冬の奈良の旅、最終 平城宮東院庭園

近鉄奈良線の車窓から、2010年の平城京遷都1300年を記念して復元された朱雀門や南門、大極殿が、発掘された通路だけの平城宮跡に立っている姿が見られます。朱雀門や南門、大極殿など赤く塗られたこれらの建築が、異様な風景に感じることは、奈良の都が1300年もの遠い昔、大陸の美意識で建てられていることを感じます。
また近鉄奈良線の車窓から見える果てしなく広い敷地が、一見すると平城京跡と錯覚してしまいますが、車窓から見える風景は、人口10万だった当時の平城京の中の、たった1画にある御所に当たる平城宮で、平城京の王城が大陸並みに広大であったことが分かります。

明治になってから我が国の建築物の敷地は、極端に狭くチマチマしたものになっています。残存する各地の城址も、現在敷地として残っているのは、三の丸の一部が残っていいる場合は良い方で大半は二の丸、本丸しか残っていません。しかし江戸時代は商家や庶民の家は狭い地域に密集していましたが、大名屋敷の中屋敷は10万坪、中級旗本でも3000坪から7000坪の屋敷を有し、回りの塀も盗賊の鼠小僧次郎吉が飛び降りできるような高さではなく2階建ての塀が張り巡らされていました。また城下町の寺院もいざとなったら砦の役割を果たす如く建てられていました。
例えば会津藩士1千名が京都守護職として駐屯していた金戒光明寺は、学生の合宿のように藩士が大広間で雑魚寝していたわけでなく、4万坪の敷地の中に建つ多くの塔柱で、長期間滞在していました。ですから現在私たちが想像するチマチマした日本型建築は明治以来の産物なのです。

東大寺は大仏殿など先入観念がありますから巨大であっても驚きませんが、薬師寺に行くとその巨大さに圧倒されてしまいます。当時の平城京の東大寺、興福寺、元興寺、西大寺、薬師寺、(法隆寺)、大安寺など南都七寺の巨大さは、平城宮の建築と大道の巨大さに拮抗して建築されており、その思考は極めて大陸的です。平城宮跡を眺めると、唐に伍して侮れられないように必死に国づくりをやって来た姿が反映されています。
何もない草が生茂った平城宮に復元された大極殿や朱雀門など辺りの光景と遊離した建物は違和感を感じますが、この違和感こそ歴史時間だと認識できるのです。

平城宮の中でも東に張り出した位置に東院庭園が発掘復元されており、この庭園が我が国の池泉式庭園の原点であるために、ぜひ見たいと想いました。

平城宮

海龍王寺と法華寺は平城宮に隣接した藤原不比等邸の跡地で、それを引き継いだ娘の光明皇后が宮を構え、宮内寺院としたところです。
更に南下すると東院庭園が現れます。

平城宮東院庭園

東院庭園は東西80m、南北100mの古代庭園で、称徳天皇はこの近くに瑠璃色の瓦を使った東院玉院を建築し、迎賓館として宴会や儀式を催しました。

東院庭園は庭の国宝である特別名勝に指定されています。大陸の庭園と池泉式庭園として、その後の我が国の庭園様式の基礎となった庭園です。

隅楼です。静寂の中古代奈良を感じます。

中央建物の復元

橋を渡って建物に移動する様式は、日本庭園の中では重要な役割を果たしたのは、この庭園が基礎となっていたのでしょう。

庭園の水と石の関係は非常に興味深いものがあります。室町時代、禅宗の寺では山水を模した石組が流行しましたが、この平城京の時代から、石組が存在していたことは、どうやら唐の時代、庭園には水と石組が重要だったような気がしてきました。文人志向、浄土へのあこがれなど、これを見ると中国の美意識が相当深く浸透し、我が国の山水志向の基礎になっているように感じます。

意外だったこの石組みと出会っただけでも東院庭園にやってきた価値がありました。

北東建物の復元です。

曲水の復元です。自分の前まで杯が来る間に歌を詠むという曲水の宴は奈良時代に盛んになりました。雅な催しです。

建物の基礎跡です。

広大な平城宮です。遠くに小さく朱雀門が見えます。

復元された大極殿です。

南大門を復元しています。

近鉄奈良線の車窓からまじかに見える朱雀門です。

平城宮ターミナルには遣唐使船が復元されていました。想ったより大型です。遣唐使船は4隻で約600人が唐に渡りました。空海の航海は命がけでしたが、後世は毎回難破する訳でなく、航路や季節などデーターが溜まって来たので安全になったのでしょう。
平城京の700年前にはアジアには航路が開かれていて東南アジアから寧波までまたその逆も盛んに行き来していました。日本まで航路が無かったのは、我が国には魅力的な交易商品が無かったためでした。我が国に大量の移民が行われていた弥生時代や古墳時代には多分小規模な航路があったと想いますが、それが終わると東シナ海は未開の海域になってしまいましたが、現在の台湾海峡、南シナ海の海の交易ルートは活発だったと想います。

文献や海で遺跡がないため古代史の中で海上交通史の研究が最も遅れています。

いつものように猿沢の行けまで戻ってきました。玉置さんはこの池が大好きで、興福寺の五重塔をみるとほっとするのでしょう。

奈良に来ると最後はいつもこのカフェで甘いものを食べて疲れをいやします。ここから近鉄奈良駅で柿葉ずしを購入し、京都行の特急に乗り、京都から一路家路に向かいます。昨年末の奈良紀行は2日間なのに5回の紀行になってしまいました。
古都奈良は奥の深いところです。また観光客は駅周辺の商店街と東大寺と興福寺の一部だけで、他はあまり見かけません。外国人も京都に泊まって近鉄の特急で奈良は日帰りで済ませるため特急はいつも満員です。本当は奈良に泊まったほうが、食べ物はおいしくて安く、京都より遥かに古く大きなお寺に行けるのにと思ってしまいます。