薔薇のエッセイ・薔薇シーズン後半の10日間の入院
前回最後にブログを更新してから1か月以上が経ってしまいました。
この5月は、薔薇が一番咲き乱れる季節ですが、前半は満開の薔薇の花柄積みや薔薇の維持に追われ、後半の5月13日から10日間入院して家を空けてしまいました。
今年の薔薇は例年に比べて早く5月の連休に入る頃から本格的に咲き始めました。これに先立ち4月9日の陣馬山ハイクから体調が悪くなり、その4,5日後にさいたま市立病院を受診し検査の結果、連休後に手術のための入院が決まりました。
例年この時期は、オープンガーデンを実施しているお宅や毎年訪問しているお宅など30軒近い薔薇仲間の訪問を予定していましたが、今年は体調が万全でなく、電車に乗って向かうには不安があったため、最小限の訪問に留めさせて頂きました。
いずれにしても4月に入ってから、こんな事態になるとは全く予想もしていなかったたため、やはり身体が頑健と自信を持っていても、寄る年波には勝てず、機械と同じように人間の人体にも修理が必要な箇所が確実に出てくることが分かりました。それともう一つ分かったことは、今まで体調が悪くても数日で完治したものが、歳を重ねると回復までの期間が異様に長く、しかも病気でもない花粉症がこじれレントゲンの結果初期の肺炎まで併発するという思いがけない事態も生じました。
あの病気に強い私はどこに行ってしまったのか? 年寄りの病の恐ろしさを実感しました。改めて庭で愚痴も言わず今年も変わらず元気に咲いている古木や老木の薔薇たちに一層の愛おしさを感じまます。
5月13日入院当日の朝の薔薇たち
入院は5日間の予定のため、薔薇とはしばしの別れです。
スベニール・ドゥ・ラ・マルメゾンとマイディア

入院当日の朝の薔薇たち
プロスペリティとフェアリー変種、ヴィオレット、クリスチアーナ、ウイズリー2008、アイスバーグ

入院当日の朝の薔薇たち
プロスペリティとフェアリー変種、ヴィオレット

エイブラハム・ダービー、ジェームスオースチン、マイディア

クラウン・プリンセス・マルガリータ・カーディナル・リシュリュー


パレード、ローブリッター

ポールズ・ヒマラヤン・ムスク

発病した日、4月9日陣馬山ハイク
この陣馬山ハイクの帰宅後、体調の異変が生じ、数日様子を見てさいたま市立病院で受診しました。検査後病名が判明し、5月の連休後入院し手術を行う事になりました。

さいたま市立病院のこと
5年前の21年12月にさいたま市立病院に約1か月間入院していましたが、この入院は生まれて初めての入院でした。
大学卒業以来社会人になって初めて企業の健康保険に加入しましたが、63歳の現役退職まで、家族は使用しましたが、私自身はほとんど医者の世話になった記憶がなく、健康保険証を使用したのは数回あったかどうかでした。
そんな健康に自信があった私が77歳になった時突然病魔が襲い掛かり、リハビリ病院を含めて約40日間の入院と、その直後の病気再発で約2週間の入院を強いられ、このさいたま市立病院には45日間お世話になりました。77年間病気とは無縁に過ごしてきた私が人並みに病気の洗礼を受け、回復してその後、健康な老年生活を送っていた私に、再び82歳を過ぎて突然病魔が襲い、再び試練の時を迎えました。
今まで振り返って見ると人生には様々な関門や節目がありました。受験、学生生活、恋、企業入社、中枢部への異動昇進、活躍、環境変化による企業不振、転職、新組織での位置確保、仲間づくり、組織づくり、リ-ダーシップ、役員就任、企業買収による離職、そして最後は趣味の薔薇の仕事の就任、山岳クラブOB会活動、などなど多彩で、特に現役時代仕事上では心が燃えるパイオニアワークや反面困難な事も生じましたが、それらは企業組織運営では当たり前のこととして対処してきました。また仕事とは別に、まだ子育て中の若い時代での老齢の親への対処や、看取ってからの自身の家庭生活、子育て、子供たちの受験、就職、自立など家族共通の節目もありました。
今まで企業や家庭生活での様々な関門には、全て逃げることなく対処して来たことが、人に誇れるものが無い2流の私にとって唯一の誇りでしたが、幸いなことに私を含めて家族の健康上の関門や節目は全く生じず、安心して仕事に没頭できました。
77歳になるまで、登山やガーデニングを続けてきて、自身の健康不安を全く感ぜず無頓着に過ごして来たことが、当たり前のこととして来ましたが、改めて考えてみると、決して当たり前な事でなく健康に関しては極めてラッキーだった感じています。現在の82歳という年齢は、昔だったら老衰で人生全うしていたものが、長生きが普通の長寿社会に変わって来たため、生きる上で不都合な修理箇所が露になって来たいうのが実感です。
幸いさいたま市には優秀な基幹病院であるさいたま市立病院があります。両親が眠り真言密教に帰依している私がいずれ眠る菩提寺は私自身にとって心の拠り所であるならば、さいたま市立病院は私の命の拠り所と想っています。
さいたま市立病院は国立大医学部の無い医療貧困県の埼玉県の県都として、企業も人口も少なく子供が増え続け義務教育の学校づくりで財政が貧しかった旧浦和市が、現在地の結核病院を買い取り病院の医療運営を慶応病院に委ね、堂々と医療貧困県の基幹病院として発展してきました。旧浦和市生まれの私にとってさいたま市立病院は77歳になるまで無縁の場所でしたが、改めて振り返るに昭和28年に結核病院を買い取って市立病院を樹立した旧浦和市の行政決断の凄さと、長らく旧浦和市に僅かながらも税金を払い続けてきて良かったなと想っています。


5日間の入院予定が倍の10日間になってしまいました。年寄りは回復が遅くなります。
早朝5時の病院内風景


休憩室、一日2本飲めと勧められている水分補給

10日後の退院日翌日の薔薇
ヒマラヤン・ムスクは完全に終わっていました。

花柄だけが残ったフェアリーの変種

ドロシーパーキンスが咲き出しました

入院は5日の予定が10日に伸びましたが、この間家内は毎日の水やりと目立つ場所の花柄積みを行ってくれたおかげで、想像したより乱れはひどくありませんでした。
マルメゾンは終わり墨田の花火が咲き出しました。

ジャスミーナは花を見ないままに終わってしまいました。

パーゴラの柱前面に咲いていたクリスチアーナも葉だけになってしまいました。

連日の花後の処理

主庭は群生が満開です

夢乙女など小輪薔薇が咲いています。


