼玉の深谷が初めてで、ついで千葉の流山でスタートしました。野田は流山の隣町であることから、刺激を受けて他の地域に先駆けて開始したのです。野田市はキッコーマン醤油の企業城下町ですが、東武鉄道が緑豊かな大規模な住宅団地を造成したため、新たに移り住んだ人たちは、定年を迎えて花や緑の趣味に生きようとした人が多かったこともオープンガーデン発足の背景にはありました。


やがて、肥後さんから呼ばれてクラブで、薔薇の用土と肥料について講演をさせて頂いた翌年の2015年から、オープンガーデンの1週間前に行う会員間の内見会に参加するようになり、以来9年間にわたって毎年同時期に、会員の皆さまのオープンガーデンの内見会や総会にも参加させて頂いています。

今年は野田ガーデニングクラブの11回目のオープンガーデンとなりました。

肥後さんの庭は今年、かなりリニューアルしました。木を切って道路から庭が見通せるようになりました。

かなり見通しが良くなっています。

とても明るくなりました。昨年は外壁のペイントを行って、庭のカラーとマッチしてきました。

玄関回りもすっきりしてきました。

庭へのメインの入り口です。

庭の中から道路を見ます。右側が改造されてすっかりすっきりしました。

薔薇たちも協調されて見栄えが良くなりました。

変わった装飾物がたくさん見えます。肥後さんの遊び心でしょう。

今年の肥後さんの遊び心は、何といっても鯉のぼりです。野田の街には1軒も見かけないからといって、浅草橋まで行って購入してきました。鯉は気持ちよく泳いでいます。
私も子供の頃一番欲しかったのは、五月人形より鯉のぼりでした。当時浦和の街では布製の鯉のぼりは売っていなかったので、提灯屋さんで紙の小型の鯉のぼりを買ってもらいました。父は器用だったので、材木屋さんから細くて長い丸太を買ってきてポールをたててくれました。
私は3歳まで父を知りませんでした。父は第2次上海事変後復員し、太平洋戦争の開始後、昭和18年ビルマ(ミャンマー)に出征し、敗戦後捕虜として抑留され昭和21年に復員しました。ですから幼児の時に父に抱かれた記憶はなく、どちらかと言えば姉2人の方を可愛がっているように感じていて、子供の時父には余り馴染めませんでした。
私が鯉のぼりの記憶が鮮明であったのは、父が提灯屋さんに頼んで紙の鯉のぼりを作って貰ったことと、材木屋さんから購入した長い丸太に滑車を付けて、苦労して鯉のぼりを挙げていあた姿を傍で見ていたからです。

4月に瀬戸内を旅して桃太郎伝説の吉備津彦神社で豪快な鯉のぼりを見た時、あの子供の頃の記憶が蘇ったのです。
肥後さんが、鯉のぼりをどうやって手に入れたか、滔々と話すのをお聴きしながら肥後さんが、鯉のぼりを挙げた気持ちが良く判ります。

緑の美しい庭です。この反対側にリンゴのエスパリエ仕立てを目指しているので成長が楽しみです。