10月初日の見沼田んぼ東縁

10月1日、ようやく秋らしくなった良い天気のため、2ヶ月ぶりに物置からクロスバイクを引っ張り出して、見沼田んぼ東縁を回りました。夏山の双六山行前の6月、7月に早朝トレーニングで13ほど回ったコースです。
見沼田んぼ東縁には、美しい森と池との大好きな見沼自然公園や、彼岸花の続く見沼用水の長い土手、江戸時代の見沼開拓の面影を残す加田屋新田など、心地よい緑の空間が広がっています。特に見沼田んぼの東縁は、西縁のように未だ都市化が進んでいない地域で、都会人にとって夢空間です。
都市化が際まで進んでいる見沼田んぼ西縁近郊に共住している私にとって、見沼田んぼの空間は日常そのものですが、毎日都内に通勤している人にとって、見沼田んぼの西縁の空間であっても、満員電車やビル街とは対極にある空間です。まして未だ自然を色濃く残している東縁の空間は、こんなところにこんな緑の空間があるのだと感じるほどの異空間でしょう。
クロスバイクで東縁を走りながら、時折ロードバイクのライダーとすれ違います。バイクのライダーの年代はヘルとサングラスで顔が隠れていても、すれ違っただけでも体系で中年か若者か直ぐ分かります。多分彼らは満員電車やビル内のでの過酷なビジネス環境から、しばし解放されて無心でバイクを疾走させているのでしょう。見沼用水の土手の縁に包まれて原始の人間に戻っている筈です。

バイクの利点は、遠くに森やお寺の屋根など目標物が見えると、直ぐ着いてしまう事です。ウォーキングの1km先はかなり距離を感じますが、バイクではあっという間の距離で、なぜか現代人が目標物に到達できる時間などの距離感は、望ましいと感じる時間に、心理的にはバイクが一番近いのではないかと想います。余談になりますが登山道ではなぜか山小屋まであと500mの手書きの案内が見かけます。これは良く行く北ア鏡平山荘の案内や、常念小屋の案内にもありました。これは山小屋の従業員が登山者をもう少しだと元気づける目的で手書きで表示していますが、後500mかと瞬間元気づけっれますが、逆にそれから500mの距離の長さは、1,000mに匹敵する位まさに地獄と感じてしまいます。

このブログはちょうど1週間後の10月8日、同じコースをクロスバイクで走り、1週間前を想い出して書いています。

全く久しぶりの氷川女体神社です。クロスバイクでここを通る時は必ず、お賽銭を用意してお詣ります。なんだかんだ言って、ロードバイクやクロスバイクは対自動車の危険を意識する乗り物のため、心を落ち着かせるためにお詣りします。早朝の冷気が身に沁み込んで神聖な気持ちに包まれるのです。

見沼大橋を渡って見沼田んぼ東縁のコースに入ります。NPO法人の体験水田に差し掛かります。既に刈り取りは終わって、不要となった山田の案山子が眼を慰めてくれます。昔のスズメは純朴だったので案山子は有効だったのでしょうが、果たして今はどうなんでしょうか?

薔薇のカミキリムシの幼虫も知恵が着いているのに、スズメが昔のままである筈がありません。

東縁の彼岸花は、10月1日、この日が満開でした。カメラを持参するためには、クロスバイクにカメラ用のバックを装着しなければならず面倒なためデジカメは持参せずスマホで撮影しました。スマホ撮影はなれてなく時々手振れが発生してしまいます。
彼岸花はカメラ撮影の画像より肉眼の方が光を反するため美しいです。

