春浅き見沼田んぼの自然、白梅の開花

「初春の令月にして気よく風和ぎ、梅は鏡前の粉をひらき、蘭ははいごの香を薫らす。」
初春の佳き月で、空気は清く澄み渡り、風はやわらかくそよいでいる 梅は鏡の前の美しい人のおしろいのように真っ白に咲いているし、貴人の飾り袋の香のように匂っている。

万葉集に収録された大伴旅人の大宰府における梅の宴で詠まれた梅花の歌三十二首の序文で、元号「令和」の語源となった文です。梅は当時唐から導入されたばかりの外来種のハイカラな花木で、旅人は格調高い漢文で梅の花を表現しています。
私は不勉強で令和の元号が発表されるまで、この大伴旅人の梅花の歌やこの格調高い序文は知りませんでした。

大伴旅人は万葉集でさまざまな白梅の歌を詠んでいます。

わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 
(庭の梅の花が散る様は天から雪が流れてくるようだ)

残りたる雪にまじれる梅の花早くな散りそ雪は消えぬとも
(白い雪を乗せて咲いている梅の花よ、たとえ雪が消えてしまっても、散らないでほしい)

わが屋戸に咲きたる梅を月夜よみ夕夕見せむ君をこそ待て
(わが庭に咲いた梅を月夜の毎晩お見せしようとお待ちしているのに、あなたは来ませんね)

手元の松田修著、万葉花譜春・夏を参考にしました。

梅は種類が多く品種を見分けるのは困難です。歳を取ると白梅の方は断然好きになって来ます。梅は原種系の野梅系と野梅系から変化した緋梅系、そして杏との交配によって生まれた豊後系に分かれます。

見沼田んぼの芝川の対岸にところどころ梅林があります。2月初め早朝歩いていたら、遠くにある草枯れた野の中の梅林がピンク色に色づいているのを見つけ、もう梅が咲き始めたと想い、その足で梅林に行ったら紅梅は満開寸前でした。しかしその近所の白梅の梅林はようやく開花が始まったばかりでした。

この白梅の品種は「緑顎梅」と想いますが、顎が緑色で咲くと真っ白に咲く白梅で、私の大好きな白梅です。開花も遅く佳人はじらして咲くがごとしです。

紅梅は開花が早く、白梅が咲く前にすでに満開でした。

20日後、「緑顎梅」の開花を待って再度梅林に行きました。

今度は見事に咲いていました。

春さればまず咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮さむ 万葉集 山上憶良 

立春を迎える季節私たちの心に、真っ先に梅が咲くとのイメージはこの歌が作ったのだと想います。私も大寒が過ぎてもうすぐ立春と想うと、梅が気になりこのように探索に来たのも、節分の豆撒きと共に梅の開花が気になるのは、間接的に山上憶良の歌に影響を受けているのでしょう。古典とはこういうものです。

東風ふかばにほいをこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ 宝物集 菅原道真

梅を詠った歌の中で最も名高い菅原道真の歌です。平安時代、菅原道真が大宰府に左遷され都の紅梅殿を離れる時、庭の樹々との別れを惜しむ中で、特に愛でいた白梅の木に語り掛けて詠んだ歌です。
そしてこの梅の片枝が主を慕って大宰府まで飛んでいったという天神の飛梅伝説まで生まれました。

万葉集に詠まれている花木の中では梅は一番詠まれています。「梅に鶯」の梅花の鑑賞姿勢もすでにこの頃から始まっていたのでしょう。

鶯の声聞くなべに梅の花吾家の園に咲きて散る見ゆ  万葉集 高氏老  

君ならで誰にか見せん梅花 色をもかをも知る人ぞ知る  紀 友則 古今集

大空は梅の匂いに霞みつつ くもりもはてぬ春の夜の月  藤原定家 新古今集

梅の花は古今集ではサクラ、モミジに次いで樹木では3番目に多く、新古今集ではサクラ、松、モミジに次いで4番目になりサクラが主流となります。
しかし万葉集で梅の香りを詠んだ歌は1首のみでしたが、古今、新古今集では梅は主として香りを詠まれるようになりました。

松田修著 古今・新古今集の花 を参考にさせて頂きました。

白梅林は満開の時を迎えようとしています。昨年に比べて10日以上早いような気がします。

枕草子で「木の花は、こきもうすきも紅梅」と書かれたように、清少納言の平安時代には梅は紅梅が好まれていましたが、奈良時代、唐から導入された梅は白梅でした。従って万葉集で詠まれている梅の花は全て白梅で、平安時代に入って紅梅が導入され、紅梅が人気を集めました。

紅梅を詠んだ歌で一番名高い歌は、百人一首にもとられ古今集の紀貫之の歌、初瀬の梅があります。初瀬とは、奈良初瀬の長谷寺のことで、紅梅の前に歌碑があります。

人はいさ心も知らず古里は 花ぞ昔の香ににほひける 古今集 紀貫之 

この歌に前書きもあり、それがあっても内容をくみ取るには難しい歌です。貫之が長谷寺に行く度ごとに泊まっていた宿に、しばらくぶりで寄った時、宿の主人が宿は以前と変わらないですよと答えた所、貫之はそこに立っていた梅の一枝を折り、人の心は分かりませんが、梅の花は昔と変わらない香りを漂わせていますよ。という歌です。
長谷寺は我が宗派の真言宗豊山派の大本山ですが、桜の季節にこの梅の木と対面したことがあります。