奥高尾トレーニング山行

7月24日から北ア双六山行を行いますが、2回目のトレーニング山行を新井兄と行いました。島田兄も同行予定でしたが所用があり2人で行いました。

九州は連日の豪雨で多大な被害も出ているのに、関東は連日の猛暑で列島はアンバランスな気候状態です。
いよいよ山行まで2週間に迫っていますが、久々の北アルプスのため体力的なプレッシャーを感じています。ということで少しでもプレッシャーを和らげるために4月に行った景信山、城山、高尾山の奥高尾縦走コースを直前の暑い季節を選んで行いました。景信山からは、暑いため稜線の縦走路をできるだけ巻道を選択しましたが、初めて通る巻道もあったため間違えて引き返したりしたので、巻道のうまみを享受できませんでした。

中央線高尾駅北口から9:12分発の小仏峠登山口行きのバスに乗ります。バスは2台運行してくれるため、座ることができます。途中日影バス停で大半の人が降りてしまうので、終点の小仏峠登山口まで行く人は1割ぐらいです。
終点にトイレがあり車道を歩き始めます。景信山の登山口は車道のカーブに隠れていて眼に入りにくいため、話に興じて歩いていたら見落としてしまい、気が付いて慌てて戻りました。慣れた道のため緊張感に欠けていました。

本日は高温注意報がでていましたが、樹林帯の登山道でときおり風が吹くためそれほど暑いとは思えませんでした。しかし不思議なことに景信山の下でいつの間にか道を間違えて景信山頂に直接登る道でなく、景信からの縦走路に出てしまいそこから景信を登りました。高尾山塊は道がたくさんあるため気を付ける必要があります。

ピークには小屋があるのですが、登山者が少ないため営業していません。ここで早めの昼食にします。

人が少ない静かな山頂です。ほとんど誰もいないと言っても良いくらいです。これから辿るコースが良く見える場所です。左のピークが城山です。ピークに小さな無線塔が望まれます。

富士山はこの方向ですが、今の季節は見えません。

景信山から縦走路を下ると、直ぐ旧甲州街道の小仏峠に出ます。左に下れば最短で今朝降りた小仏峠バス停からJR中央線高尾駅に出ます。
右はJR中央本線相模湖にでますが、下山してから平地歩きが厄介ですが、本陣跡などあり旧甲州街道の様子をうかがうことができます。

小仏峠は歴史ある峠ですが、旧甲州街道を参勤交代で利用したのは2,3藩しかなく、むしろ幕府の甲府城の勤番が利用した街道でした。新選組も甲州鎮部隊として故郷の多摩に凱旋しながら甲府に向かいましたが、新政府軍との笹子峠の戦いで敗れ退却し江戸に逃げ帰り、下総流山で再起を図りましたが、近藤勇が投降し、土方歳三以下は幕軍と宇都宮、会津、仙台、函館と転戦したのです。

小仏峠から城山の登りになります。景信山が727m、城山が670m、高尾山が599mで、最初に一番高い山に登って徐々に高度を下げていくコースです。
城山のピークの登りで、左側に巻道があったので初めてピークを撒いてしまいました。

この城山のピークの巻道が迷う原因となりました。ピークを巻いて本道らしき道に出ると、目の前にと一丁平への標識があり、藪に覆われた道がありました。これはてっきり一丁平への近道と想い、少し道に入って見たら切り開きのない藪道だったため、戻って本道らしき道を下り始めました。しかししばらく下りながら、この本道らしき道は縦走路にしては広く、しかも路面を簡易舗装しているため、この道は日影から城山への荷物運搬道と思い引き返しました。以前TVドキュメンタリーで城山小屋への荷物運搬の様子を見た記憶がありました。この荷物運搬道の車止めから上は地図には記載されていません。

この一丁平の標識まで戻り、改めて見上げると樹々の間に城山の無線塔が見え、この細い道が城山ピークの無線塔からの正規の縦走路と途中で合流することが解りました。後から想うと城山の巻道の入り口が塞いであったのを無理やり通ったことが誤りの元でした。城山は何度も来ていますがこんなことは初めてでした。城山の巻道の合流点が縦走路でなく、日影からの荷物運搬道であったことが間違いの元でした。

一丁平からは、いつも使う巻道でなく、逆にめったに通らない稜線を辿りました。

城山~高尾山は何回も来ているのにここの展望台は初めてでした。


この展望台を下ると見慣れたこの付近の登山道を表す大型のサインがありました。この大型サインの前に、正面に縦走路の階段と左に巻道、そして右に巻道があり、一丁平からいやに近いなと思いながら、この右の巻道が高尾山頂を巻いて5号路や6号路合流する道だとすっかり勘違いしてしまいました。

巻道を進みましたがいくら進んでも5号路や6号路の分岐に出ません。いい加減歩いて広い縦走路に出たと想ったら、先ほどの巻道の入り口と、サインの内容と位置、ベンチなど全く景観が同じでした。もしや余りに暑いので判断能力が無くなり、一回りして同じ場所に出てきてしまったとキツネにつままれたような気分になりました。

ベンチで休んでいた御婦人方のパーティが、目の前にある右への巻道が高尾山ピークを巻く道と確信しているようだったので、後について巻道を辿ると直ぐに記憶が蘇り、先ほど辿って来た巻道は、高尾山を巻く巻道でなく1本手前の巻道でることが解りました。そう思ったら直ぐに目指す5号路、6号路の分岐に着きました。

前回初めて巻道を使いましたが、今まで随分高尾山に来ましたが、巻道は信用できないのでいつも縦走路しか使用しませんでした。昭文社の地図でも高尾山の細かな箇所の解読は難しいです。

1)の景信山のピーク下で、ピークへの直登コースが、いつのまにか地図に無いピークを巻く道に入って縦走路と合流してから登りました。

2)城山ピーク下の縦走路の左側に巻道がありました。城山のピークには茶店があるためピークを巻いた経験はありませんが、今回この巻道は閉鎖しているような感じでしたが、完全閉鎖という形でも無く辿りました。しかしこの巻道の合流点が日陰への運搬道になるため、城山の巻道には入らない方が良いでしょう。

3)高尾山のピークの巻道でなく、手前の巻道には縦走路を挟んで左右に巻道があります。一丁平から下って来た鞍部での大型サイン、ベンチ、そしてそれから先の高尾山ピークへの階段と左右の巻道の光景が、高尾山ピークの巻道を前にした鞍部の光景と瓜二つです。そこで錯覚に陥ってしまいました。結局間違いではなかったけれど右側の巻道は大きく迂回して距離も長く、縦走路に比べて余計時間を要し道も悪く巻道のメリットは皆無でした。左側の巻道はメリットがありますが、単独行だと不安に駆られるでしょう。

今まで数限りなく高尾山塊に行きましたが、前回まで巻道には不安があり縦走路のみを歩いてきました。高尾山とは別ですが、奥武蔵は稜線まで生活の場であったので里道が多く、昭文社や国土地理院地図だけでは役に立たずより詳細な地図を利用しています。低山は低山なりに難しいことがあります。

高尾山のピークを巻いて、稲荷山の5号路の分岐を過ぎ、沢路の6号路入り口に着きました。あとは1時間半の下りがあるだけです。

ここで持参の水を全て飲み干しました。

10時から登り始めて16時、6時間かけて登山口に着きました。前回閉店していた蕎麦店高橋屋で待望の生ビールと天ぷらそばで乾杯です。