真夏の午後の想いつき(ある戦史孝)

那須の帰途、陸上自衛隊の朝霞駐屯地にある広報センター(りっくんランド)を訪れました。
子供の頃から軍事オタクの私は、どちらかと言えば陸戦より海戦や空戦に興味があり、海、空に比べて陸戦兵器にはそれほど詳しくないので、実際の陸戦兵器に接しとても有意義でした。
この施設は、開館した際新聞で報道され、シュミレーションでヘリに乗ったり、操縦したり体験可能な施設として話題を呼びました。広報センターは日曜日のため家族連れで混んでおり、多くの機器が順番待ちのため、操縦や射撃などのシュミレーションは体験できませんでした。

ウクライナ戦争で、戦車の映像が日常の家庭の暮らしに入って来て、ゲームのごとくミサイルで戦車が破壊される映像を、私たちは頻繁に見ています。戦車が破壊される映像が動画で、しかもほとんどリアル映像で家庭に入って来たことは、今まで生きていて初めての事でした。巡航ミサイル攻撃のリアルな映像で驚かされたイラク戦争でも、陸戦での戦車がミサイルで破壊され、中から搭乗員が脱出する映画のような映像はありませんでした。


日々の暮らしの中で戦車が破壊される映像が流れ、BSニュース番組では司会者がひつこくウクライナの旅団名を挙げて、専門のコメンテーターに見解を尋ね、まさにお茶の間でリアルな戦争の作戦シユミレーションが行われています。このことについて私には適当なコメントが浮かびません。けしからんとか有害だとか決めつけることは容易ですが、そのことについての是非は判りません。
ジャーナリズムの戦争報道は、戦闘の事実を政治的視点でなく科学的視点に立脚しできるだけ正しく報道することでしょう。しかし現状ではTV局側のジャーナリステックな姿勢が目立ちすぎているように感じます。戦闘報道には兵器の機能や運用について深い知識が必要となります。TVに登場する軍事専門家は、レベルの高い人物とそうでない人物がいますが、何回も視聴していると大方視聴者の方で判断が付いてきます。

ここ10年以上旅していると、長崎で巡視船の見学で若い世代の御夫婦の長蛇の列に出会ったし、江田島では全く軍事オタクとは無縁の女性たちが多数見学ツアーに参加していたし、今回の広報センターには若い親子連れで大賑わいでした。近年中国による尖閣諸島への領海侵犯や、北朝鮮のたびたびのミサイル飛来やロシアのウクライナ侵攻によって反対した我が国に対し、このような周辺国が敵対行動を示していることから、以前と比べると比較にならないほど国防意識が高まっていると感じています。

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新鋭の10式戦車は国内道路を走行できるよう、冷戦時代に開発された90式戦車を小型化し、タッチパネルを使用した近代装備のネットワークシステムを装備しています。索敵や射撃にはデジタル技術のタッチパネル化によって複雑で高度な戦闘行動が可能になりました。120mm滑空砲を搭載し現代の諸外国の主力戦車と互角に渡り合える性能を有しています。しかも乗員3名でこれだけの機械を動かすのです。

広報センターで接した戦車の巨大さには圧倒されました。なぜ巨大になるかというと、第2次世界大戦までの戦艦を例にとると、砲撃力と防御力が等しい事が条件でした。自己の砲と同じ口径の砲から打ち出される砲弾が主要部分に直撃されても破壊されない装甲を持つことが条件だったのです。例えば大和でしたら大和の主砲の径46㎝の砲弾を3万mの距離から直撃されても,主要部分の装甲は破壊されませんでした。海戦は物理法則が具現化する戦いとなり、40㎝砲の戦艦は20㎝砲の重巡洋艦と戦った場合100%戦艦の方が勝ちました。

