山を終えて、再び日々の暮らしへ

7月24日から4日間、北アルプスの双六岳に行って来ました。
学生時代は北アルプスの飛騨と信州の国境である黒部川源流を取り巻く双六岳や三俣蓮華岳、雲ノ平、鷲羽岳、水晶岳や黒部五郎岳は、信州側からも飛騨側からも望むことができない北アルプスの最深部で、この山域に至るのは最低でも4日を要しました。


下の画像は双六岳下の鏡池ですが、約60年近く前岐阜県での国体開催時に、ここから新道が切り開かれ、今まで笠ヶ岳経由で3日を要していたものが、1日で下れるようになりました。

私は大学卒業後クラブの仲間と黒部川源流を遡行して双六から新穂高温泉の下降路に、切り開かれたばかりの鏡平新道を下りましたがとてもひどい道で、新穂高温泉から平湯に出るバスが昼に1本のため、乗り遅れたら帰宅できず大慌てで下った記憶があります。当時飛騨から帰京するためには高山本線で名古屋に出るか、富山に出て夜行で帰るかどちらかでした。

今では安房峠にトンネルが開通し、バスで新宿から平湯に出て簡単に行けるようになりました。そしてここ鏡池にも鏡平山荘という山小屋ができ、かって悪路で泣かされた鏡平新道も鏡平山荘の人たちの努力で、北アルプス有数の登山道に整備され、かっては北アルプスの最深部だった鏡池や双六岳はとても行きやすい山になりました。

鏡池は槍ヶ岳と穂高岳の裏側に当たり、池に槍穂の姿が美しく映る地として北アルプスの名所の1つになっています。槍ヶ岳、穂高岳の稜線は剱岳と同じように北アルプスでも最上級の登山者のみが通過を許される困難な山稜です。私たちは槍穂の稜線を無雪期はもちろん積雪期の経験もあり、何よりも穂高岳の岩場で最難関の滝谷の各ルートをトレースした懐かしい地です。鏡平周辺はそれが唯一、一望できる場所なのです。

コロナや私の病気などが重なり、ここ鏡平山荘に来たのは4年ぶり5回目です。16年から19年まで4年間連続してこの鏡平山荘を起点として、黒部五郎岳や笠ヶ岳の山行を続けて来ました。


1昨年12月から昨年1月にかけて、歩行困難な病気に襲われ、産まれて初めてさいたま市立病院に2回に亙って延べ50日入院しました。幸い病院の優秀な先生方とスタッフのおかげで病名が判明し、特効薬の血清を連続注射をすることによって回復しました。今でも2か月に1度1日がかりで血清を注射していますが、通常の運動機能は完全に回復しています。

病室の窓から毎日秩父連山を眺めていると、ガーデンングはもちろんのこと、できれば再び山に登りたい、それもコロナで4年間中断していた鏡平から北アルプスの稜線に上がりたいという欲求が強くありました。
さいたま市立病院退院後大宮共立病院に1週間リハビリ入院しましたが、再び登山を再開するために通院でリハビリを行い、若い優秀な3人のリハビリスタッフの助けを受けてリハビリを懸命に行いました。最初の目標は満開の季節桜回廊を東浦和まで10㌔歩くことでした。それをクリヤーし、昨年7月登山再開後初めて奥会津の山に上り、秋には湯ノ丸山や四阿山、そして紅葉の安達太良山に登ることができました。

年が明けて2月のクラブのOB会の新年会で仲間と会った時、中断していた双六山行の再開を決めました。
今度は日帰りでなく長期に近い北アルプスの本格的な山行のため、真冬はウオーキングを欠かさず行って来ましたが、5月から足に負荷をかけるべくバイクトレーニング、階段上り、ストレッチ、2回に亙る奥高尾縦走などのトレーニングを本格的に行ってきました。もちろんリハビリ病院のスタッフもスポーツリハビリの観点から応援してくれました。

再び平穏な日々の暮らしが始まりました。

このブログでも毎回触れましたが、ここ数か月、今回の双六山行は私にとって大きなプレッシャーでした。仲間に迷惑をかけていけないことと、4日間連続で毎日7時間以上、足が動いてくれるか不安でした。

結果何とか迷惑をかけず行動出来ましたが、私自身は北アルプスの長期登山はこれで最後にしようと決めました。以前に比べると脚力の低下を感じ、そのため山で気持ちの余裕が無くなっていることに気が付きました。
帰宅後、ネットニュースで続々と北アルプス遭難事故が飛び込んで来ました。西穂の稜線、奥穂、前穂の吊尾根、北尾根、南岳、白馬岳、劔長次郎沢、スゴ乗越、五竜遠見尾根など大半が転落事故です。全ての場所で通過の経験があるため、転落事故の場所は大体特定できます。

