都心の中の自然、OB会の暑気払い

8月の最後の土曜日、山の会のOB会の暑気払いに参加しました。
今年は、久々に2月にコロナ禍で3年間中断していた総会を兼ねた新年会を開催しましたが、暑気払いは初めての試みで完之荘にて行われました。
私は2008年から2019年まで11年間OB会の役員を務め、最後の2年間は副代表を担当していました。後半の半分は学生担当でしたので、体力的に合宿などは付いていけないため、OB会との合同ハイク、ロッククライミングトレーニング、雪山訓練合宿には必ず参加していました。4年前に役員を辞めてからOB会の役員は大幅に若返りされ、次の次の世代に引き継がれました

どのクラブでも卒業し社会人になると山から遠ざかりそれに連れてOB会活動から疎遠になります。しかし定年で自由な時間ができるようになると、学生時代が懐かしくなり、同じ釜の飯を食べた思い出が募り、再びOB会活動に参加してきます。

会場の完之荘(かんしそう)は大隈庭園の端にある完之荘は1952年校友の小倉房蔵氏から寄贈された建物で、名称は氏の雅号である「完之」に因みます。飛騨の山村の古民家を、小倉氏が渋谷の自邸内に移築し愛用していたものです。定員20名の小さな建物ですが、趣ある場所での暑気払いでした。
大隈庭園では結婚式の画像か、PR写真の撮影かどうかわかりませんが、花嫁の純白のドレスが真夏の美しい緑と素晴らしい対比を作っていました。

完之荘の中門です。大隈庭園の奥にこのような場所があるとは知りませんでした。

完之荘はリーガロイヤル東京が経営を委託されており、雰囲気、料理、接客は一流ですが、料金はそれほど高くありません。

都心にいることを忘れさせてくれる深山を彷彿する池水のある庭です。

行方代表の司会で懇親会が始まりました。
行方代表は、私より10代下のOBで、若い時、雪崩の巣と言われ、初登攀後10年間登られなかった積雪期谷川一ノ倉第3スラブを4年前亡くなった高野OBと登攀した先鋭クライマーでしたが、定年後ヨーロッパアルプスの岩壁を目指しクライミングジムでトレーニング中滑落し身体に70本以上のボルトを打ち込む手術を行いました。そして彼の壮絶なリハビリによって車イスを使わない身体に回復しました。私も入院中、彼からリハビリはやり過ぎることは決してないという励ましのメールを何回か頂きました。実体験の重みある言葉で随分励まされました。

早稲田大学山の会新会長の加藤先生を交えて学生4名、それぞれ世代の異なるOB15名が一堂に会して懇親会がはじまりました。

コロナ禍で今年はようやく再開されましたが、過去3年間リモートで授業を受け、学園生活が満足に送れなかったにもかかわらず、今年の新年会は大勢の現役学生が参加しました。聞くと現在、現役学生会員は30名以上在籍しているとのこと、私が役員をやっていた当時に比べると隔世の感があります。

左の書は坪内逍遥先生の書だそうです。

新会長に就任した大学事務局の加藤先生です。先生は未だ41歳と若く山岳経験も豊富なため、山の会会長として理想的な方が就任されました。ハイク主体のサークルと違って本格的な学生登山団体は、高山の跋渉や雪山技術、岩の技術が必須であり、OBを交えて登山の指導と判断には、これ以上の人は見当たりません。

加藤先生はヒマラヤ登頂の経験もあり、積雪期登山や岩登りの経験が豊富です。

懇親会の最後は恒例の校歌の斉唄を行います。早稲田は、甲子園の慶応のように、たとえば会社や組織内など多数の人が行きかう人前では、お互い我が道を行くスタイルをとり、決してつるんだ行動はとりませんが、このような私的な場所で校歌を唄う時は、別人になり盛り上がります。