しかし海戦には例外がありました。それは魚雷でした。雷撃機から放つ1トンの魚雷が複数発水線下の装甲が薄い部分に命中したら、戦艦は撃沈してしまいます。それは、真珠湾攻撃で停泊中の米国戦艦に海軍雷撃機の魚雷攻撃によって多数の戦艦が各坐沈没したことと、太平洋戦争開始と同時に行われた海軍一式陸上攻撃機による編隊雷撃によって、英国の新鋭戦艦プリンス・オブ・ウエールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈したことです。また我が国にとって最も不運な戦いはレイテ沖海戦で、レイテ湾を目指し夜間スリガオ海峡に侵入した戦艦扶桑、山城が米国の魚雷艇隊によって撃沈されて、海戦の物理法則が吹っ飛んでしまったことです。
帝国海軍の戦艦部隊に夜間肉薄して撃沈させた勇敢な米国海軍の魚雷艇隊によって、海戦の物理法則は無効になってしまいました。更に太平洋戦争で若きケネディ大統領が艇長を務めた魚雷艇も帝国海軍の駆逐艦に体当たりを敢行したのです。帝国海軍の司令や艦長たちも勇敢でしたが、戦史を紐解くと米国海軍の方が上回ったような気がします。西部劇のように、英米人は最も手ごわく戦った相手をリスペクトしますが、米国海軍も同じで最強の第7艦隊の母港を横須賀に置くことも、海兵隊が最強の部隊を沖縄に駐屯し、最強の揚陸艦隊を佐世保に置くことも、我が国を敵にして再び戦火をまみえたくないからです。

脇道にそれましたが、戦車の場合も、砲力と防御力のバランスで設計されていると想います。大口径の砲ほど発射の衝撃が強く、車体はそれに耐えなくてはなりません。砲塔前面は122m砲の近距離水平射撃に耐えるよう設計されていると想いますが、ウクライナの映像で見るとドローンの炸薬程度では装甲は破壊されず搭乗員の生存率は高いと想います。
しかしウクライナ戦争のように大陸の平原の戦闘では、過去の独ソ戦のように、戦車戦は物理法則が働き、レオパルドⅡはソ連のT62に必ず勝ちますが、T14とは互角です。陸自の車幅3,3m、44トンの10式戦車は、122mm滑空砲とネットワークシステムを装備し、周辺諸国の最新戦車と互角に渡り合えますが、道路が狭く山が多い日本国内では戦闘可能な場所は限定されてしまうでしょう。

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空挺部隊の落下傘です。習志野の第1空挺団は陸上自衛隊のエリート部隊です。近年陸上自衛隊は中国対策のため西南諸島の防備に重点を置き、熊本の第8師団を海兵隊のような機動旅団編成に再編しています。専守防衛のための空挺団の運用は難しく、占領された島嶼を機動旅団と共に奪還することなのでしょう。


しかしアメリカの第82空挺師団と第101空挺師団の存在が、米国戦史で不動であるように、空挺団の役割は近代戦では重要ですが、現在では空挺作戦より、エリート部隊としての空挺部隊の歩兵の練度の方が重要な気がします。。
米国第82空挺師団と第101空挺師団は第2次大戦のヨーロッパ戦線のシチリア、ノルマンジー、マーケットガーデン作戦、バルジのバストーニュなど米国陸軍の乾坤一擲の戦いには必ず投入されました。戦後もベトナム、グレナダ、イラク、クーウエイト、アフガンに派遣され、映画史上最大の作戦でもジョンウエインが第82空挺師団の中佐を演じました。
米国はヨーロッパ戦線で空挺部隊の運用を学びました。ヨーロッパは平原が多く重火器輸送にはグライダー着陸が可能でした。



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しかし太平洋の戦いは、空挺作戦より日本軍が守る強力な島嶼を1つづつ敵前上陸しながら攻略する島嶼作戦が主になり、海兵隊の運用が確立したのです。ヨーロッパ戦線では独空軍のスーツカによる地上攻撃力や独海軍の防御力が弱く、空挺部隊降下後、上陸点で橋頭保さえ確保すれば、船舶からの重火器揚陸が容易であったことが挙げられます。
反面太平洋では帝国海軍の航空力や海軍力が強く、兵の強襲上陸と同時に重火器揚陸を行う必要があり、艦載機の強力な援護の下行いました。そのため強襲揚陸艦、上陸用舟艇、砲火器、設営隊、海兵隊専用の航空部隊など統合運用が発展しました。
マッカサーのレイテ湾上陸は賭けで、栗田艦隊が謎の変転を行わなかったらマッカサー上陸軍10万は無事でなく、戦争は更に1年伸びたでしょう。朝鮮戦争の際マッカサーの仁川上陸は賭けと言われましたが、マッカサー自身レイテに比べたら、空と海の不安の全く無いことを知っており、彼にとっては確信に満ちた上陸作戦となりました。

