見沼代用水、西縁、通船堀、東縁散策

梅雨だだ中の土曜日、山のトレーニングに長い距離を歩くことも必要だと想い、思い切って東西の見沼代用水の終点の通船堀と、まだ歩いたことのない東縁の緑のヘルシーロードを散策する大一周コースに出かけました。
見沼田んぼは広く、バイクであっという間の距離でもウォーキングでは中々時間を要します。でも未知の道も歩くことができたし、中々楽しかったコースでした。

見沼田んぼの南方面の散策は、最初に氷川女体神社のお参りから始まります。

見沼氷川公園です。早朝5時過ぎで公園にはラジオ体操を終えた人たちがいるだけです。

新見沼大橋有料道路の下を潜ります。バイクの場合は手前の登降レーンを使用して橋の上に上がります。この傾斜は中々です。

ヤブカンゾウが咲いています。

見沼代用水にはところどころに見沼田んぼに水を送る揚水施設があります。この施設は水門も兼ねています。

明の星女学校の前の見沼田んぼにはグランドがあります。ミッションスクールのためサインもおしゃれですが、運動場をそのままローマ字表記をして学校らしく気取っていません。

武蔵野線の小さなガードを潜りました。

ここから約5~6分でJR東浦和駅です。首都圏のJRの駅から5~6分圏内でこんな自然豊かな地があるでしょうか?。なぜか奇跡的です。首都圏に残された最後の巨大緑地としての見沼田んぼの開発規制について、県、市、地権者の3者が交わした見沼三原則が、サステイナビリティの時代に入った今もこれからも活きていくことしょう。

東浦和駅付近で見沼代用水西縁は八丁堤と呼ばれた土手で事実上終り、芝川に合流します。

沼沢地でまともな水田が無かった見沼田んぼの開発は、江戸時代初期1629年関東郡代の伊奈忠治による画像の右側の土手、八丁堤が築かれ巨大な溜池が出現しました。この溜井の水を使用して八丁堤以南の村々に新田が切り開かれましたが、逆に浦和、大宮、上尾の村々は上流の川が無いため水田は水不足になってしまいました。
八代将軍吉宗は出身地紀州藩から、紀州流工法の達人井沢弥惣兵衛を召し出し見沼の新田開発を命じました。
利根川の銚子方面への付け替えで水量不足に陥っていた、埼玉北部、中部、南部に利根川から水を八丁堤まで見沼の東と西縁に用水を引き、東西の用水から真ん中の芝川跡に3mの高低差を持って水田に給水を行い排水は芝川に流れるように工事を行い、更に八丁堤の真ん中を切って芝川を流し隅田川と連結させました。

これによって見沼田んぼは新たに5千石の水田が得られ、。更に東西の用水を運河として活用し舟運業を起こし、芝川を使用して米や薪炭を江戸に運び、帰りは塩や魚肥など輸送しました。

見沼用水西縁と芝川を繋ぐ運河跡です。

見沼用水西縁と真ん中を流れる芝川、或いは東縁から芝川へは3mの高低差があったため、パナマ運河と同じように運河を開閉式にして、舟を通す時は水を溜め、芝川と同じ水位で舟を通過させました。

運河は土手がせり出してきて狭いですが、当時は土手を垂直に削っていたため舟がすれ違い可能な広さだったと想います。

通船業鈴木家住宅です。通船業は江戸の鈴木家が請負で行い、差配所は八丁堤の赤山街道沿いの現在の地にあり、やがて本店もここに移動しました。

東西の用水は芝川1本にまとまり、八丁堤で大型船に積みなおして、江戸まで通船が行われました。

芝川のほとりにその名もずばり、水神社が鎮座しています。通船の人々の厚い信仰を受けてきました。

遊歩道を歩いて行くと今度は東縁の通船掘が現れました。

現在でもそうですが東縁の用水は西縁の用水に比べて3倍以上の広さがあり水量も10倍ぐらいありそうです。水運の主力は東縁用水でした。

今はどうか分かりませんが、夏に見沼通船堀の閉門のイベントが何年かありました。2011年にクラブの同期みなと見物に行った時の画像です。画像データはハードディスクに保存してなく、私のホームページから転載しました。

昔は無かったけれど、通船堀に休憩所とトイレができました。

このサインは良くできていて通船堀の構造が良く判ります。

休憩所にあった説明パネルから大正時代の画像を転載しました。八丁堤河岸の風景ですが、運河は広く、最上川の大石田河岸あたりに比べると、河岸は貧弱であまり設備に投資しなかったようです。

