我が国の伝統色を生んだ梅と雛まつり
寒かった2月が終えてようやく春が来ましたが、3月3日今日は雛祭りなのに窓の外は大粒の雪が降っています。
これも春の気圧の変わり目に雪を降らせる低気圧が来たためで、つかの間の春の暖かさを感じた身体に再び冬の寒さが降りかかって来ています。
今の季節はこうした三寒四温を経て春に向かって行くのです。
土曜日には野田市でオープンガーデンを行っている野田ガーデニングクラブの総会に行きました。総会で5月のオープンガーデンの日程も決まり、いよいよ春、薔薇や花の季節という感を強く感じました。
といっても花の季節は先ですが、現在の春の花の第1段の梅は満開を迎えました。
梅は蕾を付けてから開花までが長く、開花してからも落下することなく桃の季節まで並行して咲いています。桃の季節に見沼田んぼを散策していると、遠くに別な桃林らしきピンク色の茂みが見えることがあり、近寄って見ると梅林の事も度々です。
歳を重ねると桜より桃、そし梅、特に白梅が好きになります。
また近年、同じ白梅でも緑顎梅を特に好んでいます。
大好きな緑顎梅(見沼たんぼにて)

梅まつりと陶器市

大宮第二公園の梅が満開になると、恒例の陶器市が開催されます。

前日まで気温が低い日が続きましたが、突然の3月下旬の予報で、梅まつりと陶器市に出かけました。

白加賀

枝垂れ梅の宇治の春

蓮久

枝垂れ梅の曙枝垂

陶器市入り口

歳を取り、寿命が短くなると陶器があまり好きでなくなります。自分で欲しいものが無いので見ても退屈です。家内は陶器が好きなので時間を待ち合わせて別行動を取りました。私は各地の食べ物を購入して梅の下で楽しみました。
浜松奥山公園の枝垂れ梅

想い出せば、昨年ちょうど今頃、浜松周辺や天竜鉄道そして掛川までの内陸沿線の旅を行いました。浜松郊外の奥山公園には見事な枝垂れ梅がたくさんありました。
井伊谷龍潭寺(いいのやりょうたんじ)の小堀遠州作庭の庭園

私は家康嫌いで駿河、遠江、三河には足を踏み入れなかったため、井伊直弼の発祥の地、井伊谷は伊那谷のどこかにあるのだろうと想っていたら、井伊谷(いいのや)は谷でなく奥山の麓に広がる地で、秋葉街道と三州街道がやがてクロスする交通の要衝にありました。
井伊家は南北朝時代に後醍醐天皇の子宗良親王を後援し続けた名門でした。系図の無い三河の土豪出身の家康はこの名家を配下にし、北条氏や武田氏との名家との外交交渉に当たらせました。後に家康は天下取りに進みますが敵対する多くの名門武将を臣従させるために、彼らに匹敵する歴史を持つ井伊家が筆頭家臣であることが必要だったのでしょう。井伊氏は武田氏滅亡後武田の騎馬軍団を傘下に収め武田の赤備えを井伊の赤備えに変えて、関ヶ原では先鋒を務めました。井伊氏は58年間で300石から徳川四天王筆頭の30万石になり1000倍に加増されました。
鎌倉幕府の鎌倉五山や室町幕府の京都五山が臨済宗寺院であり、武家として臨済宗妙心寺派寺院を維持することは最高のステータスだったと想います。井伊家は30万石の彦根藩主になってから、故郷の井伊谷に小堀遠州作と言われる庭園の龍漂寺をリニューアルしたのです。
見事な吊るし雛が所狭しと飾られていた、龍漂寺前のお蕎麦屋さん

龍潭寺ノパーキングの前にお蕎麦屋さんがありました。寒い日だったので熱いなべ焼きうどんを食べました。会計を済ませふと仕切りのある衝立の影を覗いたら、たくさんのかんろくある吊るしびなが飾られていました。
昔からのものでなさそうなので女将に伺ったら、厨房で着物を着て働いている人が作ったそうです。
浜松は絹織物が盛んな地方で、機織り機の工場がやがて、豊田自動織機になったように、ホンダやスズキ、ヤマハの2輪工業のルーツになったようです。旅に出ないと分からないことが多いです。
我が家の雛祭り


2月も半ばを過ぎると家内が急にお雛様を出して飾り始めます。
息子の五月人形はもう30年以上納戸から出していないのにお雛様の季節になると家内はいそしそとして動き出します。
雛祭りの季節になると、まだ梅の季節なのに、どうして桃に節句になるのか不思議に想います。桃は魔除けになることから、魔除けの行事が雛祭りになったという記憶があるものの、旧暦で考えると花は桃でなく桜になってしまいます。
でもお雛様の色彩を見ていると日本人の色彩感覚は凄いなと想います。
野にはほんのり梅だけがピンクの色を付けているだけで、色の乏しい季節、一挙に華やかなお雛様が登場します。
化学染料など全く無い時代、全て草木を原料とした染色で、このような鮮やかな布を織りあげたことに改めて驚きを感じます。
古代、天皇の即位の礼での装束の染料は既に全て開発されていました。
弥生時代の衣服は縄文時代とあまり変わらず獣の皮など纏っていたと想っていたら、吉野ケ里遺跡を見て一番驚いたのは、さまざまな素材から糸を紡ぎ染料を使いこなしながら、初期の機織り機で布を追っていた事でした。これを見た時現在の生活文化の原型は弥生時代にはできていたことが分かりました。
平安時代、既に繊細な絹糸を季節の微妙な色で染色し、織機で布にして12一重の着物に仕立てる技術が確立していたことを想うと、こうした伝統色を生んだ日本人の美意識はすごいなと想います。
薔薇でもそうですが、島国はいつも水蒸気で覆われているために、大陸のようにビビッドなカラーは好まれず、また美意識もやわらかな色彩を好みます。
絵巻物でも背景には霞が描かれ曖昧にしています。
朱色は大陸と異なって、我が国ではややくすみます。
このくすみが色に深みを与えてくれるのです。
家内の吊る雛、金魚や鯛がとても気になります。
毎年吊るし雛が飾られると、なぜか金魚や鯛の飾り雛に目が行ってしまいます。金魚か鯛の見分け方は、主に尾ひれで分けているようです。





弘前ねぶたの金魚

弘前のねぶた館で金魚ねぶたがありました。買いたかったのですが新幹線のため持って帰れないので諦めました。今でも自分の部屋にこれが吊って有ったらいいだろうなと想います。といっても実物の金魚には興味はありません。
五所ヶ原の金魚ねぶたは可愛くありません。金魚ねぶたは名産の津軽の金魚津軽錦を連想して作られたそうです。