余談になりますが海兵隊のおこりは、英国の帆船時代に遡ります。帆船時代、帆を操るため大量の水兵が必要でしたが、悪列な居住環境や長期の航海によって真水や食料がいつも不足していて、1杯のラム酒しか楽しみは無かったのです。各艦は水兵を集めるために英国の港に還ると、国家で認められた強制徴募隊を組織し酒場で飲んでいる人間を全て艦に連行して補充しました。海戦が始まると甲板のハッチは閉じて、紅い制服を着用した艦長直属の海兵隊が、水兵の反乱から艦を守りましたが、やがて英国海軍も水兵の反乱鎮圧よりも、海兵隊を先鋒とした乗組員による敵前上陸が、海兵隊の主任務になり、特に制服と規律による一斉射撃が植民地戦争に大きな効果を挙げました。
米国海兵隊の歴史は古く独立戦争時に英国のマネで結成されました。海兵隊が活躍しだしたのは米国が北アフリカや中南米など海外に勢力を展開するための兵力として活用されてからです。第2次大戦では米陸軍はヨーロッパ戦線を志向していたため、海軍は太平洋での主要なパートナーに上陸作戦に強い海兵隊を選択し、協業しながら太平洋戦争を戦いました。海軍と共に海兵隊も我が国の陸海軍と死力を尽くして戦い、その記憶は海兵隊の歴史に深く刻まれています。

太平洋戦争での沖縄への上陸に当たって、洋上に基地が無いことから、米海軍は18万人の第1次上陸部隊の輸送と支援に1,500隻の艦艇と、空母艦載機1、000機で上陸予定地を攻撃し上陸を行いました。空母艦載機1,000機というのは、正規空母10隻、護衛空母10隻を要しました。ちなみに帝国海軍の真珠湾攻撃では正規空母6隻で艦載機360機を使用しました。

現代でも沖縄に敵前上陸を行う場合、この程度の兵力は必要です。沖縄戦の場合、帝国海軍の空母は既に1隻も無く、帝国陸海軍の米国海軍艦戦攻撃は、九州各地から飛び立った特攻機のみでした。大和が第2水雷戦隊を率いて沖縄に特攻をかけましたが、空の援護も無く帝国海軍最後の艦隊行動になりました。

現代では仮に沖縄に上陸されると仮定したなら、無傷の航空自衛隊の戦闘機、空母いずもやイージス艦に代表される自衛艦隊、強力な潜水艦部隊、世界一の掃海隊が待ち構え、上陸予定地点には陸自の部隊がハリネズミのように火砲を配置して迎えるため、太平洋戦争での米軍の兵力以上を用いても不可能でしょう。

かって世界帝国の元が宋と高麗兵を動員して2度も我が国に上陸を企てましたが、台風襲来もありましたが橋頭保も確保することなく敗退して去りました。ドイツが降伏して我が国だけが敵国になった史上最強の米軍ですら、沖縄戦の苦杯から本土上陸を諦めたのです。
戦史を思い起こせば、我が国が特別強いという事でなく、島国はいかに海によって守られているか、その証明です。英国はあれほど強力だったナポレオン軍もドイツ軍も上陸を諦めたのです。

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館内に戻ります。16式機動戦闘車です。幅2,87m、前高2,87m、重量26トン、乗員4名、最高速度100㌔、105mmライフル砲、12,7mm重機関銃、7,62mm機関銃、の装輪の軽快な戦闘車です。第8師団の機動旅団の主力兵器です。

自衛隊は年式の表記を西暦から元号に変更しました。16式とはひとろくしきと呼ぶそうです。

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対戦車ヘリ、コブラ。ウクライナ戦争で、無人ドローンの対戦車攻撃が有効で、対戦車ヘリの存在が疑問視されていましたが、電波戦が進行するに従い、温存していたロシア軍のヘリ部隊の活躍により対戦車ヘリの有効性もまた論議されています。しかしF16がウクライナ側に配備されると、まとまったヘリ基地は真っ先に破壊されてしまうでしょう。戦争はイタチごっこです。

