春を告げる、浦和成就院上寺の護摩行
1月8日、2025年の新春、菩提寺、浦和成就院上寺で春を告げる護摩行が行われました。
密教の修法の1つである護摩行は専用の護摩壇で経を唱えながら火を焚き、内なる煩悩や業に火を点け焼き払う儀式とされて、いかにも密教らしき神秘的な行です。
この儀式が「護摩行」とか「護摩焚き」と呼ばれていますが、この奇怪な用語「護摩」という語にはどんな意味があるのだろうか?と30年前に仏教について学ぼうと購入していた一連の仏教書の中の中村元著「仏教語源散策」を本棚から取り出して「護摩」について調べてみました。
本署よると古代インドで発生したバラモン教ともいわれるヴェ-ダの宗教では、火は極めて重要視され、サンスクリット語で火の神アグニは慈恩に富む神で家庭の幸福をもたらす一方、有害な悪魔を梵殺する強い面を持っていました。
しかし人間界は地上にあるのに、アグニの神々は天空を遊歩していて、天空と地上は、遥かにかけ離れており、祭壇に供物をそなえて祈るだけでは、神々は満足されなく、なにか神々に供物をお届けする良い方法はないか?と考えました。
結果、天空の神々に壇上の供物を火で焚けば、煙の形で供物を天空に運ぶことのできると考え、壇上で火を焚きその火の中に供物を投げ入れ、煙としてささげる、サンスクリット語で「ホーマ」と呼ばれる宗教儀礼が整えられました。「護摩」は「ホーマ」の儀式の中国語での音訳で導入されました。
密教では「護摩行」は供物を捧げることから、更に修法として発展し、三つの根本的な煩悩である執着から生まれる欲望、嫌悪からくる怒り、無知からくる真実をわきまえない心を焼き清めながら、無病息災、家内安全、交通安全、平和円満、を願いながら護摩木を焚き、その煙に信者の護摩札を当てながら祈念する法です。
成就院上寺では昨年から、新年の檀家の護摩札を祈祷する護摩行が行われていましたが、今年初めて護摩行を見学しに訪れました。
密教の護摩行は名高く、深川不動尊で少覗いたことはありますが、護摩行の一連の儀式をまじかで見た事はなく、いつか見たいと想っていました。
成就院の護摩行は、檀家役員のみの参加で昨年からクローズドで行われましたが、私はこのことを知らず公開で行われるものと勝手に思い込んで、訪れたらひっそりとしていて護摩行の日時を間違えたのかと想い、本堂の玄関を見たら、護摩行の案内が掲示されていました。
護摩行は小さなお堂薬師堂で行われ、本堂から薬師堂に入って、初めて檀家役員のみ参加のクローズドな護摩行であることを知りました。
副住職も、ご住職も私たちの間違えをそのまま受け入れて下さり席に案内され、撮影のぶしつけな許可まで頂きました。
成就院上寺のご住職は真言宗豊山派を代表する学僧で、大正大学の仏教学部長を務められ現在は名誉教授であられます。副住職は高野山大学で修行され、御父上の大正大学の大学院を終えられており、また毎年密教会の声明の公演においてもその美声で中心的な役割を果たしておられます。
これから見る成就院の護摩行は、真言宗豊山派の正統的で本格的な修法に乗っ取り、さらに儀式を高める読経と作法が加わり、この護摩行が行われる場が天上宇宙と一体となる空間となるだろう期待感に胸が弾みました。
準備された護摩壇です。奥に不動明王初め各明王たちが煩悩を叩こうと参列しています。
壇の中央に組まれた護摩木が燃やされ儀式が始まりました。ご住職の真言と共にきらびやかな器に盛られたと仮定する主食や副食が次々と捧げられます。
読経が始まり火の中に香油もくべられ次々と護摩木が投ぜられて行きます。
空海は修養のため五感を基本とした、目に見える、耳で聞こえる、鼻で匂う、口で味わう、手で触れる、意識によって考える六つの働きを重要視していました。
私は水墨画のような無彩色の禅宗寺院より、大自然のなかで躍動するきらびやかな密教寺院の空間の方が好きです。
とくに長い階段を登った後、天上に近い山上の深い森の大自然の中に位置する密教寺院が、そこだけ異質な空間のようなきらびやかな装飾に満ちている風景に接すると感動します。
人間の生とは、躍動感のある生命力から成り立っているものと想っており、その生命力の持つ五感をフルに開放し、大宇宙と一体になる感覚に憧れます。
密教の儀式はこの自然な人間の原始の心を解放してくれる儀式のように想えてなりません。檀家から依頼され名を読み上げられた護摩木が次から次へと投じられ炎が高く登ります。
いよいよ護摩行のクライマックスを迎えます。声明公演で鍛えた美声と般若心経のリズムカルで高揚感のある太鼓が身体を躍動させます。この太鼓のリズムはどこから来ているのでしょうか。和太鼓の単調なリズムと別物です。
火は段々収まり、代わりに煙が天上高く登って行きます。無病息災、病気平癒の願いを込めて天上高く登る煙に祈ります。
檀家の護摩札が煙にゆっくりと煙に当てられて行きます。護摩行の煙に当てられて頂いた我が護摩札は今までに無いような御利益のある護摩札になると信じています。
護摩の煙を浴びて気持ちの良い新年が迎えられます。