見沼の自然、冬の終わりを告げる霧

3月9日土曜日の朝、雨戸を空けると霧が出ていました。

3月の5,6日、浜松・掛川の旅の翌日朝、いつもの習慣のウォーキングに出かけましたが、身震いするほどの寒さを感じました。
さいたま市の天気予報の温度は浜松と同じようなのに、浜松に比べると実際の体感は数度異なるような感じの寒さでした。実際には浜松は三ヶ日みかんの産地で東海は昔は石垣いちごの産地でもあり、関東と気温が同じである筈はありませんが、ついついデジタル情報の気温予報をうのみにしてしまいます。

デジタル社会が浸透している中で、気温だけを見ていると同じように見えますが、実際にはそこに風が加わります。浜松の朝は北風が吹かないけど、関東の春浅い朝には、まだ冬の名残の北風が吹きます。梅の季節、和歌で詠われる東風(こち)は残念ながら体験したことがなく、東風が吹く頃は桜の開花が始まっているのです。
なるべく体感を大事にしたいと心がけていますが、つい便利なためスマホのデジタル情報を当てにしてしまいます。


デジタル情報と言えば、山岳気象の気温予報も同じで、現代の登山者たちはデジタル情報に慣れきっています。真夏でも風雨の際は下界の冬並みになります。北海道のトムラウシのツアー登山で大量遭難事件がありましたが、実際にトムラウシのスタスタと歩くことができない大岩が乱立する縦走路を辿っていると、風雨が強い中での長時間行動では、今の自分も同じ状況に置かれたら抵抗力は発揮できないかもしれないと感じ、荒天下で行動したことが問題であり、行動中の動作は非難することはできないと想いました。

デジタルの気温情報と実際の体感とは異なることを、1昨日の朝に改めて感じました。これも雪前の状況だったので特殊だったかもしれません。
また見沼は緑が多いため、浦和の中心部に比べると気温は2~3度低いようにも感じています。

浜松、掛川では雨で目的の低山ハイクは出来ませんでしたが、奥山で素晴らしいしだれ梅の林を鑑賞し、掛川城跡では掛川桜も愛でました。
1昨日は家内から見沼で桃の花が咲き出したとのことで、午後散策に行きましたが、雪前の日という事で真冬の寒さを感じました。
そして昨日の大雪、そして今朝の霧です。

昨日の大雪と今朝の霧は、いよいよ自然が、見沼にも本格的な春の到来を告げにやってきた出来事のような気がします。

見沼の霧は、風の強く霜が降りた夜、周囲の畑の冷たい空気を風が運んで来て、芝川の暖かい水が蒸発してできた空気が急速に冷やされて霧が発生し、芝川から流れて周囲を覆います。

土曜日の朝、霧の風景を求めて散策する人たちです。

見沼田んぼの象徴の1つであるポプラの木が霧に浮かんでいます。

普段は眼に留めない雑木も幻想的な風景を作ります。

橋の上はバス道のため、バスや通勤の車は必死になって走りますが、土曜日のためその数は僅かです。

山水画は空気中に水蒸気の多い地の美意識ですが、江南地方は分かりますが、黄河流域ではどうなのでしょうか?

サンシュが色づいて来ました。

1昨日開花を確認に行った桃畑です。3分咲きでしょうか。

太陽が上がってきました。太陽が出てくると霧はたちまち消えます。

霜柱です。昨晩はかなり冷えたのでしょう。

この霜が見沼の冬の終わりを告げるサインなのでしょう。

来週から桃の開花、その翌週にはお彼岸、そしてそれが過ぎると桜回廊の桜の開花など。見沼の自然は慌ただしくなります。