通船堀を堪能し川口郊外の代用水東縁をたどります。右の遊歩道は緑のヘルシーロードです。初めて歩く道です。

再び小さなトンネルで武蔵野線を越えます。

緑のヘルシーロードを歩くと立派な公園が現れました。

川口自然公園です。
土曜日のため公園は結構家族連れでにぎわっていました。ここは東浦和や東川口の中間なので駅から遠く周りに住宅が少ないため、皆さん車でやってくるのでしょう。公園の周りの林では家族ぐるみで昆虫採集を行っている姿が印象的でした。

実は私は昆虫採集とか魚釣りが大嫌いで、息子や娘と一度も行った事はありません。私が子供の頃は昆虫採集や魚釣りはこどもの主要な遊びだったので、仲間と行きましたが、魚も浮きを引くと逃がしたり、虫取りも獲ったふりをしていました。もし仲間に虫や魚が嫌いだと知られたら、背中にミミズを入れられたり何をされるか判らないため知られないようにしていました。大人になっても社員旅行で釣り船に乗った時、ゴカイが気持ち悪くて触れなかったため、船頭からゴカイが触れないのに船に乗るなと怒られたことがありました。

結婚して虫が入って来たときなど、全て家内に任せましたが、家内はこのことに気づき、私が山に行くから虫には強いと想っていましたが、私は行く山は虫などいない高山だと答えていました。

子供たちが学校を卒業し虫取りとか解剖など無関係になったころ、ある時2人に聴いてみました。息子の答えは高校の解剖の授業の時、牛の目玉を誰も気味悪がって触れなかったものを息子は平気で素手で触れたこと、娘はダンゴムシが可愛いと想っていた事や、大学のサークル合宿では代表してゴキブリを死刑にしたことなど、かえって人より虫に強かったようです。これを聞いてこういうことは遺伝しないものだなと改めて想いました。

公園で家族ぐるみ昆虫採集をやっている姿を見ると、父親の姿に尊敬の念が湧いてくるのです。

用水沿いの緑のヘルシーロード歩くと、前方に小学生を交えた家族連れの人たちが歩いていました。子供たちは長靴を履いているので、水田にでも入るのかなとおもいますが、今は入る時期ではありません。

やがてヘルシーロード沿いにの道を左折したら見沼自然の家の看板がありました。

庭ではすでに多くの家族連れが集まっていました。子供たちは長靴を履いていますが、お父さんやお母さんは付き添いなのでしょう。

後で話を伺うと、ここは川口市営の見沼自然の家で、月一で自然に親しむ教室が開かれています。本日は水生動物の勉強という事で、4人のボランティアの講師の人たちがグループに分かれて体験するようです。
家に何人かの老人たちがいましたが、伺うとボランティアで周りの自然を管理したり清掃しているとのことでした。

フィールドに出て見ると既に体験で行った種別の水田があります。

今日は水路の中の水生動物を観察する教室なのでしょう。一見自然に見えますがここまで管理しているボランティアのご苦労は大変だと想います。納屋にはありとあらゆる管理道具がありました。

埼玉県南部で一番東京都心に近いため、旧鋳物工場跡にマンションが林立し都市化が進行している川口市が見沼田んぼに川口自然公園や見沼自然の家など、自然に触れる施設を持っていて、的確に運用していることに感心しました。川口自然公園や見沼自然の家にはたくさんの若い世代の家族連れが集まり、自然に触れようと家族ぐるみ努力している姿が印象的でした。みなさん歩いてこれる距離で無く、高層住宅が林立し緑の少ない市中から、週末の1日家族ぐるみで車で移動し楽しんでいるのを見ると、

朝5時から歩き始めて時計を見ると既に9時を過ぎていました。4時間休みなく歩き続けてきました。途中店も無くお腹も空いてきました。今日はバス通りに出たらバスを乗り継いで帰ることに決めました。ときおり雨がパラツク気候で涼しかったため歩行は快適でした。傘が嫌いで持たなかったため本降りになったらと心配しましたが気象レーダーの予報をたよりに続行しました。

浦和越谷線のバス通りに出ました。緑のヘルシーロードはこの先も続きますが、途中で普段バイクのコースと合流します。この先未知の部分は僅かなのでまたの機会とすることにしました。バスを乗り継いで途中のコンビニで軽い朝食を採りました。

バイクに比べると散策は時間を要しますが、細かい所が見られるため、これはこれで魅力です。