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偵察用オートバイ、カワサキ250cc。

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99式自走155mm榴弾砲、15㎝砲と言えば昔は軽巡洋艦のの主砲で、大和の副砲でした。戦車の車体の上に砲を乗せた自走砲は二次大戦で独軍によって開発され駆逐戦車と呼ばれました。独軍の自走砲で有名なのはヤクートパンッアーで、独軍得意の高射砲の88mm砲を搭載していました。二次大戦では88mmが大口径で、150mm砲を搭載した戦車はソ連のKV2だけでした。
現在の自走榴弾砲は、キャタピラでなくトラックの荷台に搭載する形態が主流になっています。

陸上自衛隊はウクラナイナで活躍しているハイマースと同じ機能の多連装ロケットシステムを装備しています。

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歴代戦車と戦闘車。手前から89式戦闘車、74式戦車。90式戦車、最新の10式戦車。姿勢制御装置を初めて搭載した74式戦車は長い間人々に親しまれてきました。
ソ連戦車に対抗して開発された90式戦車はラインメタル120mm滑空砲を装備する50トンの重戦車でした。

陸上自衛隊の戦闘車両の見て、そのデカさと迫力に圧倒されてしまいました。
我が国が海を渡って他国を侵略することはありませんが、周辺国家が先島諸島の一部や我が国の本土に上陸する恐れはあるのでしょうか。

そのことを過去の戦史に照らして考えて見ました。

近代の戦争で渡海上陸した例は米国以外では、ナポレオンのエジプト上陸、アヘン戦争の英国とフランスの中国への上陸、日清戦争の日本の朝鮮と中国への上陸、1次大戦時の英国のトルコへの上陸、二次大戦のドイツ、イタリーの北アフリカへの上陸、太平洋戦争の日本の東南アジア各地の上陸、太平洋の島嶼への上陸などで、意外に数は少ないです。ロシア、中国、など大陸国家は全て渡海上陸の未経験国で、近代の大半の戦争は大陸内で行われています。海洋国家と違って大陸国家にとって海を渡って他国を攻めることは、発想そのものが困難な未知の戦いなのです。近世のスペイン、ポルトガル、オランダは大陸に位置しながら海洋国家でしたが、近代では英国との覇権争いで敗れてしまいましたが。
今考えるのは、大陸や半島国家の周辺諸国が多大なリスクを冒して敵前上陸を行うメリットがどこにあるのか? 更に上陸した地を長期間維持できるのかどうか?です。


先に太平洋戦争での米軍の沖縄上陸に触れましたが、現代の戦争で我が国領土に敵前上陸を考えた場合、まず渡海のためには揚陸艦が我が国の海岸近くまで接近しなければなりません。その前に揚陸艦が海を渡る間も、航空機の攻撃にさらされ、また海中から潜水艦の執拗な魚雷攻撃もあります。また揚陸予想地点に大量に機雷を敷設しますから、それを無事すり抜ける艦も多くはありません。また揚陸艦から重火器を揚陸するためには、その作業自体が空や陸から標的にされてしまいます。とくに動いていない揚陸艦は巡航ミサイルの最も楽な目標です。実際宣戦布告がされ戦争状態になったら、大陸国は、機雷、潜水艦、空母によって港を封鎖され、艦船が外洋に出ることや補給で戻ることさえ困難になります。

仮に揚陸艦が我が国の港に無事接岸したとしても、我が国の戦闘爆撃機の攻撃を阻止するためには膨大な艦隊援護戦闘機が必要ですが、上陸側の戦闘機は地上攻撃を主に行わないと揚陸艦を守れず、また我が国の強力な迎撃機にも対応しなければなりません。戦闘機の航続距離は平均3,000kmですが、実際の戦闘航続距離は1,000㎞でです。大陸沿岸から九州や沖縄までの距離は1,000kmで、空母の艦載機でないと実際に我が国には攻撃できず、少数の艦載機が来襲しても容易に迎撃されてしまいます。そのため揚陸艦は対空無防備の中で上陸作戦を行わなければなりません。
ウクライナ戦争を見ているとミサイルは局地的な破壊は可能でも、破壊力は爆撃に比べると微小です。太平洋戦争の東京空襲では一晩で10万人が死傷しました。アメリカがB52を退役させないのも、核兵器を除いて、都市攻撃ではミサイルより絨毯爆撃が決めてになるためです。


