見沼の秋の雲

9月11日、2階の私の部屋の雨戸を開けたら、素晴らしい朝焼けが眼に入ってきました。

数日前見事な夕焼けに気づいた家内に誘われましたが、カメラの準備などしていると夕焼けは直ぐ終わってしまうため断ったら、家内一人で見沼田んぼに見に行き、直ぐに夕焼けは終わらなかったと聞き、少し後悔していました。

今年は残暑が果てしなく続いていて見沼田んぼの秋の匂いを嗅ぐ機会が無く、先日の夕焼けはその絶好の機会でしたが、私の判断ミスで逃してしまいました。

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朝焼けは太陽が昇る1瞬で終わってしまいます。少し気づくのが遅かったかなと思いつつ急いで身支度しました。

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そのままウォーキングに出かけようと身づくろいしてカメラを持ち、見沼田んぼに向かいましたが、見沼の広い空が望める場所に来た時は見事な朝焼けは終わってしまいました。

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見沼田んぼは都会の中で広い空が見られる貴重な場所です。郊外で河川敷など他にも広い空が望める場所は、いくらでもあると思われますが、見沼田んぼの周囲には、新都心のビル街以外に高い建物がなく、空がそのまま地上の森と接するところが多く、雲を眺めていても山以上に広がりがあります。
見沼田んぼは広大な緑地帯が特徴ですが、私は雲の名所とも想っています。

外来種セイバンモロコシに駆逐され、見沼田んぼではススキを探すことが難しくなりました。

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昨年9月の同じ時期、家内と見沼田んぼを散歩していた時、私がこの草を見てススキがたくさんあるねと言ったら、家内からこれはススキでなく雑草だと言われ、その時まで私がススキと思っていた野草は、ネットで調べるとすべて外来種のセイバンモロコシであることが判明したのです。1見ススキと良く似ていますが、ススキが穂を垂れる時期になるとその違いが明確になってきます。葉はススキと同じく真ん中に白線があり、穂をが無ければススキとまるで同じです。

30年前中秋の名月の季節になると見沼田んぼはススキが目立ち、採集して花瓶に活けたぐらい、私にとって見沼田んぼは野菊とススキで秋の風情を感じる場所でした。今ではその両方は見つけることが難しいです。
昨年秋に、湯ノ丸山と菅平牧場の奥の四阿山に行きました。その時山麓で意識的に野菊とススキを探しましたが、そこかしこ豊富に見かけました。30年前の見沼の自然は信州や上州の山奥の山麓とそれほど違っていなかったことに気が付きました。

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休耕田にはびこるセイバンモロコシです。セイバンモロコシは和名で西蕃(西の蛮族の)もろこしの意味です。英名はジョンソングラスと言い、地中海沿岸や中東原産で1945年頃侵入した帰化植物であると言われています。根茎、種子で両方で繁殖するため瞬く間に広がり、河川の土手を侵食しているそうです。
江戸時代中期から我が国では本草学が大幅に発達し、現在私たちが知る高山植物まで全て和名が付けられました。多分西蕃蜀黍の和名は本草の1環として江戸時代に名づけられたのでしょう。西蕃のもろこしなど想像力豊かな江戸期の学者たちが、名づけたに違いありません。
今となっては西方の蛮族というセイバンはこの野草にピッタリの名です。

私たちの秋の感性の元となるススキが、西方の蛮族によって踏みにじられている現在の様子を、この草の名を付けた江戸時代の本草学者はあの世でわしの予言があたったと感じているのでしょうか。

数少ないススキの株です。

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見沼たんぼでもススキを見つけることが難しくなりました。これは貴重なススキです。

昨年9月にススキだと想っていた草が、帰化植物のセイバンモロコシであることを知ってから、11月の山陰の旅では野の風景ばかり観察していました。山陰地方は未だススキは健在で安心しました。

こうやって古来の懐かしい風景が失われて行ってしまうのでしょうか。

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秋の3つの代表的な雲は①さば雲、いわし雲、うろこ雲、②ひつじ雲、③すじ雲です。この雲はうろこ雲でしょうか。ようやく秋の雲が見られるようになりました。

翌日の朝、再び朝焼け

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この日12日は、昨日のような見事な朝焼けでは無いけれど、空が美しく染まっていました。

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日の出の瞬間です。

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空の広さを画像に納めたくてパノラマを稼働しました。

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いわしのようなうろこのような雲です。これもうろこ雲なのでしょうか。

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新鮮な魚の光り輝くうろこです。

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30数年前、ガーデニングを始めた時、ありとあらゆる草花の種子を購入して撒きました。その時このルコウソウの種子も購入して撒きましたが、それを見た家内が、こんな花は見沼田んぼでいくらでも咲いているわよと言われたことがありました。

趣味の初めにはいろいろ無駄なことも経験します。趣味そのものが合理的な行為とは真逆に位置します。趣味はそうやって何事も覚えていくのです。

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土手の斜面一面に広がったススキもどきのセイバンモロコシです。困ったものです。知らなかったらススキと思っていたでしょう。

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10日ほど前に業者が土手の雑草を刈り取ったのに、もうこれだけ草が伸びてしまいました。

秋の朝の陽ざしは、脚の短い私でも影は足長おじさんに変わります。