一連のニュースを見て想像するに遭難した方々は、しっかりしたパーティを組み、私のような老齢でなく、しかも一応の経験がある方たちばかりと想います。以前の私でしたら、私はそこでは事故を起こさないと確信がありましたが、今回私がそこを歩いていたら、もしかしたら脚力の低下でバランスを崩し事故を起こしたかも知れないと感じました。

こんなことを想うのは初めての経験でしたし、いわゆる北アルプスレベルの登山に対して、私の脚力から来る体力の限界が訪れたのでしょう。この事実は甘んじて受けようと想います。

平湯からの高速バスが車両のトラブルで遅れたため、夜遅くなって帰宅しましたが、門から前庭に入るとたった4日間でしたが出発前に比べると、センサーライトに照らされた薔薇や草花は一段と伸びているように感じました。

今年は特に暑いため朝晩2回水やりを行います。前回のブログは7月19日に撮影しました。今回山から帰宅した翌日28日に撮影しましたが、10日足らずのうちに同じ草花が大きく拡がっています。

足の筋肉痛をこらえながら、草花に話しかけるようにして水やりを行っていると、あの山行前の重圧した気分に比べると背中に羽が生えたごとく軽い気分になっていることに気が付きました。山行をやり終えた安堵感と、事故も無く無事終えた事、仲間にも迷惑をかけなかったことなどの大きな安堵感に包まれ、何の変化もない日常の世界に戻れたことに幸福感を感じました。

無心になりながら、こうした何の変哲もない見慣れた草花たちに水やりをしていると、日々の暮らしに対する愛おしさが湧いてきました。

前回のブログでダリアと書いてしまいましたが、これは新種のジニアです。

双六岳は高山植物の宝庫でした。北海道のトムラウシはアイヌ語で神々の遊ぶ庭と言う意味ですが、双六岳山塊も神庭にふさわしい山でした。高山植物に似たアメリカンブルーを知ることによって始めたガーデニングですが、アメリカンブルーの濃いブルーの色が最も山を感じさせてくれるのです。

品種は異なりますが、花の構成の雰囲気は高山とあまり変わりません。

一度切り戻したルリマツリが一回り大きくなりました。真夏に強い低木の代表です。ただ花柄がベタベタするのが欠点です。

イングリッシュローズのプリンセス・アレクサンドラ・オブ・ケントも真夏に強い薔薇です。同じく真夏に強いダーク・レディが寿命全う直前のため、今後ダーク・レディの代替になるでしょう。

手間は大輪のジニアです。

真夏になったらハイブリッドムスクのプロスペリティが咲いてきました。30年前に我が国に無かったこのハイブリットムスクの数々の品種には特別な想いがあります。

日照りでカラカラの家庭菜園

九州、四国、中国、近畿、北陸、東海、東北と梅雨末期には大雨が降り、各地に多大な被害をもたらしたのに、関東には長い間雨が降っていません。庭には朝晩2回の水やりを行っているのに、家庭菜園には山に行く前、1回ポリタンク1杯の水をやっただけでした。

山に行っている最中家内はペットボトル何本か、水をあげましたが、トマトやピーマンは枯れ出してきました。周辺の農家の畑の八つ頭や里芋の葉も枯れ出しています。
そういえば以前は日照りと際、農家の人は見沼用水からポンプでタンクに揚水し、畑に給水していましたが近年は見かけなくなりました。東縁の農家と異なって見沼田んぼの西縁は駅に近く宅地化が進んでいるため兼業農家が多く農業で食べているわけではないので、多大な労力をかけて水やりする気になれないのでしょうか。

ミニトマトもカラカラです。今朝はポリタンとペットボトルに水を入れて車で往復です。ミニトマトはブランド品種の方が断然甘くおいしいです。
5月の局地的豪雨で一時的に見沼田んぼは水没し、植えたばかりのトマトとピーマンは枯れてしまいました。トマトは全てがブランド品種のため買い直したため5千円はコストがかかっています。いつも嫌になるほど採集できるのに、今年のミニトマトは1個当たり高価なものになりそうです。

今朝の収穫です。固いアンズとナス、痩せた枝豆、隣の畑の人から頂いたキュウリ、それにミニトマトです。

夏は仏花に事欠きません。ミソハギと宿根フロックスです。

収穫後のジニア、大輪は庭で収穫します。ジニアは種子をポットで育て畑に移植したものと直播したものと両方あるみたいです。三尺バーベナは一年草ですが、こぼれ種で良く咲きます。別名バーベナ・ボナリエンシスと言います。先月は千鳥草とグラジオラスが満開でしたが、今は終えてしまいました。

千日紅も種子をポットで育て畑に移植しています。宿根フロックスは長い間、初夏から秋にかけて咲き続けています。

ミソハギも便利です。我が国で長い間お盆の花として使われてきた意味が分かります。オニユリも盛りを過ぎました。
我が家なのガーデニングは庭や畑の草花は家内、薔薇は私が分担しています。家庭菜園は私は手伝うだけで口出ししません。