話が飛びますが、現代の数少ない渡海上陸が行われたフォークランド紛争では、上陸する英国軍が、英国は旧式空母2隻しかなく、渡海上陸のための航空戦力を補うために、急遽コンテナ船のコンテナの上に飛行甲板を設け、垂直離陸のハリアー戦闘機で爆撃を行いましたが、フォークランドの飛行場から飛び立つアルゼンチンの仏製エアンデルタール戦闘機が反復迎撃し、ミサイルのエグゾゼは英国新鋭駆逐艦シェフィールドと大型輸送船を撃沈してしまいました。しかし英国原潜はアルゼンチンの巡洋艦を撃沈し1,000名を海の藻屑としアルゼンチンの戦意を挫いてしまいました。
また英国はとうに退役したと想われていた1950年代の爆撃機アブロ・ヴァルカン2機を本土から往復13,000kmのフォークランドに10機の空中給油機を使用し飛行場爆撃を行い、英国軍全員参加で国民の指揮を高揚しました。この戦争では英国領のフォークランドをアルゼンチンが1方的に領有した紛争でしたが、海洋国家英国でも海を越えた上陸には多大の犠牲が伴いました。

航空自衛隊は伝統的に反復迎撃と対艦対地攻撃の2系統の戦闘機隊を展開しているため、渡海してきた敵戦闘機に対して迎撃の航空優勢は常に維持可能です。
ベトナム戦争では米軍の地上攻撃の重戦闘爆撃機F105が、防御主体のベトナムの軽戦闘機ミグ17に相当数撃墜されてしまいました。

かろうじて上陸した歩兵も重火器は揚陸時に破壊されたため、陸自が戦車を動員しなくても殲滅は容易です。敵前に上陸するためには陸、海、空、3倍の兵力が必要ですが空自、海自、局地戦での陸自の能力を考えると、上陸は容易ではありません。太平洋戦争の米軍も九州と相模湾の2カ所本土上陸を予定していましたが、沖縄戦から判断した場合、相当の損害が予定されるため、哀しいかな原爆投下を優先し降伏を迫りました。

以上、過去の戦史を想定しながら、周辺諸国が我が国に大規模な渡海上陸は可能か思いつくままに考えて見ました。結論は不可能であるという認識になりましたが、陸上自衛隊の戦闘装備は、上陸後にその力を発揮しますが、ウクライナ戦争の兵器と相当異なる筈です。このことについては素人が考えるより既に議論が行われ結論が出ているに違いありません。



かってプロイセンの参謀長モルトケは言いました。予定した戦場にいかに迅速に兵力を集中するか。有力な防御態勢体制が存在する渡海上陸は、間に海が存在するために、攻撃側は予定地点に兵力を迅速に集中しずらく、逆に防御側は予定戦上に兵力を集中しやすい戦いです。上陸作戦は成功確率が低い作戦というより、全滅が高い確率で生ずる作戦です。

近年核論議も盛んですが、グローバルな経済社会で核を使ったらどうなるのか、使用した国が国際社会からは排除され破滅することは全世界の指導者は知っています。

以上真夏の午後、時々茹るような外を眺めながら、過去の戦史を思い浮かべとりとめもなく筆を走らせました

我が国は白村江の敗戦から秀吉の朝鮮遠征までは渡洋して他国を攻撃したことは無く、明治新政府以来の膨張政策によって、台湾遠征、北清事変、江華島事件、日清戦争、日露戦争、シベリヤ出兵、満州事変、1次、2次上海事変、太平洋戦争と渡海して戦い、戦後80年近く軍備は備えましたが専守防衛の思想の下、他国を干渉することなく平和を維持してきました。この平和は十分な軍備があったからこそ成し遂げられたのだと想っています。
いつもブログで触れているように私が子供の頃軍事に興味を持ったのは、当時連日のように報道された北洋でのソ連による我が国漁船の拿捕のニュースでした。その頃いとこから貰った戦時中の雑誌を読んでいたら、戦前は帝国海軍の海防艦が北洋を遊弋していたためにソ連海軍は、ウラジオストックで息をひそめていたと記していました。


広報センターで展示してある戦車や戦闘車は1度も実戦を行わず、退役している姿は、もったいないというより使用しないで来て幸せだなと感じました。平和国家とは良いものです。