新緑のハイク、奥武蔵丸山

以下、薔薇のブログを優先にしたため、既に2か月経った出来事をしたためました。

山の会のOB会の新年会の帰りに島田、豊田両兄と寄り道してしばし歓談した後、今年の夏は一緒にどこか登ろうと話が決まりました。
私の同期は既に登山を止めていますが、島田兄は5代下、豊田兄は6代下で未だ現役で登山を続けています。

コロナ禍の期間を除いてOB会の役員をやっていた事から島田兄とは数年間続けて毎年北アルプスの鏡平山荘を起点に縦走していましたが、昨年夏は立山でお茶を濁していました。
島田兄はダイビングが趣味で1年に数回フィリピン沖や小笠原方面に行きますが、近年はテニスで膝を痛め手術をしましたが、経過が今一の状態です。
一方豊田兄は意気軒昂で北アルプスが駄目だら東北の山を2つぐらい登りましょうと言います。
私は、東北の山で登っていない山は岩手山と栗駒山ですが、今の私の体力で登れるのはせいぜい栗駒山ぐらいで2つはとても無理でした。島田兄は花が好きで花の名所栗駒には興味があり、膝の問題もあり栗駒山に決定し、豊田兄は奥さん同行で車で行く郡山の温泉から一関で合流するプランに決定しました。

そして我々のささやかな夏合宿に備えて2,3のトレーニング山行を行うことになり、その1回目が筑波山でしたが、諸般の都合で今回の5月5日の丸山ハイクに変更し参加者は豊田夫妻と私の3人でした。

近年、高校時代からの私のホームグランド奥武蔵に足を向けることは少なくなりました。久しぶりの奥武蔵で豊田夫妻とは芦ヶ久保駅で待ち合わせしました。
見沼たんぼから見る武甲山は、昔の円錐形でなく北側を垂直に切り取った異形の山容ですが、正面から見ると異形そうではありませんが、20年前ピークから眺めると中断の線が平らな平地になっており、大型ダンプが地さな豆のように動き回っているのが見えました。よくあんな所まで何台も大型ダンプを運んだなと想います。

豊田夫妻は私たちOB仲間では、おしどり夫婦として有名です。かってクラブのハイクにはご夫妻で必ず参加していました。奥様はOB仲間や夫人と誰とでもフレンドリーに交流できる親しみやすさを持っているので、夫妻と3人のハイクでも何の違和感は感じません。

豊田兄の奥さんは山野草に詳しく、私が先頭を歩いても見過ごしてしまう花を必ず指摘します。十二単です。園芸種のアジユガの日本版ですが、山野草は地味なのでこれでは見落としてしまいます。

一人静かです。奥さんから指摘されるまで気が付きませんでした。この一人静は亡き恩師が大好きで、恩師の奥様曰く、主人は庭一面を一人静かで埋めるのが望みだと話されていたことを想い出します。陶芸家で茶人だった恩師の庭は、今の私の基準では手入れが悪く、よい風に言えば自然の庭でした。画像のように落ち葉も履かず雑草はどのようだったか記憶にありませんが、庭木は大半が藪椿でした。多分利休の言う「庭は自然にすべし」というのはこのような庭を言うのかなと想いました。
今の京の茶庭は手入れが行き届き雑草も見当たりませんが、利休の時代はどうだったのでしょうか?

5月5日子供の日、今年は桜が散る前から見沼田んぼの斜面林の新緑の素晴らしさに気づき、十分堪能しましたが、ここ奥武蔵で再び新緑に出会えるとは予想しませんでした。
来年も見沼田んぼ、奥武蔵の新緑プランを実行しようと想います。

10時に登り始めて12時45分にピークに着きました。ゆっくり登ったので息も弾みませんでした。

ここで長い昼食タイムです。学生時代の合宿がいかに理不尽なものだったか、昔話に花が咲きました。豊田兄とは6学年離れていて学生時代は山行を共にしたことはありませんが、山での行動やしきたりは、我々の時代と変わらず良いことも悪いこともめんめんと受け継がれていました。
我々の4代下、私が4年時の際の新人たちの時代から、入会者が激変し1学年4~5人の時代になりました。1学年4,5人というと3年生までの活動会員が10。12人程度になり、担架の人数が必要な冬山や春山は、1人でも欠けると計画立案が困難な少数精鋭の時代に入りました。また若者社会は自由な時代に入り、先鋭的な登山を目指す人間も、重圧のある体育局の山岳部でなくクラブ組織の我々クラブに入会してきたため、我々のクラブは学内随一の先鋭的な山岳集団に変わって行きました。
当時ヒマラヤ登山は大部隊での大学山岳部の遠征から、先鋭的な社会人山岳会の少数の遠征に変わりつつありました。豊田兄はそんな時代を受けて学生だけの先鋭集団として4人でヒマラヤ・ヒンズークシ未踏峰のヒンズーラジ、ツイ1峰を目指しました。彼はまた卒業後山の会の南米アンデス縦断登山隊の登攀メンバーとして参加しています。
そんなことで話題も尽きず、2時間近く食事と歓談を楽しみました。豊田兄の奥さんは、我々の若き時代の理不尽かつ不合理な登山での日常を面白おかしく聞いていました。

ピークから武甲山を眺めます。

イカリソウの群落がありました。

集落との境の登山口まで戻ってきました。

子供の日の夕方の芦ヶ久保駅です。豊田兄とのおしゃべりは予想内でしたが、新緑と山野草は予想外の楽しみでした。