大好きな見沼自然公園に着きました。蓮は今でも僅かですが咲いています。この静寂が堪りません。心が洗われるようです。

早朝のため、公園に訪れる人は僅かです。この芝の中にクロスバイクを持ち込むと、芝の葉で恐ろしく汚れるので決して入りません。

改めて想うにロードバイクやクロスバイクほど高齢者に向かないスポーツはありません。多分スキーと双璧でしょう。
クロスバイクが高齢者に向かない理由はそのスピードです。ママチャリのように、低速でハンドルをふらつかさせては乗れず、高速で走らないとバランスが維持できません。
高齢者に向かない理由の2番目には乗り降りが、容易でないことです。大体が足が上がりません。私もクロスバイクに乗り降りできるように、足上げのストレッチを時折行っています。3番目には四方からの安全確認です。ロードバイクやクロスバイクの大敵は自動車やバイク、自転車、そして歩行者です。これらが突然脇道から出てきたら防ぎようにもなく、衝突して転倒してしまいます。薄着で走っているため転倒したらダメージが大きく、擦り傷は当たり前で骨折は不可避でしょう。4番目は道路の確認です。ロードバイクやクロスバイクは道路の僅かな段差や凹みにも敏感に反応します。衝撃にも耐えるようにタイヤに空気をパンパンに入れてそうこうしますが、空気が少ないとリムへの衝撃が大きく損傷する場合があり、それを避けるため空気をパンパンにしますが、衝撃はライダーにやってきます。

40代の頃、スキーのトレーニングのため冬場になると荒川のコースをロードバイクで走らせていましたが、その時ロードバイクのライディングはもしかしたらヨットと同じかもしれないと想いました。ヨットを操縦したことはありませんが、多分自分が動物と同じ感覚を研ぎ澄ませて潮の流れ、風の流れを絶えず体に感じながら操縦しているのでしょう。ロードバイクほど風向きや強さ、道路の傾斜に影響を受ける乗り物はありません。絶えず風向き、道路の傾斜、路面の凹みをキャッチしながら走る時間は、人が動物に戻る時間でした。

今でもクロスバイク搭乗時の四方の安全確認は、眼だけでなく音や勘など、自分で退化した動物の感覚を全て動員して走ります。クロスバイクで走ることは心にプレッシャーはかかるけれど、得るものが大きいためたまには乗ることにしています。

延々と彼岸花の土手が続いています。

この日は10数グループもの高校生たちが自転車で走って行きました。浦和学院の野球部の子たちです。先日新聞で、秋期高校野球大会の準々決勝が行われ埼玉県の4校が決まったとありました。この日は準決勝のため、野球部員は学校に集合後、グループで大宮球場に向かうのでしょう。大宮球場まで距離はありますが、彼らにとっては遠いなどという感覚は無いのでしょう。
バイクを止めて彼岸花を撮影していると、皆礼儀正しく大きな声で挨拶をして通り過ぎて行きました。学校の教育方針なのでしょう。こういう礼儀正しい子たちを見るとフアンとして応援したくなります。

1週間後の本日8日の彼岸花です。もう完全に終わっていました。

おなじみの江戸時代から続く加田屋新田です。周囲の水田は全て取入れを終えていますが、この1画だけが刈りいれは未だです。
昔に比べると稲の借り入れは早くなったような気がしていますが、記憶違いでしょうか?
稲刈りの記憶では、稲も穂も黄金色だった記憶がありますが、刈り入れが終わった田を見ると刈り取った株は緑で青々としています。

同じ場所の1週間後の水田です。稲穂が頭をより垂れて、葉も黄色くなってきました。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありました。我が人生、全く偉くなっていないし、まったく功成も遂げてもいないため、頭を垂れる必要も無いから気が楽です。

刈り入れが終わった田の彼方に鷺を2羽見つけました。私が高校時代はこの辺りは野田の鷺山と言って白鷺の名所でした。しかしトキと同じように、現在はあまり見かけなくなりましたが、今年は今まで芝川で1羽だったのが先日3羽見られるようになりました。増えた鷺はこの鷺なのでしょうか。

東縁から西縁に戻ってきました。コスモスが咲き始めています。

見沼田んぼの名物ポプラの木です。東北大震災で少し傾きましたが、造園業者の地主が機械で引っ張って修正しました。

ポプラの前に広大なひまわり畑が出現しました。

埼玉県農林公社見沼農業センターの看板がありました。

見事な景観です。珍しい秋のヒマワリですが、種まきを遅らせたのでしょうか?